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世界三大名画と言われている絵画はスペインに2作品あります。
2作品とも、門外不出でそこに行かないと鑑賞することができません。
1、プラド美術館に所蔵する、 「ラス・メニーナス」 ベラスケス作
2、サント・トメ教会にある、 「オルガス伯の埋葬」 エル・グレコ作
3、アムステルダム国立美術館 「夜警」 レンブラント作
価値的にもすごいかもしれませんがどれも大きくて持ち出しは無理そうな大作です。
1作品でもあるエル・グレコの「オルガス伯の埋葬」があるサント・トメ教会は、教会的にはカテドラル(大聖堂)の陰に隠れてしまい、存在感は薄いです。
前回7年前に行った時にも、オルガス伯の埋葬の絵画は覚えていても、はてどんな教会だったのか後になって記憶が薄れてしまいました。
しかもここはカメラで写真を撮ることが禁止でしたので、よけいに忘れてしまいました。
だから今回はしっかり頭に焼き付けようとしましたが、そのあとカテドラルを観たり、いろんなものを観たらすっかり忘れてしまったという人間の記憶力なんてちっぽけなものでした(^_^;)
入場料は一人2.5ユーロで、意外、チケットの絵はオルガス伯ではなかったです。
教会の建物の外観も入り組んだ路地のようなところから入って行ったので、帰ってきてから写真を見たらちゃんとした画像がなかったのが残念でした。
この一枚ぐらいかな、奥に見えているのが鐘楼の塔です。
この画像は、ちょっと隠し撮りしちゃいましたぁ・・・
後ろでは少し離れた場所で団体さんたちがガイドさんの話を聞いていたし、周りはちょうど私たちだけ、フラッシュも焚かずに、後ろ姿のコートを盾に静かに構えずに撮ったので斜めになっていますが、2回目にはるばる訪れたから失礼しちゃいました_(._.)_
誰にも見つからずに済みました。
この画像は以前書いたトレドの記事にもアップしています。
サント・トメ教会では3枚撮らしていただきましたが、オルガス伯の埋葬とその下のオルガス伯が眠る石棺の部分と、
それからこの黒い女神?女王?なのか解りませんが、顏も部分の両端の月と太陽でしょうかとても印象に残った絵画でした。
オルガス伯ってどうしてそんなにこんな名画に描かれるほど有名なんだろうって思いますよね。
このサント・トメ教会は元イスラム王のモスクでした。
そののち、アルフォン6世が町を陥落させ、テンプル教団(なんだかダヴィンチコードで聞いた名前だったような)が14世紀に建てて、オルガス伯によって修復して現在に至っています。
オルガス伯は仁徳にも優れて町の人にも好かれ、死後莫大な財産をこの教会に寄付したそうです。
エル・グレコのこの絵画を見たさにこの教会を訪れる人はトレド観光の中で一番多いそうです。
この記事を書かせていただいたら私の頭の中のサント・トメ教会のはっきりした記憶が残りました。
今月のクラシックギターレッスンは16日と30日になったので、覚えるのに余裕ができました。
それで昨日からずっととん挫していたフェルメールの第三作目の模写「ギターを弾く女」を完成させようとアトリエタイムを過ごしています。
次回はその経過など書きたいと思います。
今日は午後からフィットネスのコアバランス、そして卓球の練習試合を楽しんできます。
では皆さんもよい一日を
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トレド
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フランスもそうでしたが、ヨーロッパの美術館は、ピカソ美術館のように塩税官吏の館や、バルセロナでは元貴族の館だったり、オランジュリー美術館のオレンジ取引所だったり、オルセー美術館の駅舎だったり、ルーヴル美術館のルーヴル城のように歴史的な建物をうまくリサイクルしていいところを生かしています。
トレドのサンタ・クルス美術館も、元病院だった建物を美術館に再利用されていました。
病院と言っても前回に紹介したバルセロナの世界遺産になっているあのモンタネールの建築した「サン・パウ病院」とは大違いの、元孤児の病院として造られた建物です。
だから決して美とは無関係な質素な建物です。
中世の病院ですから、通りすがりの哀れな人々や、捨てられた身寄りのない人は収容されていて不衛生なギリギリの中で経営されていたようです。
大司教メンドーサ枢機卿の発案で1514年に完成した慈善病院でした。
今は美術館として3部屋の展示室があり、
1 ローマ、西ゴート アラブ ムデハル文化考古学
2 エル・グレコなど16〜17世紀の画家
3 大衆文化 地元工芸作品
という具合に展示されています。
それでもかなりの収蔵作品で、エル・グレコ作品も22点もあるとガイドブックに載っていたので、絶対はずせないとまず一番先に行ってきました。
ここはソコドベール広場からすぐ近くにありました。
ここはプラド美術館の姉妹美術館ともなっています。
こんな貴重な美術館でしたが、入場料はただでした。
建物は質素ななりに中世の重厚さを感じました。
プラテレスコ様式のファサード。
上の部分のレリーフです。
ちょっと天使の顔が怖い感じです。
中庭がこじんまりした修道院のようです。
廊下や階段がなんとなく病院だったかなというイメージを与えます。
この3人の彫像・・・真ん中の人の手が、私は衝撃的なインパクトを与えられました。
↓
なぜ、右手がこんな不自然な形で胸にくっついてしまったんだろうかしら(・・?
