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政治問題

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 政治問題って、あんまり特異な分野ではありませんが、どうしても口を挟みたくなる瞬間があるんですよねぇ。
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官僚の天下りについて

 毎日新聞によると、8月末時点で中央官僚から東京電力に天下りしている嘱託職員が47名いることが明らかになったと報じている。このような関連企業への天下りのすべてが悪いとは思わないが、国民生活に強い影響力を持ち、企業と省庁との癒着が懸念される場合は法律で禁止すべきである。警察官OBが興信所や探偵社に天下りするのもいただけない話だ。もっとも、現役時代に知りえた情報を漏らすことは、国家公務員法や地方公務員法によって禁止されていてこれに違反すると一年以下の懲役又は五十万円以下(地方公務員の場合は3万円以下)の罰金に処せられることになってはいるが、立証が困難な場合も多いと思う。
 この天下りや判検交流などという悪しき慣例は、それがどうしても具体的に必要で特に弊害も考えられないという場合を除いては、一刻も早く廃止していただきたい。そしてその例外となる事例は、国会で一定以上の承認を必要とするとか、あるいは第3者委員会に付託することなどでカバーできるのではないか。
 
 私は別に官僚がすべて悪いと思っているわけではない。外務省の官僚などは長年実務者レベルで協議を重ねた経験を生かして活躍してもらわねばならないような人物もいるであろうから、そのような経験は政治家がうまく引き出すべきと思う。問題は官僚の個人的な資質などではなく、システム化してしまった集団としての官僚が問題なのだ。
 何度も言ってきたことであるが、行政職から無試験で最高裁に判事としていくというはなしも裁判所が行政の一部と見られていた時代ならともかく、司法の独立という原則がないがしろにされてきた最も大きな要因と思う。しかも、これにいたっては裁判所法で認めているのだから、あきれるというほかない。最高裁の判事の皆さんがすべてではもちろんないが、国際的な人権感覚から大きく遅れをとっている。さまざまな多国間条約が新しい歴史を作り出していることにもっと敏感でなければと思うのだが‥‥。行政からの天下りで最高裁判事になるという人事は、せめてその人が行政分野で培ってきた見識が最高裁にどうしても必要というような例外的な場合のみに適用してもらいたいものだ。
 前原外務大臣の政治献金問題で、この件に関して前原大臣を擁護した江川紹子さんが、ツィッター上で中傷を受けています。もっとも、この問題では郷原氏と見解が分かれていて、江川氏は前原氏の政治手腕を疑問には思っているものの、たかだか年間5万円の政治献金で、それが日本でともに暮らす在日外国人からの献金であってみれば、そんなに大騒ぎする問題とは思わないというスタンス。
 
 一方、郷原信郎氏は、確かに政治資金規正法の趣旨からみれば重大な問題とは思えないとしながらも、あれだけ小沢氏の「秘書任せ」を批判しておきながら、「昔から支援してくれていた人」からの献金の事実を「知らなかった」では通らないとの見解で、両者には微妙なずれがあります。
 
 私は江川さんの方に味方したい気分ですが、そのようなことよりもこれをネタに江川氏をツィッター上から排斥しようと狙っている輩がウヨウヨしているような気がして、気になっています。小沢氏支持者が在日外国人問題では必ずしも見解が一致していないことを見越して、一部の民族派グループがかき回しにきていることが考えられます。小沢支持者をネット上で分断するのが目的でしょう。江川さんを中傷するツィートはヒステリックで、悪意に満ちています。
 
 在日外国人も社会を構成する一員だし、税金もはらっています。在日外国人からの政治献金を、一律に禁じているとしたら、政治資金規正法そのものを変えて、例外規定を設けるなどの丁寧な作業が必要な気がしています。
  昨日、民主党役員会が小沢氏を裁判確定まで「党員資格停止」とする提案をまとめたそうです。小沢氏処分には、国民世論といえば聞こえはいいけれど、要するに風説の流布とか流言飛語の類に国民の多くが踊らされている状態に近いものがあります。国民が自分の頭で考えるのではなくて、マスメディアが報じたままを信じ込んでいるだけでなく、その誤解を解いて国民の冷静な判断を促すべき政党が、よりによって、同じ過ちをおかしているのをみるにつけ、旧来の左翼活動家のうち、一体どれだけの人間が「基本的人権」のなんたるかについてまともに考えてきただろうかと愕然としてしまいます。小沢氏であろうが誰であろうが、基本的人権は多数決で覆されるものではないということを民主党は否定したということです。そういうことですぞ、菅直人さん。
 菅直人という人は、この基本的人権という概念を理解しておりません。野党時代に、国民年金のキャンペーンガールであった江角マキコさんに国民年金の未納期間があったことを槍玉に挙げて食ってかかったところが、よくよく調べてみたら菅直人本人も同罪であったという騒ぎのことを思い出します。そのうえ、その大恥を帳消しにすべく、お遍路さんになって修行して見せたり、まったく間の抜けたまわりくどい演出をしたことがありました。江角マキコに心から謝れば済んだ話のような気がしますけど、それができなかったのでしょうか。そんなことされても、江角マキコにしてみたら、くっだらねぇだけだったと思います。それと今回の小沢一郎処分もどこか似ているんですよね。菅直人という人は人間を大切にしない人なんだ。だからいわれなき理由で追い詰められた小沢一郎に対して、とどめの一発を浴びせかけるような真似ができるのでしょう。反吐が出ますな。
 小沢一郎が無罪になって復帰を果たしたら、菅直人をきっと許すだろうと思いますよ。くだらなさすぎるからです。格がちがうっつーの。でも、私たちは今の執行部を許しません。仙谷氏自身がかつて国会の法務委員会で使った言葉を借りるなら、「この恨み骨髄に達する」ということです。
 先日の記者会見で、小沢一郎氏が語ったなかで、印象に残ったことが2つありました。
 
