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東日本大震災

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 ボランティアの需要多様化 農地再生、ビーチ清掃・・・GWの被災地
  【2012年4月29日/時事通信】

 大型連休に入った東日本大震災の被災地。震災から1年が過ぎ、ボランティアの需要は多様化している。昨年は津波で壊滅した町のがれき撤去が主だったが、今年は農地の再生や水産養殖施設の組み立てなど産業復興に絡む活動が目立つ。ただ、求められる内容が長期型の被災者支援に移り、連休のみの短期型の募集を見送った地域もある。
 宮城県七ケ浜町では、町内の農地が9割以上被災した。連休中は全国から1日当たり300人近くが集まり、田畑に残るがれきを取り除く。「数年内に農地を再生させる」と同町ボランティアセンター。岩手県陸前高田市では、ボランティアが津波で流失したカキなどの養殖施設の組み立てを手伝う。
 海水浴場の再開を目指すのは宮城県気仙沼市。住宅や事業所のがれきは比較的片付いたが、憩いの場を取り戻そうと、大規模な撤去作業を1日から始める。気仙沼復興協会は「少しでも早く元の姿に戻す」と、毎日100人を募集した。
 福島県いわき市は3月までの1年で約1万5000人が転出。力仕事を担う業者の人手も足りず、家財が屋内に残されたままの所がある。埼玉県のボランティア団体「絆ジャパン」は連休中の2日間、倒壊家屋の家財を搬出したり、がれきを撤去したりする。
 代表の坂下三浩さん(44)は元東京電力社員で、「原発事故への申し訳なさ」から昨年6月、活動を始めた。連休は延べ100人が参加するが、「放射能を心配する人もいる」(坂下さん)といい、日帰りで作業をする。さいたま市から初めて参加した教員浅井紀子さん(42)は「福島の人は放射能の影響もあり、苦しんでいる。繰り返し活動を続け、少しでも応援したい」と力を込めた。


この記事で気になったのが、

「求められる内容が 長期型の被災者支援 に移り、連休のみの短期型の募集を見送った地域もある。」

という部分。さとボラでも実感しましたが、その地域に惚れ込んで、地域住民とともに関わっていくというスタンスは地域の復興・活性化には不可欠。震災・津波で壊滅的な被害を受けた被災地は、いわば「ゼロ」からの出発。地元の人だけで復興させるのは大変なことです。手伝ってほしい、できれば短期よりも長期で、というのは当然の思いでしょう。
ただ、長期のボランティアに行きたくても仕事や家庭といった日常生活があって行けないとか、現地に行く交通手段や費用が・・・、という障害がありますね。家庭や職場(仕事の相手先も含めて)の理解や、経済的支援(できれば公的な)も必要なのではないでしょうか?

それと、長期支援となると起こりがちなのが「地元とボランティアの間でのトラブル」。地元のためにとがんばっているのはわかるけど、ボランティアが独走してしまったり、意見が合わずに前に進まなかったり、というのは時折耳にします。
僕がいつも心がけているのは「所詮、ボランティアは他所者で素人」。あくまでお手伝いに来ているのであって、前にしゃしゃり出るのは禁物です。

このGWにボランティアに行かれる方、このニュースを見て行こうと思われた方、どうぞ怪我などされませんよう気をつけて活動してください。

 南三陸町の仮設魚市場が完成、初競り 【2011年10月24日/毎日新聞】

イメージ 1 東日本大震災で被災した宮城県南三陸町の志津川漁港に仮設魚市場が完成し、24日、初競りが行われた。来月中旬にも漁の最盛期を迎える秋サケを満載した漁船が続々と接岸。テント幕の高い天井に、競り人が威勢の良い声を響かせた。
 津波で破損した旧魚市場の南東約200メートルに設け、広さ約1200平方メートル。公益財団法人「ヤマト福祉財団」(東京都)や国の助成を受け、総事業費1億8900万円で8月に着工した。魚の仕分け台やベルトコンベヤーなどの設備も整え、今後5年間は使用する。
 初競りには、仲買人約10人が参加し、サケやサワラを競り落としていった。県漁協志津川支所の佐々木憲雄・運営委員長は「この日を待ち望んでいた。魚市場を復興のシンボルとし、安全な魚を提供したい」と話した。
 同町などによると、町では漁船2188隻の約8割が流失・損壊。震災前のサケ漁では、約100隻が1日最大約60トンを水揚げしたが、震災後は操業船、漁獲高ともほぼ半数という。【平川哲也】


水揚げ再開の前日に掃除のお手伝いをした 南三陸町の漁港に仮設魚市場が完成したというニュースを目にして、うれしくなりました。秋サケの水揚げが最盛期を迎える前に完成したのがなによりです。機会があれば、競りの現場も見に行きたいですね。

気仙沼の街を歩いた

10月8日(土)の朝、大島へ渡る前に、震災7ヵ月後の気仙沼の街を歩いた。
手元にある『復興支援地図』によると、港町・魚市場前・仲町・弁天町という辺り。

まず、道路は舗装されていない。
土や砂利によって20〜30センチほどかさ上げされている。
おそらく地震による地盤沈下や液状化によって路面が低くなったのだろう。

そして道路の両側に広がるのは、荒涼とした光景。
銀行、郵便局、ガソリンスタンド、商店、水産会社・・・。
かつてそうだったのだろうという建物がところどころに残っているが、多くは津波に押し流されてしまっている。
建物の中には黒く焦げたものもある。津波後の火災によるものだろう。
歪んだり錆びたりした車。
塗装とロゴでそれだとわかる自販機。
食器や靴。
いろんなものが転がっている。
気仙沼リアスシャークミュージアムの前には漁船もあった。

なにより目に映るのは、いまだに溜まっている水。おそらく海水。
海水は地面に浸み込まない、と聞いたことがある。
タンクから流れ出て燃えずに残った重油だろうか、黒い泥のようなものが水底を覆っていた。
そんな中を泳ぐ魚。何を食べて生きているのだろう。
塩水なので植物は生えない。
グレーの光景。

この時季、戻りカツオやサンマの水揚げで賑わうだろう魚市場なのに、人は少ない。
車や自転車に乗った人や歩く人とすれ違うのは、ほんの時折。
目立つのはカラス。

写真を撮るのは憚られたが、1枚だけ撮った。

イメージ 1

浜側から山手へ通じる道路の信号機。
津波の水圧か、流れてきたものに当たったのか、笠の部分はへし曲がり、信号機そのものも向きが歪んでいる。
こんな高さにまで津波が来たのか。
震災から7ヶ月が経とうというのに、点っていない信号。
気仙沼市内の津波浸水範囲には、点っていない信号がまだまだたくさんあるという。
今日は田んぼ、といっても今年はお米を育てることなく、背の高さほどにまでヨシが茂っている休耕田の草刈りと瓦礫の撤去、それに溝の泥あげをしました。
午後からの作業場は、大きなロッカーやドラム缶、冷蔵庫や洗濯機が出てきて、そのたびにみんなでわっしょいわっしょい運びました。
今日の作業が終わったときには、みんな服も長靴も手袋もどろどろの泥だらけ。それでも顔は達成感に輝いていました。

作業に集中していたので、写真無しです。m(__)m

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