岐阜の展覧会でフジタの猫を見たら、アトリエで改めてみる自分の猫の絵、精彩がなくてあのまま描き進めて行くのが嫌になりホワイトの絵具で上から塗りつぶし、ここから新たに完成に向けてやっていくことに決めました。
アトリエの絨毯にもどしてこの季節になってようやくお盆バージョンから脱却しました。(少し遅すぎるか・・・
)
ずっとこのままで筆を持たずにおいていましたが、
フジタの猫を改めて鑑賞してからは、どこか納得がいかなかった猫の部分を思い切ってまたゼロから描くことに決めました。
今はこの塗り潰したホワイトの油絵の具が乾くのを待っています。
改めてダリのスケッチ描いています。
先週の土曜日の美の巨人たちは、ゴヤでした。
ゴヤはプラド美術館で2度鑑賞していますが、新たにタペストリーの原画であるカルトンが展示された部屋ができたとか、3度目のプラド美術館鑑賞はなるかどうかわかりませんがもし今度訪れることがあったら是非見てきたいと思いました。
プラド美術館には3つの門があって普通ゴア門のある入口から入っていきますから写真も撮ってありました。
正面の門には有名なベラスケスがあります。
そして3つ目の門はムリーリョだそうですが、残念ながらそこは画像に残して来れなかったです。正面から向かって左がゴヤ、右がムリーリョだそうですが、何せ広い敷地で見逃しました。
私がスペイン美術と出合ったのが、中学生の頃、兄の書棚かなんかでこの雑誌を眺めてからです。
表紙はゴヤの描いたカルロス四世像で、まったく興味は引かなかったのですが、中をパラパラっとめくってみると、
この色あせたバーミリオンでは当時の感動をお伝えできませんが、ゴヤの若き自画像に、貧しい職人の家に育ちながらも、夢や自負心をいっぱい持った若者としてのゴヤを感じることができて、惹きつけられたものでした。
こちらのカルトン画は当時のゴヤが宮廷から注文されて描いていたものです。だいたいのものはこういう市民の何気ない風景や人物を宮廷に住む王族や貴族が見て一般の市民の生活を知るために描かせたものが多かったです。
美の巨人たちの番組では、当時画家として出世するため宮廷画家になるため、宮殿の壁を飾ったタペストリーの原画であるカルトン画を、ゴヤが20年以上も職人気質で63点描きつづけて、ようやく53歳にして主席宮廷画家の地位を得たことに触れていました。
そしてそのタペストリーの原画の最後のカルトン画「村の結婚式」の絵を紹介していました。
ゴヤはそこからただの宮廷画家で終わらない画家人生を送ることになりました。
≪欺瞞と欲望の河を渡り怪物は目覚めた≫と番組では表現していました。
私はプラド美術館に初めて行った年、一番最初にゴヤのこの黒い絵たちのある、ゴヤの実際晩年暮らしていたキッチンを再現した展示室に行きました。
有名な「わが子を食うサトルヌス」この絵は鑑賞という言葉ではない、≪体験、ショック≫という表現が向いていました。
ゴヤはこういう絵を直接自分のキッチンの食堂の壁に描いて、そこで食事をしていたそうです。
宮廷画家に登りつめて底に渦巻く醜さや嫉妬など人間の暗黒の部分を見てしまい、不幸にも病気で聴力を失った彼の絵画の世界は著しく変化していきました。
その息づかいがプラド美術館の黒い絵の展示室から感じることができました。
私はその時から、ムンクの叫びは、このゴヤからインスパイヤーされたと自分の中で思っています。
ゴヤは1746年〜1828年没、
ムンクは1863年〜1944年没、きっとムンクはゴヤの「わが子を食うサトルヌス」を見ているはずです。
このムンクの叫びの模写は、私が絵に目覚めた中学生だったころ、クレパスでスケッチブックに模写した稚拙なものですが、多感だった年齢の時期、一気に描いた乱暴な模写ですが、なぜか捨てられずに今の持っています。
中学生や高校生を子供だと思ってはいけませんね。
最近はすぐ殺人をしてしまう世代、鬱積している何かをスマホのラインやネットでは癒されないものがあるのでしょう・・・・
あ〜、今朝はちょっといろいろと頭脳浮遊散歩をしちゃいましたあ。
愛知県地方はいつ雨が降ってきてもおかしくない天候です。
赤い薔薇が咲きました。
気分一新、オ〜レ〜!と今日も頑張りたいところですが、4日前からまた偏頭痛に悩まされて薬を飲んでいます。
もうちょっと待ってね、ダリっち、
フジタの猫にも負けない絵、描きたいなあ
今年中には完成させるからね。
頭痛の治まり次第、ぼちぼちと皆さんの記事読ませていただきに参ります。
午後から卓球の試合が待っているから早く薬効いてほしいです。ではいい一日をお過ごしくださいネ
