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今までいろんな国(おもにヨーロッパ)でいろんな美術館に入場して鑑賞してきました。
その中で今回のフランス旅で経験したランス美術館は、6月の中旬で戸外も快晴の日は夏なみに暑く、オルセーでも、ルーヴルでもその他の建物はちゃんとエアコン空調が整えられていたのに、なんと扇風機が各展示部屋に設置というか置かれていてその風だけでした。
鑑賞環境はまさしく息苦しいような、じっくり見てくるような気持ちになれなかったです。おまけにフランスにしては珍しくカメラ禁止となっていました。
建物自体を改装する予定があってこんなふうだったのかもしれません。それにしてもまだ営業しているのだし疑問でした。
数年前に名古屋市美術館での藤田嗣治内覧会でランス美術館長もいらっしゃってそこのG・H・マム社のシャンパンを振舞ってご馳走してくださったあの華やかなイメージとはかけ離れた美術館事情はちょっと・・・って感じでした。収蔵品はランス市に寄贈したフジタ作品も豊富でアールヌーボーとか魅力的なものがいっぱいあるのに残念な気持ちで見てきました。
いったいどうしちゃったのでしょう・・・。
この建物がランス美術館です。
入口はここです。
↓のランス ノートルダム大聖堂は、パリのノートルダム寺院と同じようなゴシック建築で、もっと大きな建物でした。
ここはジャンヌ・ダルクとシャガールのステンドグラスで有名です。
もちろん、世界遺産で、フランス国王が代々戴冠式を行ったそうです。
上の左の画像がパリのノートルダム大聖堂 右がランスのノートルダムです。こうして並べてみると同じようなゴシック建築なのですがランスの方が
より高くて重厚なものか理解していただけると思います。
追記させていただきました。
右側の天使が、微笑みの天使です。
やさしい微笑みでした。
まだ数々の彫刻が施され、2300体あるそうです。
内部はパリのノートルダムとよく似ています。
↓私のお目当てはシャガールのステンドグラスでした。
やさしいブルーの色彩、オペラ座の天井画と二つ眺めてこれました。
やはりシャガールblueは美しかったです。
ランス大聖堂の歴史は古くて、5世紀には建っていたので
パリのノートルダム大聖堂が12世紀、やはりこの眼で見てランスのノートルダムの重さが感じられたわけです。
9世紀にルイ1世の戴冠式で始まって、19世紀のシャルル10世まで続いた歴史を思うにつけ、石の文化で残るこの建築は東洋ではない強さを
感じてしまいました。
フジタもここで日本人としてのアイデンティティを捨てて、洗礼を受けたと思うとまた感慨深くなってきました。
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ランス
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私の今までのパリへの旅は、美術館の絵画鑑賞を主にしてきたので、比較的空いている時期、3月とか冬のシーズンが多かったので、フジタの礼拝堂のオープン時期(5月〜9月)に行くことができなかったわけです。
しかし今回の旅ではやっと念願だったランスの旅が可能になりました。
6月の季節では人気度の高いランスの旅、シャンパンの試飲もできて、昼食もシャンパン農家で、それからフジタ礼拝堂とランス大聖堂も入ったみゅうバスのオプションを日本から予約して、いざオペラ座の近くのラファイエット前からスタートです。
ランスのドン・ペリニヨンの大きなシャンパンの酒蔵や、そこで美味しいモエのシャンパンを美しいソムリエから注いでいただき試飲したことは以前の記事で載せましたので省略して、それから個人で営んでいる農家でそこのシャンパンとランチをいただきました。
それからまたバスに乗ってフジタ礼拝堂に向かいました。
見えてきました。下のどこか和風な塀に囲まれた中が、フジタを支援して礼拝堂の土地を提供してくれたこれもシャンパン会社で有名なマムの敷地がバスの中から長年観たかった私の目に入ってきました。
3杯のシャンパンのアルコール度も手伝って、ちょっとワクワク胸が高なってきました。
門から中に入って行きました。
画像の方は同じ10数人のツアーで一緒の方です。
扉もどことなくフジタの好きだった布、トワル・ド・ジュイを思わせるお洒落なデザインです。
その外壁にはヒツジの紋章
そして↑はなんと鯛!
