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司法・冤罪等

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 全体的な印象を言うと、郷原委員や江川委員のようにかなり具体案に踏み込んだ発言をされている方がおられる一方で、主観的で観念的な意見とが交錯しているという印象があります。せっかく、郷原委員が具体的な提案をしても、他の委員さんがそれについていけていないという、意見の頭出しの問題があります。会議のあり方としては、全体的な流れが優先され個別の具体案が埋もれてしまっているという印象を強く持ちました。
 もっとも「検察の在り方検討会議」では議事録にまとめてありますから、最終的に国民の目にはすべての意見が見えるわけですけれども、リアルタイムに会議の流れや委員さんの意見同士を反映させるという意味においては論議の成果が漠然としたものになってしまいそうで、ちょっと不安があります。
 
 郷原氏の意見は、議事録の26ページに書いてありますが、全面的可視化のネックとされる関係者のプライバシーの問題などを踏まえての意見だと思いますが、一部可視化と対立的に捉えるのではなく「可視化」と「証拠化」とをひとまず区別して、それらが無軌道に可視化されるのではなく、現に不当な取調べがあったときの証拠を担保する意味で保存し、被疑者と検察側との間でパスワードを設定し両者の合意なくしては開示ができないようにする案など、かなり具体的に踏み込んだアイデアが提起されています。
 江川委員の意見は、範囲を特捜部や独自捜査に限定するのではなく、検察全般に広げて考えるべきとして特に障がい者が被疑者となった場合のコミュニケーション方法の確立など問題点を指摘。これには、他の複数の委員からも同意が寄せられ、原田委員からは少年の場合もふくめて優先的に全面的可視化を導入する必要性が意見として出されました。
 石田委員は笠間検事総長の講演についてふれ、捜査過程を検証するには外部からの検証と,検察庁内部での検証の双方が必要であるということを,是非提言に盛り込んでいただきたいと述べています。
 「検察のあり方検討会議」(座長:千葉景子氏)が座長試案を取り纏めて各委員に配布したらしい。いくら当初から年度内に取りまとめる予定だったとは言え、時期が時期だけに拙速との批判は当然起こるだろう。江川紹子さんは延期を求める要望書を提出しているらしいが、日本国中の関心が今回の震災とそれに続く福島第一第二原発事故に集中しているうえに、江川氏、郷原氏とも震災支援に寸暇を惜しんで協力していた時期にあって、予定通り事務を進める法務省の神経は相当なものである。
 しかも、その座長試案というものが、特捜部存続、検察内部に監察部を設けるという、いかにも新鮮味のない案であってあってみればなおのこと。国民の関心を引いておいて、この程度の試案しか出せないのであれば、単なるセレモニーだったのかということです。
 
 上記のブログにもあったとおり、検察から捜査権を切り離し、公訴権だけにしてしまうというのも当然議論されてよいテーマ。いますぐに検察独自捜査を廃止することが困難であるというなら、検察独自捜査は全面的には問題が多い以上、被疑者はもとより参考人を含めて全面的に可視化すべきである。そのほか、多数の検事を特捜部に常時配置しておく必要があるのかどうか、また特捜部における労働環境面の問題点など、議論すべきテーマは多かったはずだ。
 とくに国民の注目を浴びている可視化の問題については、問題点を具体的に挙げて、結論を出すべきで、それが困難なら期間を延長すべきであって、上のような中身の薄い結論しか出せないのであれば、座長を替えていただくことも検討していただきたいものだ。
江川紹子さんの3月15日のツイートから(以下、転載)
 
