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神仏霊場・巡拝の道

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金剛峯寺

今年最後の神仏霊場巡拝は高野山金剛峯寺です。
金剛峯寺は、高野山の山上にある117の塔頭寺院の中核となる本坊のこと。と同時に、高野山全体を総本山金剛峯寺と呼びます。普通、お寺といえばひとつの建造物を思い浮かべ、その敷地内を境内といいますが、高野山の場合は山上の至る所がお寺の境内地であり、高野山全体がお寺なのです。このことから「一山境内地」とも呼ばれています。

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これは 大門 。高野山の入口にそびえる、一山の総門です。現在の建物は宝永2年(1705)に建てられた五間三戸の二階二層門で、高さは25.1メートルあります。階上には「高野山」の額が掲げられ、山を登ってきた参拝者を迎えます。また門の両脇では金剛力士像が睨みをきかせています。

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壇上伽藍(壇場伽藍)は山内の西寄り、金堂、根本大塔、御影堂などの堂塔が立ち並ぶ一画。ここは、空海が在世中に堂宇を営んだところで、真言密教の道場としての高野山の中核となる部分です。空海が唐から帰国する際、真言密教をひろめるのにふさわしい場所を求めるため投げた三鈷杵(さんこしょう)という法具が引っかかっていたという「三鈷の松」や、不動堂(高野山上に二棟しかない国宝建造物のひとつ)などの見所があります。

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壇上伽藍の東北にあるのが 総本山金剛峯寺 。高野山真言宗の管長(座主)が住んでおられる、一山の本坊です。正門をくぐると東西54メートル・南北63メートルの巨大な書院造の「主殿」が目に飛び込んできます。主殿は、狩野派の豪華な襖絵がある一方で、巨大な釜が三つも並んだかまどや、高野山の厳しい寒さをしのぐための囲炉裏があったりと、公私両方の性格をあわせ持つ建物でした。約5万坪の広大な境内には、この主殿のほかにも数々の建物や庭園があり、高野山真言宗の総本山としての威厳に満ちていました。
神仏霊場のご朱印はこちらでいただきます。

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山内の東端が 奥の院 。高野山の信仰の中心であり、空海(弘法大師)が「入定」する地です。
一の橋から二の橋を経て御廟橋まで約2キロにわたる参道沿いには、皇族から大名、そのほか名もない人々まであらゆる階層の人々の墓石が、樹齢千年を超える杉木立の中に苔むして立ち並んでいます。その数は10万基とも20万基ともいわれ、弘法大師のそばで安らかな眠りにつきたい、という人々の願いが伝わってきます。
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ここから先は撮影禁止の御廟橋。そこから奥に見えるのが燈篭堂。堂内には弘法大師に献じられた無数の灯明がゆらめいています。そしてその奥に弘法大師の御廟があります。この御廟で弘法大師は「入定」、つまり今なお生きて瞑想し、永遠の悟りの世界に入っておられるといいます。本当にたくさんの人が花を捧げ、線香を供え、お経をあげていました。


 金剛峯寺
   山号・・・高野山
   宗派・・・高野山真言宗
   ご本尊・・・大日如来
   創建・・・弘仁7年(816)、空海
   所在地・・・和歌山県伊都郡高野町高野山
   ご朱印
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今年1月から巡り始め、三重県と和歌山県が終わりました。来年は奈良県の巡拝が始まります。

丹生都比売神社

紀ノ川沿いの平地から、車で山の中に入っていくこと30分ほどだったでしょうか。紀伊山地にあるちょっとした盆地、天野の里にあるのが丹生都比売神社です。
自然石を積んだ石段と、その向こうに朱も鮮やかな鳥居が、参拝者を迎えています。
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主祭神は丹生都比売大神(ニウツヒメノオオカミ)。天照大御神の妹神とされています。
水田に水をもたらす神様として信仰され、全国に180社あまりある丹生都比売大神を祀った神社の総本社です。
また丹生都比売大神は紀伊山地北西部一帯の地主神でもあり、弘法大師空海はこの神から土地を借り受けて高野山を開いたと伝えられます。そのためこの神社には僧侶がたくさん参拝したといいます。また高野山への参詣者もこの神社に参拝するのが慣わしとされていて、四国八十八箇所のお遍路さんもよく訪れるといいます。

