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殿下ご参拝(寺院)

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善光寺

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先週の土曜日、長野県栄村へ行く途中に、善光寺をお参りしてきました。
善光寺参りはこれが3回目です。

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国宝の本堂。日本でも有数の大きさ(国宝建造物では日本で3番目)を誇る木造建築物です。
本堂の中の「瑠璃壇」と呼ばれる部屋には、日本に仏教が伝来したとき朝鮮から伝えられたという阿弥陀如来像が、厨子に入れられて安置されている、といいます。しかしその本尊は善光寺の住職ですら目にすることはできないという絶対秘仏です。
この本堂では「戒壇巡り」といって、本堂の床下の真っ暗な通路を通り、本尊の真下にあるとされる「極楽浄土への錠前」に触れることができます。今回は体験しませんでしたが、以前この「戒壇巡り」を体験しました。本当に真っ暗で、すぐ前に人がいてもわかりませんでした。大きな錠前(?)を触ったのは覚えています。

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偶然にも「お数珠頂戴」できました。
善光寺のご住職がお勤めのため本堂へ往復される道中、参拝者が参道にしゃがんでいると、必ず手にされた数珠で頭を撫でてくれます。これが「お数珠頂戴」。
絶対秘仏の阿弥陀様にいちばん近くまで近づけることができるのは善光寺のご住職。そのご住職が持っておられる数珠は阿弥陀様にいちばん近い数珠です。絶対に見ることを許されないご本尊だけに、ちょっとしたことでも仏縁を結びたいという人々の祈りの形なんでしょうね。
日野薬師・法界寺から30分ほど歩いて、たどり着いたのが真言宗醍醐派の総本山、西国薬師霊場第39番の醍醐寺です。弘法大師の孫弟子、理源大師・聖宝が貞観16年(874)に創建。その後、醍醐・朱雀・村上の三天皇の帰依を受け、数多くの堂塔が建てられ、醍醐山の全域を境内とする巨大伽藍が完成しました。平成6年(1994)にはユネスコの世界文化遺産にも登録されました。

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総門から西大門(仁王門)まで続く桜並木の道・桜馬場です。慶長3年(1598)に豊臣秀吉が催した「醍醐の花見」以来、醍醐は桜の名所です。今は冬枯れの桜木が並んでいるだけですが、花の時季にはさぞ見事なことでしょう。この仁王門から奥が国宝の金堂や五重塔などが建ち並ぶ伽藍、下醍醐と呼ばれる地域です。
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醍醐寺の中心のお堂、金堂です。現在の建物は豊臣秀吉の命によって紀州湯浅の満願寺から移した平安時代の建物で、堂内には鎌倉時代の薬師三尊像と四天王像が安置されています。
そして薬師様の前には、西国観音霊場第11番札所の上醍醐准胝堂の本尊・准胝観音が安置されていました。 2008年8月、落雷によりお堂が焼失 してから、この金堂が観音霊場の納経所にもなっています。僕は3回、上醍醐に登ったことがありますが、下醍醐から山道を約1時間登るという難所でした。いまはもう登る自信がありません。

お参りしたとき、観音霊場巡りの団体(1枚目の写真に写っている方々です)と一緒になりました。この団体がお願いした掛軸や朱印帳の数がものすごく、なかなか順番がまわってきませんでした。40〜50冊の納経帳をたった一人の職員さんが書いておられるのですから、書く方も待つ方も大変です。
急ぐこともないので薬師様の前で座っていたら、お守りやお札の授与所の女性が気の毒に思ったのか、お経の本を持ってこられて 「いまお勤めされているのがこのあたり」 と教えてくれました。
それから20分くらい経ってお勤めが終わっても団体のご朱印は書き終わらず。職員さんがもう一人出てこられたので、そちらでいただくことができました。

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金堂の南に建つ五重塔。醍醐天皇の菩提を弔うために、第一皇子の朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子の村上天皇の時代・天暦5年(951)に完成した、京都に現存する最古の木造建築物です。約38メートルある高さのうち、屋根の上にある相輪の部分が約13メートルと三分の一を占めているので、安定感と荘重感がある、そうです。

乳薬師 日野法界寺

ひさしぶりに西国四十九薬師霊場巡礼のことを投稿します。
ちなみに、巡礼は順調に進んでいて、満願まで残すところあと9ヶ寺です。

日野薬師こと法界寺は、意外と小さなお寺でした。
ふつうの住宅に並んで山門が建っていて、その脇には「ひのやくし」と刻まれた石柱が立っていました。
この法界寺は藤原氏の一族・日野家の菩提寺。足利義政の妻・日野富子の実家である日野家です。土塀に載せられた瓦には、日野家の家紋・鶴丸があしらわれていました。
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門から見た境内。
正面に見える檜皮葺のお堂は国宝の阿弥陀堂。
その右手に見える瓦葺のお堂が薬師堂。小さいですがこちらが本堂です。
そんなに広くない境内ですが、掃き清められて落ち葉ひとつ落ちておらず、たくさん植えられた木々はきれいに手入れされていて、すがすがしい気分のお寺です。
僕以外には誰もお参りの人はいませんでしたので、ゆっくり過ごすことができました。