1)大阪府警東署で警察官から凄まじい暴言吐かれ、その”取り調べ”状況を録音して公開した男性。警察が”発掘”してきた窃盗罪で逮捕され、さらに暴言事件の元になった強要未遂事件で再逮捕。府警と大阪地検は、さらに身柄拘束して”取り調べ”を続けようとしたが、大阪地裁は弁護人の異議申立を
2)認めて勾留を取り消す決定をした。警察・検察側に、罪証隠滅や逃亡の防止という本来の勾留の目的を逸脱して、不当に長く拘束しようという意図がある疑いあり、と裁判所が断じる。そもそも阪地検は、任意の事情聴取の際に、激しい暴言と事実上の拘束を行った警察官の職権濫用罪を逮捕もせず、
3)最高刑が懲役7年の特別公務員暴行陵虐罪から罰金刑もある脅迫罪に落として略式起訴。大阪簡裁は略式になじまないとして、このもくろみを覆し、大阪地裁で裁かれることに。その警察官の裁判で、暴言被害者の男性が意見陳述することが決まっていたのに、その前の逮捕、再逮捕、そして勾留
4)しかも、大阪府警は重要証拠として押収した男性のパソコンに記録したデータを「過失」により復元できない状態に「消去」した、という不思議な事情もある。検察が警察のチェック機能を果たせず、露骨な警察擁護に出る中、大阪の裁判官たちの中には要所要所で歯止めを果たそうとする人もいるようだ
5) 報道が地震に集中している陰で、実は日本の「かたち」に関わる他の重大なニュースもある。わらしの関心事でもある冤罪とか、検察のあり方の問題もそう。大メディアほどの伝播力はないけれど、できる限り、そういう事柄も、しっかりつぶやいていこうと思うにゃり
(以上、転載終わり)
 
 
 まずは、江川紹子氏のツウィート記事によると、法廷で明らかになったのは小沢事務所の実情がかなりアバウトでドタバタであった事実で、これが検察やマスメディアの想定した認識とかなりズレがあると指摘している。そのうえで、小沢事務所側のルーズさを指摘する声に対して、江川氏は別の角度から興味深い問題提起をしている。
 
 氏いわく、「考えるべき問題その1)こういうアバウト&ドタバタは小沢氏の事務所だけにゃのか 2)きっちりするにはプロの会計担当者が必要。そのために金をかけることの意味 3)これが刑事罰に馴染むのか」
 
 要するに、政治家の事務所に政治資金規正法が法的な縛りをかけていることは当然としても、条文解釈上、どのあたりで現実的な折り合いをつけることが可能か、ことに政治資金収支報告書の書き方等の事務的なことが直ちに特捜検察の解釈下において結論付けられ、今回のような会計責任者による判断の微妙な食い違いを特捜検察の解釈から外れているという理由で関係者が逮捕されるということが、はたして適当なのかどうか。この問いかけは、法律の趣旨に立ち戻ることなく運用の議論も十分でないままに、とにかく厳しくすることが国民の利益にかなうのだという神話化された認識がマスメディアによって前提にされていることに対する、郷原氏の「思考停止社会」批判とも通じていると思う。
 
 つまり、総務省の見解も微妙な状況下であれば会計責任者が判断に迷うのは当然であるにもかかわらず、それが誤っていたからといって「虚偽記載」とされ有罪とされるならば、罰則を伴う法律の運用が、担当部局でなく一律に検察当局の判断にゆだねられるという、民主主義の根幹を揺るがす大問題となる。「国民主権」ならぬ「検察主権」国家の誕生だ。
 
 また、今回の裁判では、検察側の論点のすり替えがマスメディアによって予断の拡散効果となっている面や検察審査会が政治的に利用された疑いなど、司法をめぐる課題とするに十分な問題が密接に絡んでいる。
 
 いま、最も問われていることのひとつは、この裁判が小沢事務所に関する事例にとどまるのか、政治家の人権と民主主義に関るものであるのかという見極めであると思う。私が後者であると思う理由は、検察当局内部から改革に対する前向きなアイデアが聞こえてこないばかりか、批判的な声に対して恫喝的な言動や脅しとも受け取られる事例が数多く寄せられている点だ。さらに政治家や一般国民を力で蹴散らそうとする勢力とマスメディアとが、同じ方向を向いているという、信じがたい状況が展開されているという現実がある。
 
 最近、国内の各地で大規模なデモが行われていることがテレビからつたわってくるだろうか。伝わってくるのは、芸能人の覚せい剤にかかわるニュースであったり、国外の問題に絞られているのではないか。元来、「知る権利」とは、「表現の自由」と表裏一体のものとして主張されてきたという。すなわち、表現される内容が国民に知らされなければ表現されたことにならないからだ。デモとは合法的に行われる限りにおいてまさしく政治的な表現にほかならないではないか。それを報道しないというマスメディアを信用しろというほうがおかしくないか。小沢問題と国民の権利とは対立軸にあるのではなく、利害が共通した問題なのだ。
 石川知裕さんの裁判に関して、江川紹子さんが2月9日にご自身のホームページに書かれた文章がありましたので、転載いたします。