見ればこの3人の像には皆手を失っているように見えます。
偶然なのか、中世のなんらかの戦争でこんなふうになってしまったのかなんだかドラマを感じました。
エル・グレコの絵画よりこちらが頭に残っている印象的な彫像でした。 このモニュメントもなんだか不気味、やはり中世の時代はどこか暗澹とした暗闇を思わせ、その時代には生きたくはないですが、傍観的には大きな魅力をいつも感じてしまいます。
画面、右側に写っている大甕?壺?なんだか不明なもの、
この緑が美しく、いつまでも見入ってしまいました。
中世版ピエタ
2階の大きな廻廊部分もだだっ広く病院を感じさせる設計でした。
外のテラスからはこんなトレドの風景が見えました。
この他、まだ絵画や、陶器、タイル画などたくさんありますが、そちらはまた後程記事に書かせていただきます。
今日は9月に入りましたね。
お天気はまたどんより曇っています。
私はいつもの月曜日と同じに、11時半からフィットネスのステップレッスン、そのあと、コアバランス40分、それから卓球試合と身体動かしてきます。
でも少しだけ生活スタイルが変わったというか、元に戻ったことがあります。
油絵制作を一日に必ず1時間組み込むことに決めました。
ギターには必ず時間割いていたんですが(^_^;)
頭がなんらかの影響でごちゃごちゃしているときは、とにかく気分転換でその澱みを撹拌するのが一番です。
9月はダリが生れたであろう月、9歳になってしまいます。
人間でいえば50代に・・・
あんな子猫だったダリっちが50代のおじちゃまに、もっと長く長く一緒に暮らしていたいです。
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個人旅行の醍醐味は偶然のラッキーな出来事にあったり、またはその逆ガガ〜ンとガックリさせられるアクシデントに出合うことです。
今まで総じてはいいことの方が多かったですが、過去パリから成田に帰ってくるとき、パリの消防士さんたちのストライキにはまってしまい、日本に帰る便が大幅に遅れたこと、それとまだそう遠くない出来事に、フィレンツェからパリに飛ぶ午前の便が、強風で何度も飛行を試みて滑走路まで出るんですが、なかなか飛び立てず、そんなことで乗り降りさせられて、結局夕方中止となって航空会社が用意したフィレンツェのホテルに一泊泊まらきゃならない羽目になったことなどありました。
その時は、このフィレンツェから、パリに向かう便の飛行機の乗客は日本人は私達だけだったこともあり、強風のアクシデントの顛末のお知らせ放送はイタリア語かフランス語、それでも乗客の男性には親切な人がいて英語で説明してくれてなんとか対処できましたが、もう離陸中止となってしまった最後の方は自分たちでトランクを受け取って一旦空港から出ないといけなくなり、不安ながらそうしました。
そして出口に行ったら、なんと送迎の送り出してくれたガイドさんがニュースで見たと言って待っていてくれました。
その時はまるでこの女性が女神さまに見えたことです。
あとは、一泊させられるホテルまで送っていただきなんとかホッとしました。
こういう時まったくの個人旅行とせずに、旅行会社を通しての個人旅行だったのでこんなサービスが受けられたと思います。
今回のトレドでは、ほんとうは5月か6月に典礼カレンダーによって催される国際祭典財産に指定された「トレド聖体祭り」が有名ですが、その予行練習みたいなパレードを観れたことは幸運だったです。
トレドのシンボルでもあるカテドラル(大聖堂)は青空の元威風堂々とそびえていました。
聖堂内部は、エル・グレコの有名な「聖衣剥奪」など作品もあって見どころがありました。
今日は絵画はまた後程にして、内部にあった5月〜6月に行われる「聖体祭」のお道具のことを書きたいと思います。
コルプス・クリスティ(キリストの聖体祭)は、カテドラルの中に普段は置いてあるクリスディア(聖体顕示台)を街に運び出して、30団体ほどのグループ教区教会から参加しての盛大なパレードが開かれます。