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ご朱印(藥師霊場のそれはバインダーに綴じていく方式なので、日付を書き込んでもらったものをいただくだけですが・・・)をお願いして、その間にお参りへ。本来なら本堂である薬師堂が先なのですが、職員さんが鍵を開けてくれたので国宝の阿弥陀堂から。
薄暗い堂内には、中央に優しいお顔の阿弥陀如来が座っておられます。顔つき・体つきなどが平等院鳳凰堂のそれに似ているなぁ、と感じました。
見上げると、阿弥陀如来を取り巻く長押の上の漆喰の壁に天人の姿が描かれているのが見えます。法隆寺の金堂壁画が焼失した以降は、完全に残っているものとしては最古の壁画だそうです。色彩は失われているものの、ろうそくのすすや線香の煙で真っ黒になることなく残っているのが不思議でした。

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続いて本堂である薬師堂へ。こちらの薬師さまは秘仏のため、お姿を見ることはできませんでした。
この薬師さまは「乳藥師」とも呼ばれるくらい、子授けや安産、子育てにご利益のある薬師さま。堂内には、元気な子どもが授かりますように、子どもが立派に育ちますように、と願いが書き込まれた赤ちゃんのよだれかけがたくさん奉納されていました。

参拝を済ませて、ご朱印もいただいて、法界寺をあとにしました。
門をくぐろうとしたところ、後のほうから扉を閉める音が。
大切な文化財である阿弥陀堂は常に開けられているのではないようです。貴重な壁画を守るためにはこれくらいでないといけないのかもしれません。
高野山奥の院の参道の両側にはたくさんの墓石が並んでいます。
上杉謙信も武田信玄も、織田信長も豊臣秀吉も明智光秀も、敵味方の区別なく墓石が並んでいます。また、江戸時代に幕府の財政拠出命令で大名が立てた、巨大な墓石もあります。
ここではちょっと視点を変えて、芸能関係者のお墓を訪ねてみます。

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まずは俳優・鶴田浩二さんのお墓。たくさんの戦没者供養塔が立ち並ぶ中にある、こじんまりとしたお墓でした。ファンの方の参拝があるのか、きれいなお墓でした。

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こちらは、仇討ちで有名な曽我兄弟の供養塔。芸能関係者ではないですが、歌舞伎によく登場する人物ということで。たぶん手前の小さいほうが弟・五郎の、奥の大きいほうが兄・十郎の供養塔でしょうか(全く別人のお墓かもしれませんが・・・)。

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能楽の観世宗家の墓所。
どことなく凛とした雰囲気があるお墓です。

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初代と二代の豊澤団平の墓です。「豊澤」という苗字から文楽の関係者だとは想像していましたが、二代目豊澤団平という方は『壷坂霊験記』を作曲した、文楽三味線の名人だったそうです。

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歌舞伎役者・市川團十郎の墓所。中央に大きな墓碑が立ち、それを囲むように小さな墓石が並んでいました。大きいのが初代團十郎、小さいのが二代目以降のものなのでしょうか。でも数えてみると12基以上あります(当代の團十郎さんは12代目)。刻まれた文字もすり減っているし、それに戒名なので、いったい誰のお墓なのかはわかりません。

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明治・大正時代の映画俳優、日本の映画スター第1号の、「目玉の松ちゃん」こと尾上松之助の墓です。参道からすこし奥まったところにありますが、背丈の高い墓碑に太々と「尾上松之助之墓」と彫られていて、けっこう目立ちます。元祖スーパー・スターにふさわしいお墓だと思います。
瑞巌寺の裏山にある陽徳院御霊屋(寶華殿)が特別公開されているということで、こちらにも足を運びました。陽徳院とは、伊達政宗公の正室・愛姫(めごひめ)のこと。眉目秀麗・才色兼備と賞賛された女性だったそうです。彼女の死後、孫であり仙台藩第三代藩主の伊達綱宗公によって墓堂として建てられたのが、この御霊屋です。平成18年から3年の歳月をかけて、創建当時の豪華絢爛な姿に復元されました。

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長い石段を登りつめたら、それが目に飛び込んできました。
深い緑の中にひっそりと、しかしながら存在感をもって建つバロックなお堂。
黒漆が塗られた柱や壁はまるで鏡のようにまわりの木々を映しています。
正面の扉や頭貫(かしらぬき:正面の頭上、縦柱の間を横一文字につないでいる部材)など、要所要所には金が使われています。風雨に耐えるように厚い金箔が使われているからか、中まで金なのではないか?と思わせるほど金ピカです。
屋根裏の垂木(たるき:屋根を支えるために放射状に架け渡された部材)は赤く塗られ、その間にも金が見えます。こんな目立たないところにも金を使ってる・・・。
そして極彩色に描かれた雲や、蓮の花などの彫刻の数々。
とにかく派手!俗っぽいたとえですが「巨大で豪華なお仏壇が山の中にある」ように思えました。「墓堂」というからには、愛姫はこの真下に埋葬されているのかなぁ・・・?

初代藩主の正室が眠るお堂ですから、藩の威信をかけてこんなに豪華にしたんでしょうか。
あるいは綱宗公は「おばあちゃん子」だったのかも。大好きだったおばあちゃんのために豪華なお堂を建ててあげたのかもしれないですね。

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