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郵便不正事件において検察官による「証拠のねつ造」が発覚し、法務省は「最高検検証チーム」や「検察のあり方検討会議」を設置し、抜本的な検察改革を実施することを国民に約束しました。
それにもかかわらず、今度は検察の内部で事実と異なる捜査報告書を作成し、それを検察審査会に提出することで同会を誘導しようとしていた疑いが生じています。しかしながら、それらに対する関係機関による調査や再発防止に向けた取り組みがあまりに不十分であり、そのことに危機感を募らせた国民、有識者、国会議員が集い、平成24年5月29日、「司法改革を実現する国民会議」を発足させ、緊急アピールを採択、今後具体的な行動を重ねていく旨、明らかにしました。
一方、森ゆう子参議院議員はご自身の公式サイトで、起訴議決制度に係る検察審査会法の平成16年改正の概要を紹介し、検察審査会制度にかかわる問題点を9項目挙げ、検察審査会法改正案骨子案を挙げておられます。このなかで「検察審査会制度に係る問題点」のなかで引用してある早稲田大学大学院法務研究科教授 今関源成氏「検察審査会における強制起訴 ― 『統治主体』としての『国民』」(法律時報)という文章が興味を引きました。以下、引用(下線は引用者)します。
検審法は、「民意」の反映を謳い、検審の民主的正統性を示唆する。しかし、通常の用法では民意は選挙等を通じて表明される「国民の多数派の意思(あるいは一般意思)を指し、個々の国民あるいは部分集合の意思がそれ自体で民意を僭称することはできない。無作為抽出の11人の意思は、選挙に基づくものではないし、内容的に国民全体の民意の縮図となっている保証もないので、検審の民主的正統性を語るのは難しい。[略]検審法の民意は、「一般国民の良識」などと言い換えられてきたが、「良識」をもった「一般国民」であれば、それだけの資格で検察官の代わりに人を起訴してよいとは言えないだろう。良識や常識は、時として法の敵対者である。検審は「一般国民」(素人)の参加制度として、当然のことながら専門職という資格に由来する正統性を持たない。強制起訴を行う正統性は曖昧である。
実に胸の中でもやもやしていたものが一掃されるようなもっともなご意見だと思います。私たち、国民がこのような民主主義に似て非なるものを見分ける能力を磨くことも大切です。他方、そもそも、法律を作る際には、国会議員のなかにも憲法の専門家がおられるでしょうが、立場上、党利党略にからめとられてしまいがちですので、憲法学者などで組織された第3者機関を設けて、その意見を参考にしていくことが必要かと思います。それも、そこで出てきた結論を重んじるのではなくて、どういう審議がなされたかという経過や過程のほうを重要視するという方向で活用を図ったほうがよいと思いますが、どんなものでしょう。
いずれにせよ、司法制度改革の名のもとにこのような民主主義に似て非なる制度が取り入れられたことに愕然とします。制度改革というものには、具体的に改革を必要とする動機が明確でないと、プランが一部の権益に利用されて、国民不在の結果に陥ってしまうことがありがちです。原子力行政をはじめ、あらゆる施策に共通することだといえるのではないでしょうか。
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司法・冤罪等
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八木啓代氏のぶろぐに興味深い記事が紹介されている。雑誌「世界」に掲載されたフリージャー ナリスト江川紹子氏による次の文章だ。
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副島健一郎著「いつか春が」(不知火書房)と市川寛著「検事失格」とは、同じ「佐賀市農協背任事件」という冤罪事件を被告サイド(著者の副島健一郎氏は被告であった佐賀市農協組合長の副島勘三(かんさぶ・故人)氏の二男)と担当した主任検事であった市川寛氏(現弁護士)とが、それぞれの立場で、ともに冤罪を二度と許さないとの立脚点から「事件」を描いたノンフィクション小説であります。元来、対立していた立場にあったお二方が、それぞれの作品の発行に4年近い時差があるとはいえ、検察という組織に内在する面子や組織防衛の論理を敵として描いている点で共通しており、作品としての価値はいわずもがな、資料としてもきわめて貴重であります。とくに「検事失格」において市川氏が副島氏宅を訪れる場面は圧巻で、市川氏の勇気、そして氏を受け入れ、最終的に市川氏に励ましの言葉をかける副島夫妻の暖かさに目頭が熱くなりました。
また、被告であった勘三氏の描き方に両者で相当異なるのも、私には逆にリアルな印象として残りました。人間とは環境や相手によってかくも変わるものだということ、そしてその時点では本人も気がついてないのかもしれません。良い意味で一貫した人間などいない、と思います。