復活したキリスト身体の象徴の白い丸いパンがその神聖な台座にあるそうです。
私は何も知らずにカテドラルの中に入りました。
そうすると日本で言えばお神輿のようなものを職人さんのような人が塗料を塗ったりしていました。
↑この男性が何やらやっていました。
こちらが聖体顕示台です。
お神輿のような作品を観て、カテドラルを出ました。
それから市内を散歩して夕方街を歩いていたら、1時間程前にカテドラル内部で見たばかりの御神輿が外に運ばれてパレードしていました。その時はお祭りなんて3月の時点ではガイドブックにも載っていなかったし、これが聖体祭の予行練習とは思わなかったのです。
帰国してから調べて見たら実際の聖体祭の時には街の窓窓からタペストリーが色とりどりにぶら下げられてもっと市民や観光客でごった返すそうです。この日もいつの間にかかなりの人だかりができていました。帰りのマドリッドまでの切符を買っておいてよかったです。
神輿の前にはお花が美しく飾られていました。
ベビーカーに乗った赤ちゃんも、老いも若きも皆、パレードに参加していい雰囲気でした。
トレドのフィナーレはこんな偶然の聖体祭予行練習に出合えてラッキーでした。
今朝はまた一段と夏が去って行く気配を感じましたね。
我家には温度計はいらなくて、猫のダリの寝方を観れば一目瞭然です。
いつもは涼しいベランダのテラスで眠っているんですが、
今朝は温かそうな起毛っぽいカバーの付いたマッサージ機の椅子でお眠りです(笑)
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2〜3日は涼しげな風が吹いてくれて少し暑さも緩やかだったのが、また猛暑復活しましたね。
昨日はまたフィットネスで卓球仲間と試合をして汗を流してきました。
仲間のうちの一人の男性はスイスに、もう一人の男性は長野県に避暑、一人の女性は隠岐の島へと不在の人が3人、皆さん優雅に過ごされているんだなあと感じました。
というわけで昨日は久しぶりにシングルでラリー戦、いつも人数が5人はいるのでダブルス戦ですが、シングルものびのびとして楽しかったです。
今日は、トレドの記事に戻りました。
トレドの駅にはエル・グレコの描いたオルガス伯の埋葬の大きな看板が待ち受けているほど、
エル・グレコと言えばトレドというイメージが実際その街に行って見ても感じました。
もうすでにサント・トメ教会にある「オルガス伯の埋葬」はアップさせていただきましたから、
今回は≪エル・グレコの家≫です。
旧ユダヤ人街にありました。
ここでエル・グレコはトレドの女性と結婚して子供もいて、40年間亡くなるまで過ごしたようです。
ギリシャの島からローマへと波乱だった若いころのエル・グレコも、スペインのトレドでようやく地に付いた暮らしができました。
実際どこの部屋がアトリエだったのかキャンバスやパレット、イーゼルが見当たらなかったので解らなかったのですが、私だったらこの左から光が差し込む部屋がいいなと思いました。
でもこんな歯車が付いたへんてこなものが置かれているから、なにか違う部屋なのかなあ・・・
この家には、グレコの暮らしていた16〜17世紀の家具や調度品がありました。
トレド様式のパティオもあって、思ったより大きな邸宅でした。
20室以上も部屋があって、今年2014年は没後400年の年だったのでエル・グレコの絵画がかなりたくさん展示してあって見応え充分でした。
全部は容量の関係でご紹介できませんが、またアップする機会があったら追々させていただきます。
二階からはトレドの街の風景も眺められました。
私がエル・グレコの絵の画集に魅せられた高校1年生の時、
好きだった絵画がエル・グレコの家の部屋にこんな形で鑑賞できたのは感動でした。
残念ながら、2作とも絵のタイトル名が思い出せませんが、この暑い夏、画像で眺めていてもどこか涼しげな気持ちになっています。