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鳥居をくぐると目の前には太鼓橋。こちらも鮮やかな朱が背後の木々の緑に映えています。
脇に平らな通路もありますが、参拝者の多くはこの橋をおそるおそる渡っていました。
神社の入り口にある太鼓橋は、石造りのものは時々見かけますが、木製はここと大阪の住吉大社くらいしか思い当たりません。巧みに組み上げられた橋桁が見事です。

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楼門です。どことなくお寺の門のようでもあります。神仏習合の影響がこんなところにもあるんでしょうか。
ちょうど団体の参拝客が来ていたので、それにまぎれて本殿近くまで行くことができました。先に参拝した丹生官省符神社と同じように、石段の上に玉垣に囲まれた社殿が並んで建っています。あちらは三棟でしたが、こちらは四棟。写真ではよくわかりませんが、ところどころに極彩色の彫刻が配され、とてもきれいな社殿でした。女神様の神社だからこんなに綺麗なんでしょうか。
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 丹生都比売神社
   主祭神・・・「丹生明神」 丹生都比売大神(ニウツヒメノオオカミ) 
          「狩場明神」 高野御子大神(タカノミコノオオカミ)
          「気比明神」 大食都比売大神(オオゲツヒメノオオカミ)
          「厳島明神」 市杵島比売大神(イチキシマヒメノオオカミ)
   鎮座・・・不詳(今から約1700年前とされる)
   所在地・・・和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野
   ご朱印
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丹生官省符神社

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慈尊院の多宝塔の奥に、趣のある119段の石段があります。途中の石造の大鳥居と、上りきったところの朱塗りの大鳥居をくぐったところにあるのが、丹生官省符神社です。
境内正面には拝殿。その奥、石垣の上には、鮮やかな朱の瑞垣に囲まれて、これまた鮮やかな朱塗りの本殿が三棟並んで建っています。残念ながら近くには行けませんでしたが、背後の山の緑に映える社殿の朱が綺麗でした。
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季節の百日紅の紅い花が彩を添えていました。

この丹生官省符神社、古くは丹生高野明神社、丹生七社大明神などと呼ばれていました。その名の通り、七柱の神様が祀られていますが、主祭神は天照大御神の妹・丹生都比売大神(ニウツヒメノオオカミ)と、その子・高野御子大神(タカノミコノオオカミ)で、それぞれ「丹生明神」「高野明神(狩場明神)」と呼ばれています。
弘法大師が真言密教の道場の地を求めて各地を行脚されていた時、一人の気高い猟師に出会い、山上の霊地があることを教えられました。そして猟師は連れていた白黒二匹の犬に道案内をさせ、弘法大師を高野山に導いたといいます。この猟師は、姿を変えて現れた高野明神だったとされています。そのときの様子を描いた大きな絵馬も境内にありました。
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またこの神社は高野山への登山口にあたり、この神社に登山の奉告と道中の安全を祈願して高野山を目指したといいます。境内に至る石段の脇には、高野山まで一町(約109メートル)ごとに立てられた道標「町石」の1本目(百八十町石)
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が立っています。また境内の脇から延びる道にも町石が立っていました。この道標を辿りながら、昔の人は高野山を目指したんでしょうね。
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 丹生官省符神社
   主祭神・・・丹生都比売大神(ニウツヒメノオオカミ)
          高野御子大神(タカノミコノオオカミ)
          天照大御神(アマテラスオオミカミ)
   鎮座・・・弘仁7年(816)、弘法大師空海
   所在地・・・和歌山県伊都郡九度山町慈尊院
   ご朱印
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慈尊院

その昔、弘法大師・空海の母、阿刀氏がわが子をたずねて高野山に来ました。
しかし高野山は女人禁制。母といえども入山は許されません。
仕方なく母は高野山の麓に草庵を結びました。
弘法大師は母に会うために月に九度、山を下りて草庵を訪れたといいます。