市川氏の「ぶっ殺すぞ!」という暴言が一度きりであったのか、毎回のようにあったのかも、市川氏自身、無意識のうちに発していたかもしれないと認めている以上、詮索しても仕方のないことです。むしろ、同氏が言うように、そのような記憶のあやふやさを克服する意味でも、取調べの全面的可視化が必要であるとの指摘に注目したいと思います。
市川氏の勇気を引き出したと思われる八木啓代氏の懐の深さといい、月並みな言い方ですが、心の広い方々が沢山いらっしゃるなあと自分自身、有意義な反省の機会とさせていただきます。
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引き続き、拷問禁止委員会からの質問に対し、日本政府がおこなった回答に嘘や論理のすり替えはないかをチェックしていきましょう。以下は、「拷問等禁止条約 第2回政府報告に関する拷問禁止委員会からの質問に対する日本政府回答(仮訳)」からの抜粋です。
〈質問〉
3.拷問禁止委員会及び自由権規約委員会は,特に,公判前勾留の実施について司法による効果的な監督がないこと,及び無罪判決に比べ有罪判決の数が不均衡に高いことにかんがみ,刑事裁判において主に自白に基づく有罪判決の数が多いことに深い懸念を表明した(拷問禁止委員会最終見解パラ16及び自由権規約委員会最終見解パラ5)。こうした懸念に対応するためにとった措置についての情報を提供されたい。
(答) 公訴提起前の勾留については,刑事訴訟法上,被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり,かつ罪証隠滅や逃亡のおそれ等が認められる場合にのみ可能とされており,検察官による勾留請求及び勾留延長請求等に対し,裁判官が被疑者の基本的人権にも十分配慮した上で,その可否を判断している。 なお,検察官は,従来から争いのない事案であっても,自白のみに依拠することなく,裏付け証拠はもとより,客観証拠を十分に収集し,的確な証拠によって有罪判決が得られる高度の見込みのある場合に限って起訴することとしており,公判においても,同様に,客観証拠に基づく十分な立証を行っているのであって,「主に自白に基づいて」有罪判決が下されているものではない。 まず第一に、委員会が「公判前勾留の実施について司法による効果的な監督がない」と制度の運用面や実質的な効果に言及しているのに対して、日本政府の回答は法令の条文をなぞるという誠意のないお粗末な内容で、しかも日本国内に批判的な意見が存在しているにもかかわらず、こういう回答をしているということをマス・メディアは報道してきたのでしょうか。
また、次に気になるのが「裏付け証拠はもとより,客観証拠を十分に収集し,的確な証拠によって有罪判決が得られる高度の見込みのある場合に限って起訴することとしており,公判においても,同様に,客観証拠に基づく十分な立証を行っている」の部分です。ここで思い出されるのが、2011年9月29日の「陸山会裁判」判決で確たる客観的証拠もなく「推認」により有罪判断をした東京地裁の登石郁朗裁判長の判決ですが、同判決に限らず「和歌山カレー殺人事件」など動機が明らかにされないまま死刑が確定した例もあるほか、「足利事件」などの冤罪事件が一顧だにされていないことに強い怒りを感じます。
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国連関連の情報が得たいと思って外務省のホームページをあけると、「外務省案内」「渡航関連情報」「外交政策」‥‥とインデックスがありますが、「国連」に関連するインデックスがありません。そこで、ページをずっと見ていきますが、玄葉外務大臣がいかに活躍されているかという記事ばかり目に付いて、国連関連のコーナーが分かりにくいなあ、っと。元来探しものが苦手な私ですのでうまく見つけることができません。あ、申し遅れましたが、私が探している情報というのは、国連の「規約人権委員会」か「拷問禁止委員会」だか詳しいことはわかりませんが、国連側が日本の検察や警察による取り調べに対してどういう見解を持っており、または条約に基づいた要求をしており、それに対して日本の政府がどのような回答をしているのかというところを確認したいわけです。
ついに私はページから見つけることを諦めて、同ホームページの右上にある「フリーワード検索」というコーナーを活用することに。そこで、「拷問禁止委員会」と入れまして、ようやく見つけましたのが「拷問等禁止条約 第2回政府報告に関する拷問禁止委員会からの質問に対する日本政府回答(仮訳)」という2011年7月に公表された文書です。
すると、日本の国内法で「拷問」の定義に関する質問があり、それに対して次のような回答を日本政府がしております。
(質問)
1.前回の最終見解において拷問禁止委員会(以下「委員会」という)より勧告された,拷問等禁止条約第1条に含まれている拷問の定義を国内法に取り入れるためにとった措置につき情報を提供されたい(最終見解パラ10)。特に,刑法における「精神的拷問」の定義,及び,該当する行為に対する罰則についての情報を提供されたい。