 ひとつは、民主主義というのは、その前提として個人が自立していることが必要になってくる、というもの。たしかに、民主主義は、日本国憲法が不断の努力を国民に要求していることから明らかなように、私たち個人個人にとっても厳しさを伴うものです。その言葉で、私は郷原信郎氏の「思考停止社会」という言葉を連想してしまいます。
 
 なにごとも個人個人がまず自分の素朴な意見や考えを持ち、それを社会の中で育て、あるいは修正していくという作業を通じて、市民社会が成熟していくという考え方です。周りが皆そういっているから自分もそう考える、では駄目なんだと思います。まさに郷原氏がコンプライアンスは遵法精神にあらずと力説するのも、基本的には法律とは警察や検察が目を光らせるためのものではなく、法律の意義を市民が見出し、創造性と結びつけることによってより建設的なものにしていくことが、これからの時代に必要とされるでしょう。
 
 小沢氏の言葉の中でもうひとつ印象的だったのが、<自分は企業からの献金が悪いとは思っていない。ただ自分は、その事実をオープンにする。それを見て、納得できない人は私に投票しないだろう。>ここでも、市民が自分の価値観で動くことが期待されております。もっとも、いわゆる贈収賄やそれと軌を一つにしたお金はきっぱり否定しており、そういう人物とは会うこともないといわれます。これが小沢流の価値観でありましょう。業界がひとりの国会議員を支持して、献金をする、ただしこれらのお金については常にオープンにする、と。首尾一貫していますよ。私も企業献金が全て悪く言われるのはおかしいと思っていました。特にこれから大事にされなくてはならない業界の声を聴き、そこから献金を受けることは個人献金の趣旨に近いものがあり、法人にも政治的意見をもつ権利があるとおもいます。
 柳田前法相の「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっております」という二種類の答弁だけでことたりるという意味の発言をめぐって、国会が紛糾し、ついに更迭という事態になった。マスメディアの言い方を拝借すれば「国会軽視発言」。柳田氏がただの軽口としていったものなのか、それとも法務省官僚(70%は検事)からそういう言い方をするように指南され、そのとおりに言わざるを得なかった自分自身を情けなく思うと同時に、それがそのまま通用する国会を皮肉って言ってみたものなのかは不明であるが、後者であるとしたら、国会を軽視しているのは法務省の官僚たち、すなわち検事たちでもあった。
 
 私に言わせれば、柳田氏の発言で気になっていたのは、むしろたびたび彼が答弁で口にしていた「国会で決まったことを粛々と行っていきます」という、いわでもがなの「国会重視発言」の方なのだ。あるいは、「第三者機関に論議してもらって出てきた答えに従いたい」というような、自分自身の意思があるのやらないのやら分からない表現だった。これらの「丸投げ」表現を理由に柳田氏を批判する気にはなれない。はっきり言って、この人は法務に関しては素人であって法務大臣というポストは全く不向きであり、菅首相が柳田氏のどういうところを買って法相に任命したのか、さっぱりわからなかったのだ。そういう意味では、建前で蓋をしてしまった格好で、問題の本質を見ようとしない自民党とメディアの姿勢には改めて失望であったが、菅総理の任命責任についてはまったく別の理由からではあるが問われて当然だと思う、というかずっと思っていた。
 
 ところで、柳田氏更迭の理由は国会軽視ということであったのだが、どういうところが国会軽視に当たっているのだろうか。「個別の事案についてはお答えを差し控えます」「法と証拠に基づいて適切にやっております」という2種類の答弁だけで事足りるとした姿勢に誠意が見られないからだとしたら、自民党の歴代の法務大臣は誠意を見せていただろうか。
 個別の事案云々という答弁に関しては、刑事訴訟法47条の「訴訟に関する書類は、公判の開廷前には、これを公にしてはならない。但し、公益上の必要その他の事由があつて、相当と認められる場合は、この限りでない」という条文が根拠になっているというが、後段では公益上必要な場合を例外としており、この部分が事実上法務官僚の匙加減にゆだねられていたことが問題の本質であって、これを誠意がないと国会が判断したのならば一定の規準を示すとかという方向に向かうべきであったはずで、そうならずに与党を追い込む手段としてのみ機能していたということは、野党の側も「国会軽視」ならぬ「国民軽視」という謗りは免れないと思うが、いかがであろうか。

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