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思い切りのよさというのが私にあるのかどうか知りませんけれども、思い切りというのは自然発生的には生まれてこないようです。思い切りのよさが生じるためには、自分を突き動かすものがあることが必要条件と思います。思い切りのよさというのは少なくとも何かを突破して噴出すもので、その点「怒り」などの衝動的な感情とは異なります。手っ取り早くいえば、自分を突き動かすものとは「思想」でしかないのです。 |
無題
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我が家の扶養家族3人は片づけが大の苦手。気がついてみると至るところ衣類だの新聞紙だの食料品だの無造作においてあります。パーキンソン病の私としては、足の踏み場もない状態というのは危険極まりない。そのことを来る日も来る日も訴え続けてはきたものの、相変わらず馬の耳に念仏。期待すると腹立たしくなるので、期待することをやめて自己防衛に。これが、しかしやってみると片付け終わった後の爽快さといい、こんな工夫ができたという充実感といい、結構やりがいがあるのです。まあ、買い物を趣味やストレス発散の場としている以上、家の中が収納不能に陥り、以て商品で溢れかえるのは(私はこれを商品爆発現象と勝手に呼んでいるのですが)自明の理。そしてそれを指摘すると、夫婦間が戦闘状態になって、ますますストレスのボルテージが上がるという悪循環に陥るのも、もはや経験上、自明の理なので君子危うきに近寄るまいと決め込んでおります。 |
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子どもの育て方などと大きなことを言って、説教たれようという大それたことを考えているわけではありません。私の家では、犬一匹まともに教育できていないのですぞ。それに、子どもといっても一括りにできやしません。モノじゃあるまいし。 |
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自分よりくだらないと思われる人間を批判し、呆れてみせたことってないですか。そうすることによって、自分がそうでないことを証明してみせようとする。それって誰でも経験あると思うんです。問題は、そのサイクルから早く抜け出すということ。批判がいけないのではなくて、批判することが教訓に結びついてないことが問題で、呆れているだけでは自分がそうではなことのデモンストレイションでしかありません。テレビのコメンテイターでもたくさんいます。子どもだなぁとおもいますよ、正直言って。批判の動機が違います。呆れてみせるだけでは自分を美化しようとしているだけで、問題提起にもなっていません。いくらくだらないとおもっても、そのくだらなさと付き合ってみて、そのくだらなさを自分のものとして共有してみて、そこから総括することが肝腎だと思いますけど。 |
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しっかし、まあ年度末だからというわけでもないけれども、おもろないことが余計つづくなあ。職場のこと、家庭のこと、健康面のこと‥‥ほかにも仰山あるヮ。自分でボタン掛けちごうたのもあるし、しょうもないことで腹立ててるアホもいてるし、ワシも含めて地球上になんでこんなにアホばっかりいてるんやろか。 |