さらに,締約国の刑法が,あらゆる職種の公務員,又は,公務員若しくはその他の公的資格で行動する個人の扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下で行動する個人を含め,公的資格で行動する個人を対象としているのか否かにつき説明されたい。 (回答)
1 本条約(拷問禁止条約―引用者)にいう拷問に当たる行為(未遂及び共犯を含む。)については,我が国の刑法上,特別公務員暴行陵虐罪,特別公務員暴行陵虐致死傷罪等のほか,内容によっては,公務員職権濫用罪,暴行罪,傷害罪,遺棄罪,逮捕・監禁罪,脅迫罪,並びに,殺人罪,強制わいせつ罪,強姦罪,強要罪及びこれらの未遂罪等刑法等における種々の犯罪又はこれらの共犯に当たることから,敢えて,新たに本条約における拷問の定義規定を設ける措置は講じていない(下線等引用者)。 精神的拷問については,看守者等が被拘禁者に対し精神的苦痛を与える行為も特別公務員暴行陵虐罪に当たると解されているなど,精神的な拷問行為についても,その主体,態様,結果等の相違に応じ,同罪のほか,公務員職権濫用罪,特別公務員職権濫用罪,逮捕・監禁罪,脅迫罪,強要罪,強制わいせつ罪,強姦罪等として,処罰の対象とされている(中略―引用者)。 2 また,これらの犯罪について,共謀又は加担に当たる行為をした場合には,公務員であるかどうかを問わず,現行刑法上の共犯規定によって処罰の対象となる(共犯に関する刑法の規定は,以下「(参考2)」のとおり。―引用者省略)ことから,我が国の刑法は,公務員の職種を問わず,公務員,その他の公的資格で行動する個人の扇動,同意,黙認の下で行動する個人を含む,公的資格で行動する個人を対象とすることが可能である。 さて、順序が前後して申し訳ありませんが、拷問禁止条約(拷問及び他の残虐な、非人道的な又は品位を傷つける取扱い又は刑罰に関する条約)第1条1項には次のように定められています。
「この条約の適用上、『拷問』とは、身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず人に重い苦痛を故意に与える行為であって、本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ること、本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰すること、本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することその他これらに類することを目的として又は何らかの差別に基づく理由によって、かつ、公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるものをいう。『拷問』には、合法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることを含まない。 」
たいへん読みにくい訳文ですが、「拷問」の定義として整理すると、次の4つの条件をすべて満たす場合が「拷問」にあたると思います。
①身体的なものであるか精神的なものであるかを問わない
②人に重い苦痛を故意に与える行為(合法的な制裁の限りで苦痛が生ずること又は合法的な制裁に固有の若しくは付随する苦痛を与えることを含まない。)
③次の目的・理由の一部または全部によっておこなわれるもの
ア.本人若しくは第三者から情報若しくは自白を得ることを目的としておこなわれるもの
イ.本人若しくは第三者が行ったか若しくはその疑いがある行為について本人を罰することを目的としておこなわれるもの
ウ.本人若しくは第三者を脅迫し若しくは強要することを目的としておこなわれるもの
エ.その他これらに類することを目的としておこなわれるもの
オ.なんらかの差別に基づく理由によっておこなわれるもの
④公務員その他の公的資格で行動する者により又はその扇動により若しくはその同意若しくは黙認の下に行われるもの
被疑者や参考人は一個人である場合が多く、検察や警察の組織力の前にはか弱い存在です。これまでは、検察や警察の無謬性(間違いを犯すことがないという意味)があたりまえのように信じられてきましたが、それはすでに神話にすぎないという見極めがいまこそ必要です。私たちは事故や災難からみずからをまもるように、警察・検察という一歩まちがえば恐ろしい組織から自分たちをまもっていく責任を国家から投げ返されたとも言えます。そして安全な法整備を器として確保した上で、あらたな信頼関係を国民と国家とで築き上げることしか選択の余地はないのではないでしょうか。
そのためには、ここから先は「拷問」なんだというラインが必要で、それをあらたに法律で明らかにし、国民に対して啓発していくことが有効であると思います。こういう国連の情報すら国民が知り難い環境にあっては、法律で国民全体の啓発に向けて国家を義務づけることまで必要であると私は思います。
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