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死刑制度

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 光市母子殺害事件。
 元少年の犯した重い過ち。
 そして重い過ちを悔いることさえ許さない死刑制度という名のもうひとつの殺人。
 死刑判決を出した広島高裁の差し戻し審判決文は、当時少年であった被告が供述を翻したことを重視した、まるで人間には曖昧さや矛盾があってはならないと言わんばかりに。
 
 マスコミ報道が正しいという前提で言うと、私がもし当時この少年に出会っていたら、たぶん嫌悪感でいっぱいになったろう。
 短絡的な犯行、ブレーキの利かない「性格」、反抗的な態度‥‥どれをとっても正直なところすすんで友人になりたいという気にはなれない。
 
 でも、こいつだって、生まれてきたときはおぎゃあと泣いたんだろう、ほかの赤子がそうするように。
 こいつだって、生きていくのに便利な嘘はついただろう、世の中の大人がそうするように。
 こいつだって、あったかいラーメンでも食った後は身体が温もっただろう、ほかの労働者と同じように。
 こいつだって、しかるべき出会いがあれば、成長もしただろう、検事さんたちと同じように。
 こいつだって、エロビデオの世界と現実との区別がつくまで多少の年数は必要だったろう、身勝手で馬鹿な多くの男どもと同じように。
 
 どうせ、ろくでもない奴だったにちがいない。
 嘘は尽くし、身勝手だし、態度でかくて反抗的だし。
 裁判官や弁護士のようにアタマよくねえし。
 
 でも、殺すことはねえんじゃないの?

 私たちは死刑がどのようにおこなわれるのかもっと知る必要がある。
 情報が公開されてはじめて世論調査が意味を持つ。
 死刑をタブー視してはならない。
 現に行なわれていることなのだから。

死刑囚の交流誌

 ブログを通じて知り合ったオリセンさんから、拡散の要望があっていますので、ユニテ通信「希望」63号の紹介オリセンさんの紹介記事を転載いたします。(転載開始)

  暫くブログの書き込みをサボっていました。特に忙しかったわけでもないのに、なんとなく他人との交流が億劫になっていたのです。やっと、元気が出てきたので、また再開いたします。
 
 全国の死刑囚有志がお互いに連絡を取り合って交流しているのですが、その交流紙を紹介しようと考え、サイトを立ち上げました。
 現在63号目です。http://unitykibou.blog10.fc2.com/blog-entry-6.html をクリックしてください。出来ればこの情報を広めてくだされば幸いです。

 死刑囚の処遇は未決囚に準じると法律に定められているのですが、実際の処遇は非常に厳しく制限されていて、外部との交流は自由にできません。
 家族・肉親以外には、特に死刑囚の精神的な平穏維持に役立つと認め、許可された何人かと連絡できるだけです。家族からも見放され、友人もいない囚人の仲には、塀の外に一人も文通相手がいないケースも珍しくありません。

 そんな限られた交流手段の中で、お互いに連絡し合うというのは大変難しい。それでも彼らはお互いに励ましあったり、情報を交換したりしているのです。ユニテ「希望」はそんな彼らの苦心の結晶です。

 もちろん彼らの最大の関心事は「いかにして死刑執行の日を1日でも延ばすか」ということ。
 一般市民の感覚では、執行を延ばすために皆で作戦をめぐらしているサマを見聞きするのは不愉快な点もあるでしょうが、あす処刑されるかもしれないと、絶えず怯えて生きている彼らの心情も判ってあげて下さい。

 死刑制度の話は別項で是非語りたいと思います。

(転載終了)私自身の死刑制度に対する見解はこちらです。

 http://www.geocities.jp/yossie_70/shikeiseido-hanrei.pdf 昭和23年3月12日最高裁判所大法廷判決文

   ――――――――

憲法第十三条【個人の尊重、生命・自由・幸福追求の権利の尊重】
 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法第三十一条【法定手続の保障】
 何人も、法律(刑事訴訟法等)の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

憲法第三十六条【拷問及び残虐な刑罰の禁止】
 公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁止する。

   ――――――――

 最高裁の判決文も昨今の例は論理性が疑問視される例がいくつかあって、その原因のひとつが行政枠からの任命にあることは横尾元判事の例に顕著に現れているように私は思いますが、戦後間もない時代の判例には、果たして論理性が十分であったかどうかは疑問の余地があるにせよ、ぴりぴりとした緊張感が伝わってきます。
 冒頭に引用したのが、最高裁が死刑制度を合憲と定めた判決であります。要旨は、憲法第36条で公務員による残虐な刑罰の禁止が謳われてはいるが、憲法第13条の反対解釈により「公共の福祉」に反する場合には生命の権利といえども制限ないしは剥奪されることが当然予想されていたと考えられるし、さらに第31条の論理的帰結として、法律の定める適理の手続によって、生命を奪う刑罰を科せられることが明らかに定められていると説いております。そして、第36条にいう残虐な刑罰とはその執行方法に限定され、例として火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの刑が示されているのです。