同時に裁かれる特捜〜石川知裕議員らの初公判を傍聴して

2011年02月09日
 政治資金規正法違反の裁判だというのに、検察の冒頭陳述はまるでダム建設の受注を巡る汚職事件のようだった。嫌疑がはっきりしているなら収賄罪で立件すべきで、それができないものを、被告人らの悪いイメージをかきたてる印象操作に利用するというのは、フェアと言えるだろうか。

 弁護人の冒陳で驚いたのは、大阪地検から応援で派遣された前田恒彦元検事(証拠隠滅で起訴)が、大久保隆規元秘書を約2週間にわたって取り調べた際、ほとんど検察事務官を同席させることなく、完全な密室状態だった、ということだ。そこで前田元検事は、時に号泣するなど不可解な言動もあった、という。

 さすがに検察側はこの調書の証拠請求を撤回したが、弁護側主張が事実なら、東京地検特捜部はなぜこのような取り調べを許していたのか、説明を聞きたい。

 また、石川知裕衆院議員の女性秘書に対する事情聴取は、任意であるはずなのに、子どもを保育園に迎えに行くことも電話をすることも許さず、10時間にわたる威圧的なものだった、と弁護人は主張。池田光智元秘書の弁護人も、調書への署名を迫った検察官から「署名しなければ保釈されない」「署名すれば悪いようにしない」などと取り引きめいた発言があったと指摘した。

 石川議員が、保釈後に受けた取り調べを録音した内容も印象的だった。検察官がしきりに、捜査段階の供述を変更すると小沢一郎民主党元代表に不利になる、という趣旨の話を執拗に繰り返している。石川議員が、いくら「(小沢氏に借り入れた)4億円を隠すために時期をずらしたわけではない」と説明しても、検察官は聞き入れない。3時間半後には石川議員も「分かりました。忸怩たる思いが…仕方ないです」と主張を通すことを諦めたようだ。

 こうした状況からは、検察側の筋書きに沿わない調書は絶対に作成したくないという検察側の強い意志が伝わってくる。大阪の郵便不正事件でも、検察の筋書きに合わない供述は調書にしてもらえない、という問題があった。特捜検察に共通する問題かもしれない。

 今後の公判では、取り調べ検事も出廷する。被告人3人だけでなく、特捜検察の捜査手法も同時に裁かれている、と言えるだろう。(転載終わり)

 産経新聞によれば、こういう取調べ(しかも起訴後)が刑事訴訟法上問題がないと法務省検察当局が見解を述べていると書いております。それに対して、郷原信郎氏が誰の発言か書くならしっかり書くべきだとおっしゃっているのでしょう。この取調べ自体もさることながら、これを「問題がない」と言って憚らぬ特捜検察とは、どういう感覚をお持ちなのでしょうか。
 
 法務省官僚の多くが検事であることを考えたとき、検察審査会も裁判員制度もこういう感覚から生れ落ちたものであるということを肝に銘じておく必要があると思います。これでも、日弁連は裁判員制度が司法に市民感覚をとりいれるために設計されたとおっしゃるのでしょうか。検察当局が市民感覚を大切にしているなら、産経新聞は検察当局の少数意見をコメントとして載せたということになりま‥‥我ながら、少々、論理に飛躍がありましたが、そういうことが疑われても仕方がないとは思います。それに、こんなシンプルな批判もテレビや大新聞ができないとは‥‥。どうも胡散臭いなぁ。
 
 ところで、上記の産経新聞に面白いことが書いてありました。石川被告が録音していたことに関して、
「一方で『全体の流れ、文脈があるわけだから、限られた言葉だけを取り出して判断するのは危険。録音した人の思惑もあるわけだから』との意見もある。」と‥‥。
 だから、「一部可視化」じゃなくて「全面的可視化」を求めてんの、オワカリ? それに石川さんは5時間に及ぶ聴取の模様を録音していたと記憶しています。5時間分の証拠ならば文脈もあきらかになるのでは。

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