よっしー本店

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 1月7日から4日間、夫婦でシンガポールに旅行に行ってきました。思えば、4日間も終盤になるとそれぞれに我が出てきて喧嘩も多くなり、気遣いというものを考える上でとても参考になります。
 
 まず、日本人ばかりのパックツァーでは物足りないという点では夫婦で一致しています。しかし、英語がそれほど堪能でない私たちは、そうは言いながらも程度の差があることを認識しておく必要があったようです。 シンガポールのセントーサ島に最初の2泊をした私たちは、土曜日曜であったために人手の多さに当初面食らいます。そのわりにはホテルのレストランは閑散としており、営業しているのかどうかも定かでない様子。まずは、水着とサンダルを買おうということで意見の一致を見た私たちは、ビーチをうろうろ。目的のものを手に入れた途端に、セントーサ島の旅行者らしくなりました。15分ほど歩いたところ、近辺の地理も分かってきて、たまたまあった別のホテルのレストランで食事。ここまで来ると、現地の人たちといくらかなりともコミュニケーションが取れたこともあって、気持ちの上で余裕が出てきました。
 
 次の日は、日中は水族館など島内の施設を見て周り、一度ホテルに戻ってプールでひと泳ぎした後、モノレールと地下鉄にのって市街地まで出て行きました。意外と地下鉄の切符の買い方を理解するのに手間取り、そうこうするうちに夫婦のストレスが表面に出てきました。さらに、ショッピングを楽しもうとする妻とショッピングに関心の薄い私との間に亀裂が生まれてき始めました。
 
 しかし、双方とも一人では頼りない存在なのです。私は体の動きに不安があり、また方向音痴です。妻は私以上に英語に不安があります。それぞれが自分に足りないところをカバーしてもらっているんだという意識に立てれば結構なのですが、なかなかそうは行きません。
 
 3日目の夜はナイトサファリのツァーに参加。久々に日本人と行動を共にしましたが、妙なもので日本人同士は気持ちがオープンにならないのか対話もこれといってなかったです。その後、市街地のホテルに一泊して、4日目の日中はリトル・インディアでカレーを食べて(これがなんと二人で8シンガポール・ドル=約750円)、夫婦共に満足したのもつかの間、ブギスやオーチャードでのショッピングではまたまた機嫌悪く、機中一泊して帰ってきました。そろそろ、夫婦がお互いを大切にしあう関係にならねばと痛感した旅行でした。
最近読んだ本:①「大本営が震えた日」(吉村昭著)、②「他人の顔」(安部公房著)、③「からくり民主主義」(高橋秀美著)、④「奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝」(ヘレン・ケラー)、⑤「孤高の人」⑥「八甲田山死の彷徨」(新田次郎著)、⑦「落日燃ゆ」⑧「官僚たちの夏」(城山三郎著)、⑨「北方領土交渉秘録」(東郷和彦著)、⑩「額田女王」(井上靖著)、⑪「『雨の木(レイン・ツリー)』を聴く女たち」(大江健三郎著)、⑫「思考停止社会」⑬「検察が危ない」(郷原信郎著)、⑭「事件」(大岡昇平著)
最近買ったレコード・CD:「Louis Armstrong his greatest year vol.3〜4」(Odeon)、Duke Ellington「New Orleans Suite」「Concert In The Virgin Islands」(Atlantic)、Dinah Washington「What a difference a day makes !」(Mercury→Verve)、Art Tatum「SOLO MASTERPIECES Vol.1〜2」(PABLO)
 
評:最近、視力が落ちて、そのうえ皮下脂肪がたまって瞼が重く、めっきり本を読まなくなりました。これでも、過去1年間に読んだ本で、すべて文庫本か新書です。面白いと思ったのは、①④⑥⑨⑩⑪⑬あたり。特に、⑨は興味深い内容で、東郷氏の文章表現力も作家並みで驚きました。ちなみに解説文を佐藤優氏が書いています。
 レコード・CDは、ここ20年くらいアナログのレコードを探し続けていたものばかり。幸いサッチモのオデオン盤だけは中古レコード店で見つけることができました。そのほかは、アマゾンから買ったCDで、輸入盤とはいえ、こんなに簡単に手に入るとは、拍子抜けがしないでもありません。
 いずれ劣らぬ名盤ばかりですが、ダイナ・ワシントンのCDはたしか「縁は異なもの」という邦題で出ていた代物で、ストリングスをバックに歌っているところは、「ダイナ」と同じですが、こちらのほうが曲ごとのアレンジに変化が乏しい反面、ダイナの歌に深みがあって、聴き応えがあります。テイタムのソロ・ピアノも想像したとおり素晴らしい出来。アート・テイタム、アール・ハインズ、テディ・ウィルソン、ファッツ・ウォーラー、デューク・エリントンと、このあたりのピアニストには脱帽です。
 