 この判例を国連の場で明らかにすることが躊躇われるために、歴代の自民党内閣は国連の人権委員会などと距離を置き続け、マスメディアにも国連の情報を控えさせていたのではないかと疑わざるを得ないような、今となってみれば野蛮きわまる論理展開であります。

 まず第一に、第13条の解釈にあたっては「公共の福祉」という概念が広すぎて、現在の「人権同士のぶつかり合い」の場合に限られるという解釈との間にギャップがあります。 さらに31条の解釈も、「生命が奪われること」=「死刑」という単純な発想に基づいており、「獄死」という観念が想定されていないこと。つまり、収監中も法令により生命の安全管理には十分配慮されなければならないことを示した条文であって、反対解釈で死刑を是認する内容には思えないのであります。

 極めつけは36条の解釈で文意から「公務員による」及び「絶対に」という二つの力点が素通りされていること、すなわち36条の趣旨は前憲法の下で圧倒的な権力を有していた公務員により国民が生命の危機に曝されることの危険を回避するために定められたと考えられ、ポルポト政権下のカンボジアで多数の国民が死刑に処せられた例をあげるまでもなく、死刑制度というのはいつ国民一般に牙をむいて襲い掛かるか分からない危険な制度であるからです。現に、刑法には外患誘致罪をはじめ殺人罪以外で死刑に処すことができる条文が少なからずあり、特に外患誘致罪にいたっては未遂であっても例外なく死刑であり、しかも裁判員裁判にゆだねられるという驚くべき内容となっています。憲法とは、このような国家の暴走行為を食い止めるために存在するものですから、最高裁の解釈は完全に間違っているといわざるを得ません。

 参考までに、2008年1月1日付であらゆる犯罪に対する死刑を廃止した国が91ヶ国、戦時の逃走、反逆罪などの犯罪は死刑がありそれ以外では死刑を廃止したという国が11カ国、法律上は死刑制度を維持しているが、過去10年以上死刑を実施していない、若しくは死刑を執行しないという公約をしている国が33ヶ国、過去十年の間に死刑の執行を行ったことのある国が61ヶ国となっています。

死刑制度の倫理と論理

 身の回りの人たちに対して死刑制度に関する話題を仕掛けてみると、10人中9人は死刑制度に対する信頼感でいっぱいのようです。理由を聞いてみると、口を揃えたようにこう言います、「殺人を犯した人間が死刑になるのは当然だ」と‥‥。そして、そのほとんど100%の人が冤罪についてあまり関心を持っておられません。

 私の勝手な推測では、死刑制度を支持する人たちの多くは殺人という罪に対して絶対に許せないという思い(もちろん、その思いは制度反対の人々も同じでありますが)が強く、その思いには次のような特徴があると思います。

 死刑制度反対派の人間も同じ思いを持っているにもかかわらずその思いが死刑制度に対する信頼感に結びつかないのは、反対派の人々に倫理的な振り返りが不十分なためであり、被害者の心情に思いが及ばないからだと解釈しているのがおもな特徴です。

 さて、それが誤解だというのはたやすいのですが、死刑制度反対派の人々には賛成派の人々を納得させるだけの包容力を持って論理展開していくことが求められていると思います。なぜなら、賛成派の人々は倫理的な答で十分だという前提に立っており、せいぜい抑止効果という仮説の一つを無批判に受け入れているに過ぎないからで、私たちはそこに論理性を膨らませるという作業をしていかねばならない以上、それなりの順序をふまえることが大切だと思われるからです。たとえば、国際的な潮流から乗り遅れているとか、憲法上疑義があるというようなことは、通常相手に対して説得力をもつほどの理屈ではないと考えられます。

 むしろ、死刑制度の矛盾点をクローズ・アップさせるような話題、たとえば暴力団にはあまり死刑判決が下りないとか、あるいは今回、再審への道が開かれつつある袴田事件について継続的に話題にしていくとか、現実と倫理との隙間を知っていただく取組が必要じゃないかと思います。

 また、公的な世論調査は単に支持者が多いとかいうような大雑把なものではなく、どういう層に多いかとか憲法に関する意識などとクロスさせた分析が可能なものが必要であると思います。

 ところで、冒頭に掲げた「殺人を犯した人間が死刑になるのは当然」との価値観はどこで養われたのかというと、日本独特の勧善懲悪志向がテレビの報道番組や刑事ドラマ、時代劇などにより繰り返し増幅され、刷り込まれていった結果ではないでしょうか。そのため、社会常識は憲法が予定した民主的価値観になかなか到達できずに停滞を続けてきたわけで、これには法務省の憲法啓発が極めて不熱心にしか行われなかったことなども一因となっているかも知れません。

 また、冤罪に関心が集まらないのは国会で冤罪を十分に総括しておらず、法的整備を怠っているためではないでしょうか。

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