それ以来、この地は「九度山」と呼ばれるようになり、阿刀氏の死後、草庵は弘法大師によって寺に改められました。これが現在の慈尊院です。高野山への登山道(町石道)はこの慈尊院が起点となっているので、ここも世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に登録されています。
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こちらが本堂です。中には本尊の秘仏・弥勒菩薩像が安置されています。そのお姿は21年に一度しか拝見することができません。ちなみに次回は平成27(2015)年です。
ご朱印を捺して頂いた時、お寺の方に伺いましたが、この慈尊院の本堂と高野山奥の院の弘法大師廟は一直線上にあるといい、奥の院で弘法大師を拝めばこの慈尊院の弥勒菩薩も拝むことになる、そうです。弘法大師も母親がいなければこの世に生まれてこなかったのだから、母を思う気持ちから自分の廟の方角を決めたのではないか、とのことです。

お寺の創建に女性が深く関わっていることから、この慈尊院は「女人高野」といわれ、子授け・安産・育児にご利益のあるお寺として、女性の篤い信仰を集めています。本堂前には「元気な赤ちゃんを授かりますように」「母乳がたくさん出ますように」との祈りを込めた乳房が奉納されていました。
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慈尊院のシンボル、多宝塔は修復工事が始まるのか、足場が組まれていました。



 慈尊院
   山号・・・万年山
   宗派・・・高野山真言宗
   ご本尊・・・弥勒菩薩
   創建・・・弘仁7年(816)、空海
   所在地・・・和歌山県伊都郡九度山町慈尊院
   ご朱印
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根来寺

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葛城連山と紀ノ川に挟まれた地にあるのが、根来寺です。
根来寺は、平安時代後期に興行大師覚鑁(かくばん)上人によって開かれ、真言宗三大学山のひとつとして「学問の寺」の地位を築きました。また警護のための僧兵「根来衆」の勢力が拡大。これを恐れた豊臣秀吉は天正13年(1585)に根来攻めを行ない、一部の堂塔を残して焼失してしまいました。江戸時代、徳川氏の庇護を受けて復興、現在に至っています。

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根来寺で有名なのは、国宝の大塔。今から500年ほど前の明応5年(1496)に建立されました。
幅15m、高さ40mあり、日本最大の木造の多宝塔です。二層目の欄干や初層内陣(撮影禁止だったので写真ありません)は円形に作られていました。木材を円形に加工するだけでも難しいのに、それが500年以上狂いもなく残っているのがすごいです。
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秀吉の紀州攻めにも焼け残ったこの大塔には、そのときの弾痕が残っています。これがそうだと思いますが、木の節穴かもしれません。

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この大塔の隣に建つのが大傳法堂。根来寺の本堂です。こちらは紀州攻めで焼失したあと、文政10年(1827)に再建されました。内部には本尊の大日如来と、脇仏の金剛薩埵(こんごうさった)と尊勝仏頂尊(そんしょうぶっちょうそん)が安置されています。この三体、高さが約5mもあるという大きな像です。
そしてこの像を見上げた視線をそのまま天井に移すと、いまではかなり色褪せていますが、四季の草花を描いた花天井が見られます。
※こちらも堂内撮影禁止なので、写真無しです。

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こちらは光明真言殿。歴代座主や信徒の位牌が祀られています。
この建物と廊下でつながっている本坊でご朱印をいただきました。
南国紀州らしく、蘇鉄の植えられた庭園。本坊の屋根越しに大塔が見えます。

火除けのまじないでしょうか、瓦細工の亀が屋根に載せられていました。
鋭い目に耳まであって、ちょっと亀とは思えません。
もしかしたら亀じゃないのか?
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 根来寺
   山号・・・一乗山大伝法院
   宗派・・・新義真言宗
   ご本尊・・・大日如来・金剛薩埵・尊勝仏頂尊
   創建・・・大治元年(1126)、覚鑁上人(興行大師)
   所在地・・・和歌山県岩出市根来
   ご朱印
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