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私の中の金子みすゞ

 母の四十九日が済んだのを機に、昨日から妻と大学生になったばかりの次男との3人で山口県湯本温泉に骨休めに行ってきました。27歳になる長男が下関市の物販店に勤めているため、電話してみたところ午後から休みが取れるとのこと。温泉が好きな長男は、明日が仕事なので一緒に泊まることはできないけれども、宿で一緒に飯を食うことならできるというわけで、昨日の夕刻まで久しぶりに家族4人揃ってのひとときを過ごしました。長男が帰ったあとはカラオケボックスに行ったりボーリングをしたりして、遊びました。

 さて、今日は近くにある金子みすゞ記念館に行ってきました。次男が文芸クラブに入ったと聞いていたので、何かの役に立てば幸いと思って、行ったわけです。それまでの私は金子みすゞに関して、命の捉え方が宮沢賢治に似ているような気がしていました。特に「大漁」や「お魚」に表されるように、命あるものに対する愛が宮沢賢治の父との確執にまで及んだという生命に対する尊敬――しばしばそれは魚の喩えで表現された――に似ているように思えたのです。

 しかし、金子みすゞ記念館に行って思ったことは、金子みすゞが宮沢賢治に似ていようがいまいが、どうだっていいじゃないかということでした。金子みすゞが、日本国憲法が生まれるよりもずっと前に、生命に対する尊厳と自由について、輝きに満ちた感性で、生活感のある平易な言葉を使って詠い続けてきた、その詩の一つ一つを愛しぬこうと思ったことでした。

 「鈴と、小鳥と、それから私、
  みんなちがって、みんないい。」
 これはまさしく、十数年を経て憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする」として国民の全てに恵みの雨となって降り注ぐことを預言していたかのようです。

 金子みすゞが天才であったかどうか、それは私にとってイエスが神であったかどうかという問いかけと同じくらいどうでも良いことです。それよりも、彼らの言霊のほとばしりを全身で受け止めていきたいと思います。
 先日、福岡市発達障がい者支援センター所長の緒方よしみさんのお話をお聞きしました。1週間前には、第2宅老所よりあいの村瀬孝雄氏の講話をお聞きしたばかり。緒方さんのお話を聞くのは2度目、村瀬さんに至っては4度目ですが、何度お聞きしても感激してしまいます。
 
 とはいっても、涙の出るようなお話ではなく、心がじんわりとあったまって、うれしくてたまらなくなるという類のお話であるのです。それはお二人の話から勇気をもらっているからにほかなりません。
 お二人とも現場での豊富な経験に加え、それらの経験をいたずらに我田引水的な経験主義に堕することなく、発達障がい児や認知症高齢者のおこないを論理的にも理解しつくしておられますが、あくまでも彼らを隣人としてとらえ、決して特別な存在とはみなしていない、その眼差しの暖かさに触れるだけで、僭越ながら、同じ方向に歩いている旅人に出会ったような気になって、うれしくなってしまいます。もっとも、ずっと先を歩いておられるお二人を私などが同志呼ばわりすることは非礼を通り越して、滑稽でさえありましょうが‥‥。
 お二人の共通点として、発達障がい児や認知症高齢者から多くを学んでいるという姿勢があります。隣人なればこそ、そういう視点を持ちうるのだと思います。わたしも、お二人のように他者理解と連帯の達人になりたいものですが、だれを仲間外れにしていくかという発想よりも、互いに隣人として協力し合ったほうが、多くを生み出すような気がします。。

春からの抱負

 今まで夫婦と二人の息子たちの4人家族で生活していましたが、長男はようやくアルバイトから正社員として就職が決まり、それと同時に他県へ転勤となり、かたや次男のほうも大学進学が決まってこの春から他県でアパート暮らしを始めるようになります。今日は次男のアパートの契約に行ってきました。
 
 というわけで、あっというまに夫婦二人だけの生活になってしまいます。
 
 別に、だからというわけでもありませんが、エレキ・ベース・セットが初心者用セットとして低価格で出ているので、それを購入しました。弾き方もぜんぜん分かりませんが、幸い基本的なことを教えてくれるかなり丁寧なサイトを見つけまして、目下練習中です。
 
 もちろん、サックスもアルトとテナー、それに20年位前に買って、うまく吹けなかったために直したままにしていたフルートと、友人のベーシストが中古で1万円で買ったクラリネットを借りたままになっているやつとを、全部練習することにしました。そのうち、家をある程度片付けたら、直したままにしているキーボードも出して、楽器屋さんごっこを、いやもとい、焦らずにこれもやっていこうと思っております。
 別に、だからという訳ではありませんが、このブログの画像をアバダーを含め、4種類用意し、その日の気分で変えていくことにしました。別に、どうでもよいことですが‥‥。
 
 さびしくはなるだろうけれども、春になったら山での練習も再開して、たまには夫婦で旅行にでもでかけるとしよう。
 
 「阿修羅」という人気掲示板があります。
 情報がいろいろ寄せられ、便利な掲示板だと思う反面、論点よりも人物批判に走る傾向があり、また部落大衆や在日コリアンに対する差別意識が充満していて、ついていけないなと感じることも少なくありませんでした。とくに最近は、江川紹子さんや郷原信郎さんに対する色眼鏡的な批判が多く、本質的にマスメディアのコメンテイターを裏返しただけのようなヒステリックな記事に対する失望感と感情過多の論調に対する警戒感がふくらんでいました。
 これが一見したところ小沢一郎支持者の一角を形成しているように思えることに違和感を感じている人も多いのではないかと思います。それとも自分が未熟なのかなと思っていた矢先、八木啓代さんの面白いトゥギャッターが目に入りました。
 これは非常に示唆にとんでいます。ぜひ一読していただきたいと思います。
 
 
すべての倫理は欺瞞であると思います、それがヒステリックであればあるほど。

よっしーのつぶやき

 私は56歳であるけれど、いろんな個性ある人たちとの出会いは何歳になっても心地よいものです。ただし、私が関心があるのは、人の多様性を認め、その違いを尊重することが出来る人に限定されます。それさえできるなら、男であろうと女であろうと、高齢者であろうと子どもであろうと、障がいがあろうとなかろうと、日本人であろうと外国人であろうと、職業が何であれ、出身がどこであれ、一向に気になりません。むしろ、それらの違いを楽しむことさえ出来ます。
 
 人間を具体的な存在として認識できるかどうか――それはぜんぜん難しいことではないのに、人間を観念の世界で仕分けしてしまい、個々の人間が持っている生活や喜怒哀楽を理解しようとしないで観念の亡霊を警戒し、勝ち負けだけをことさら重視する偏狭な世界に住み慣れてしまうと、勝手に武装してしまったがために争いの起こるのを首を長くして待っているような、はた迷惑な存在にならんとも限りません。
 
 そのような排他的態度は、自らが作り出した排他性の恐怖に恐れおののき、やられるまえにやっちまえと身勝手な攻撃性のボルテージを上げるだけ上げて、戦いや争いに関心を持たないものまで無理に巻き込んで、背後に権威あるものの姿をちらつかせながら、みさかいなく戦争ごっこか怪獣ごっこをけしかけたがります。これは所詮、演出過多のバイオレンス漫画の読みすぎでしかないのです。ふつうであれば、こういう幼児性はタマキンに毛が生えそろうころまでには卒業し、あとはいろんな個性ある人間との出会いによっていろいろな価値観があることをまなびとり、勝ち負けという硬直した物差しもひとつの選択肢に過ぎないことを知るという具合なのですが‥‥。

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