 休日には楽器の練習と決め込んでいました。若いころアマチュアのジャズ・バンドでやっていたころの楽しさが忘れられないのと、あそこをこうすればよかったという楽器奏法上の反省が積み重なって、もう一花咲かせたい思いでいっぱいになっていたのです。そして定年が射程に入ってきて、当然のように退職後のプランを一にも二にも練習にあてる、ああこれこそは20代のときにチャーリー・パーカーの伝記を読んで以来まさにあこがれていた日常生活ではないか、こういう環境がやっと実現するのだという期待に胸が熱くなっていたわけです。
 
 ところが、ここにきてさまざまな疑問がわいてきました。まず、もう上達は見込めないという現実。いやいや、それどころか人前で演奏できるレベルには二度と達しないのではないか、これはこの1〜2年を振り返れば明らか過ぎる答えでした。
同時に私には、まったく別の諦観に囚われていたのです。仮に多少上達するとしたにしろ、それがいったい何なのでしょう。周囲から賞賛を受けたいというスケベ丸出しの見え透いた発想、そんなことのために一にも二にも練習と息巻くことの滑稽さ。私はこれまで音楽に賭けた人生の選択が技能的にも心理的にもできなかったことは省みもせず、楽器を少しやっていたというだけで、ずぶの素人とは言われない程度のお調子者にすぎません。もうすでに若さと未来はなく、パーキンソン病というオマケがついて、よろよろの毎日です。この病気は決定的でした。私には永遠にオーネット・コールマンやマリオン・ブラウンのように解放的な演奏ができるようになる可能性は当然のことながら皆無であって、気がついてみればそんなことを夢見る自由さえもなくなっていたのです。
 
 まあ、私の数少ない長所のひとつは諦めようと思えば早いところ。愚痴っていても仕方がないので、これから先をどういうライフスタイルでいくのか、真剣に考えてみようと思います。ひとつの思いは、家庭で男女共同参画を実現することです。家事のプロになろうと思います。今のうちから少しずつではありますが、ライフワークに入れていっているつもりです。地味な営みを楽しんでやれたらいいなあと思います。
こういうことを達観させるために神様がチャンスを与えてくれたのかもしれません。

43年ぶりの同窓会

 5月3日に小学校のときの同窓会があったので、行ってきた。43年ぶりに会う旧友たちの顔また顔。昔の面影が色濃く残っている人もいれば、すっかり別人に生まれ変わったような人もいた。小学校のときといえば、朝鮮半島で内戦があったのに乗じて戦後の復興を果たした時代。一足遅れのベビーブームに乗った形で、近所には同学年の友達が多くいた。それでも戦後10年を経て生まれた私たちの小学生のころは、今と違って貧富の差が大きかったような気がする。中学校を卒業と同時に就職した友達も少なくなかった。それは学業の成績以前の問題であった。
 
 そんな時代の田舎の小都市に暮らす小学生は、その貧しさゆえ何かに飢えたかのように本能むき出しの日々を送っているという感じがしていた。一方、両親とも共働きで比較的経済基盤が安定した家庭――実は中学校にあがって他都市で生活してみると我が家の暮らしぶりは平凡そのものであったのだが――に育った私にとって、そのようなわずかばかりでも恵まれた暮らしは、ありがたいというよりはかえって疎ましく思えていたものだった。そう、その当時の私は目立つことを極力避けようとしていた。周囲の荒っぽい感性についていけず萎縮してしまい、個性は封じ込められたままだった。私の小学生時代とはそうしたもので、特に楽しい思い出というものはなかったのだ。
 
 そのころの自分が息を吹き返し、最初にこの話があったときも、億劫に感じた私は当初欠席を決め込んでいた。しかし、ひとつ気になることがあった。同じクラスのある女性と中学に入って別れ別れになってから2年以上人知れず手紙のやり取りをしていたのだ。当時会いたくても会えずに終わったことの無念さが、どこか心の片隅に残っていて、初老の身になっても、まだ糸が切れた凧のように行き先を失ったまま中空を泳いでいた。この機会を逸したら、二度と会えないだろう。ここは賭けに出る場面だと直感した。
 
 私は彼女が同窓会の開催に関わっていることを知り、出席の連絡をした。いまさら会ってどうするというわけでもなかったが、当時の思いを懐かしむことくらいは許されよう。
 
担任の先生といっしょに福岡市から飛行機で宮崎市に、それから特急電車で1時間20分、郷里の日向市についたときには、雨が降っていた。タクシーで会場に着くと、ただいま係の皆さんが2階で準備中です、とのこと。
 
 とにかく上がってみよう、との恩師の言葉に誘われて、階段を上がったところに受付。さあ、いよいよ会場だ。入ったとたん、一人の上品なご婦人が目に入ってきた。私の名札を見るなり、「おっとぉ」と驚きともつかぬ冗談めいた声を上げたところを見ると、ひょっとしてひょっとすると‥‥、思わず、名札を覗き込む私。えっ、うそ‥‥しょっぱなから出会うとは、この会場には50数名が集まろうというのに。
  