出口があった帰りは白い花がいっぱい咲いていました。
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最近は何かと自民党議員のセクハラ野次が続き、報道されていますが、どの議員も最初は自分ではないと言っておきながら実は自分ですなんて、ウソを述べることを恥ずかしくも思わない国民の代表を背負った代表者としての資格ゼロの人間が出ていますが、いったいどうなっているんでしょうか・・・。
早く責任とって辞職してほしいものです。
それに関連してってわけではありませんが、あんな国会や、都議会の野次の卑劣さや女性蔑視の心無いセンスの持ち主の言動に触れて、ふとこのトレドの街歩きで出会ったこのプラカードを持ったマスコットの女性を思い出しました。
カメラを向けたこの時は何のことか意味解りませんでしたが、帰ってきてAMNISTIAの文字をネットで調べて見たら、「国際人権救護機構」でした。
アムネスティ・インターナショナルといって、国際連合との協議資格があるちゃんとした団体組織でした。日本で言えばNGOのようなもっと大きな存在のようです。
きっと中世の街、トレドにもその昔、思想が違うだけの理由や謀反を企てたとかでっちあげの理由で多くの市民が囚われの身になって死刑や重罪にかけられたでしょう。
その中世の街でこういう運動のPRをやるというのは意味深いものでしょう。
国際的影響力が強く、非政府組織で国際法に則して死刑廃止、人権擁護活動をしています。
私は初めて出合ったわけですが、知らなくて、トレド版ナナちゃん人形かなんて軽薄なイメージを頭に浮かべてしまいました。(^_^;)
↓こちらが私の頭に浮かんだナナちゃん人形〜あまりにも名古屋的(笑)
さて今日は前回の記事で4つの見どころを書かせていただきましたが、
1、「オルガス伯爵の埋葬」のある教会ーサント・トメ教会の中に壁画のように展示された大きな絵画をご紹介しました。
今日は2のカテドラル(トレド大聖堂)を
1226年フェルナンド3世の命を受けて工事が始まり、1493年に完成されました。
内部もゴシック建築で装飾されています。
トレド大聖堂の私のお目当ては、エル・グレコのオルガス伯爵の埋葬にも匹敵する代表作「聖衣剥脱」です。
トレド大聖堂はまた次回に持ち越してしまうほどの絵画や聖堂内部の素晴らしさをお伝えしたいと思います。
大きく分けて聖職の間
聖器室
宝物室
合唱壇
と4つに大きく分けられ、見どころがありました。
私は絵画好きなので一番気に入った部屋は、
歴代司教たちの肖像画が飾られた部屋に佇んでゆっくり時間をかけて鑑賞できたことが記憶に生々しく残っています。
この聖職者の間の壁面に描かれたキリストの生涯とトレド歴代司教の肖像画は圧巻そのものでした。
これらの気の遠くなるような歴代司教たちの肖像画は人間の歴史を物語っていて、こうして継続していく人類の歴史の尊さに感動しました。
ふと7年前のツアーでガイドさんが言った言葉が甦りました。
この司教たちの現代に近い絵はどこからわかるか、それはメガネをかけた司教からと、確かに納得です。
そして横のスペースが空いた、この司教がきっと一番新しんでしょうね。
もし3度目のトレドの旅があったならば、この横は新しい肖像画が掛かっているのかもしれません。
でも人間の寿命の僅かさからいけば、客観的にそれほどこういう体験はできないんでしょうね。
あ、そうそう7年前に撮った画像を確認してこの新しい司教さんはいたのかどうか確認してみようかな・・・
でももしこの新しいやさしそう顔をした司教の肖像画が7年前にはなかったら、もう亡くなってしまったということなのか、それとも現在の司教なのか、次回はそのミステリーも解明してみたいと思っています。
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