 さあ、どういう話し方をするかな。
 もう、ともに55歳。それなりの話し方があるというもの。
 戸惑っている私よりもさきに、彼女のほうから声をかけてきた。肝が据わっていたのは彼女のほうだった。私はその表情に見とれて、「昔の面影があるね。」と言った。
 彼女は、二人の娘を、私が通った私立中学に行かせたという話しや、50歳で教職を辞し、今は自宅でパッチワーク教室をやっているというような話をした。私は彼女が中学校時代、ブラスバンド部に所属していたという話を思い出し、「何をやってたんだっけ。」と聞くと、「ティムパニ」という答えが返ってきた。ああ、そうだった、打楽器のパートだったんだ。私は当時、交わした手紙の内容を辿ることで、この降って湧いたような偶然が現実のものであることを確かめたかった。
 それにひきかえ、私のほうは自分のことをあまり語らなかった気がする。話すことはいくらでもあった。病気をしたことや、人権教育や自尊感情に関心を持っていることなど。しかし、彼女が尋ねてきたのは、どこに進学しどこに就職したかというような教育者らしい問いで、私はそれらに率直に答えた。43年振りであるなら当然でもあろうが、そのような話では私という人間の輪郭はつかめないだろうという気もした。
 
 かつて手紙の中に表れていた表情よりも、いま見る彼女は小学生のころのイメージに近かった。昔のように自信に溢れて見えた。
 そうか。
 中学生のころは、二人とも恋愛ごっこをしていたに過ぎないのだな。
 私は共同幻想からひとり遅れて目覚めた気がした。
 
 気がつくと、彼女は自分の座席に帰っていた。 
 胸が熱くなりひとり黙りこんでいる私に、同じテーブルを囲むほかの女性が気を使ってきた。
 「Yくん。何かしゃべらんの?」
 照れた私は、「何をしゃべろうか考えよるとたい」
 「Yくんは誰がすきやったと?」
 「それは自分の口からは言えんな」
 「言ってよ」
 私はふざけて「あんたたい」と言った。
 
 そうこうする間に例の彼女とはそれっきりとなってしまい、彼女は1次会で帰ってしまった。しかし、これくらいの浅瀬で終わりにしておくのが、初老の男女としては妥当なところだろう。あとはお互いに、よい歳を重ねることを祈るのみだ。それぞれの生き方を尊重したいと思う。
  
 ほかにも大勢の人たちから、元気の出る言葉をもらった。小学生のころの私はとても絵が上手だったそうだ。リハビリのためにまた絵を描くように熱心に勧めてくれる方もいた。私には、パーキンソン病を乗り越えようという意思がようやく芽生えてきた。生活を工夫していくことでそれは十分に可能なことに思えてきた。昔、荒っぽかった感性の持ち主たちは、当然のことながら、みんないい親父や、なかにはおじいちゃんになっている者もいた。女性たちも、昔はずいぶん悪かったのにねえと笑っていたものだ。
 
 また、若くして亡くなっていた友人もいた。高校生まで一緒の友人で、親友の一人だったのでとても悲しかった。しかし、そのことから病気しながらもしぶとく生きながらえている自分自身が愛おしく思えてきたりもした。
 
 2次会でも大いに盛り上がり、泣き上戸のやつがいたりする中で、43年ぶりの同窓会は終わった。私は今後、失敗を繰り返しながらも、前向きな生き方が出来ると確信している。お世話してくださった方々に、感謝の気持ちでいっぱいだ。  
 私も高校生までは右翼だった。大して、物事を深く考えていたわけじゃない。ただ、日本は天皇制が最もなじむ風土じゃないか、なんて根拠もなく考えていただけだ。観念的に、あくまで観念的な発想で、在日の友達も誰一人いなかったころだった。読んでた本も偏っていた。
 
 ところが、ひょんなことから「差別」という社会問題のことが気になりだした。社会人になってからだ。天皇制に関する興味が急速に薄れていった。在日や被差別部落出身者の友達が増えてくるにつれ、具体的な実像を持たない観念だけの世界に対する懐疑心が、幻想を打ち破った。
 
 だが、いちどだけ天皇制というものにまた惹かれたことがある。昭和天皇が亡くなって、今の天皇の「即位の礼・正殿の儀」をNHKで見たときだ。それは非常に動きの少ない儀式だったように記憶しているが、その光景がすごく懐かしいものに思えて見ていた。自分はテレビの画面を通じて目にするものは100%近くが演出だと思っているが、あの演出は人心を動かす恐るべき装置であった。
 
 いまでは、天皇とは閨閥(けいばつ)維持のために「栽培」されている植物のような存在であると思っている。そんな私にとって、天皇個人に基本的人権が認められていないことがどうも気になる。基本的人権が侵されている人物が、国民の象徴だなんて絶対おかしいと思う。

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