やっぱりフジタは日本に失望して帰化しても、日本を愛していたんだなあと、これを見て痛いほど感じました。
内部に入ってすぐ眼に入るのは、幼子イエスを抱いた聖母マリアのフレスコ画です。
フジタは80歳の1966年の夏、この礼拝堂のフレスコ画に着手して、90日間、毎日12時間働いて、「平和の聖母マリアに捧げる礼拝堂」を秋に完成させました。
この画像からよく見えませんが、サインを描いた上に君代夫人が描かれています。
↑
ちょうど矢印の上あたりで佇んでいる黒髪の女性が君代夫人です。
フジタ自身は別のフレスコ画の一部に描かれています。
左から3人目のメガネをかけた顔をのぞかせているのがフジタ自身です。
こちらのフレスコ画は、シャンパンの樽に腰かけた聖母マリアが描かれています。
当時フジタはそれを書くに当たりちゃんと法王から許可をとったそうです。
そしてフジタと君代夫人が眠っている場所は、「最後の晩餐」をテーマにしたフレスコ画の下にありました。
2009年に亡くなった君代夫人の写真が置かれています。
まだ数々のステンドグラスやフレスコ画の画像あるのですが、今日のところはこの辺でフィットネスタイムになってしまったので、続編で書かせていただきます。
でもあと一枚だけ
フジタが広島をテーマにしたステンドグラスをデザインしたものがありました。彼も当時描かされた戦争画によって、日本の画壇から生贄にされた被害者ですから、心から戦争は反対していて、平和を願っていたことは、この礼拝堂のステンドグラスにも反映していました。
81歳で亡くなったフジタが、80歳という晩年最後の最後の力を振り絞った礼拝堂という作品を鑑賞できた感動は今も、あちこちの身体不調を嘆いて生活している自分を戒める意味でも大事にして行きたいと思っています。
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恐ろしい大雨による川の氾濫や、山の土砂崩れなどで被害を受けた方々のお見舞い申し上げます。
私は愛知県地方だったので今回の災害の被害を被ることなく過ごせました。
しかし岡山に住む娘のことが気がかりでメールをしたら、なんと避難指示が出ていて一応2日分の水や避難の準備をして不安に耐えている様子でした。
河の氾濫があちこち起きていて、もはや危険水域に達しているとのこと、それを聞いたら私も眠れない一夜を過ごしました。
翌日には近くの道を隔てた商店などが水に浸かっている写真が送られてきて、どうやらそれがピークでなんとか彼女の家のある地域が浸水から免れたようで、ほっとしました。
しかし運わるく浸水された家の方々は大雨が去った後の片付けなどに追われることを思うにつけ災害の怖さが身に沁みます。
このような災害のニュースを見るにつけ、こうして平和に日常を過ごせて行けることを感謝して生きなくてはと自分に戒めています。
さて、あのメジャーなモエ・エ・シャルドンのシャンパンセラーを後にして、私たち13人のツアーは、一路バスに乗り込み、今度はシャンパン農家でのランチと2杯のシャンパンを味わいに、周りが葡萄畑でいっぱいの道を進んでいきました。
このバスが私たちのみゅうバスツアーです。
途中小高い丘で休憩して写真を撮る時間を作ってくれました。
この時期の葡萄は↑画像の下のほうに小さな葡萄の房が見えています。
そして↑の看板に見えるようにシャンパン作りの農家が何軒もあります。
私たちはその中のある農家を訪問して、そこで家族経営のシャンパン作りの
工場を見学させていただき、農家の主から説明を受けて、それをみゅうバスの通訳の女性が日本語で通訳してくださいました。
↑このピンクのポロシャツを着た方がこの農家のご主人です。彼は3代目で、息子さんが4代目で、小さなお孫さんが5代目でいらっしゃるそうです。
ツアーの私たちはもうモエ・シャルドンでの説明を聴いてきているので、その雛形をまた聴いているような気分で、もはや話より、早くランチタイムを待ち望んでいる人数のほうが多かったと思います。
でもこの農家のご主人はそんなことは構わずに熱心に長くいろんな説明を続けてくれていましたからお腹が鳴らないか心配でした(笑)
いろんな段階のシャンパン作りの基礎を終えて、製品として箱入れされた商品です。
そして待ちに待ったランチと2杯のこの農家自慢のシャンパンの試飲が始まりましたぁ。
大きな部屋にテーブルが置かれて、私たちは適当な5〜6人のグループに分かれて席について、ビュッフェスタイルのテーブルから好きな料理をお皿に盛って、シャンパンをいただきながら食事をしました。
シャンパンもタイプの違う2種類のものを注いでいただき美味しかったです。
私たち夫婦の着いたテーブルは、みゅうバスの通訳の女性と、オーストラリアに住んでいる妙齢の女性、この方が大のシャンパン好きで2杯以外自分でお金を追加して飲んでいました。
シャンパン通らしく、「ダーリン」という名のこの農家のシャンパンが気に入ったらしくボトルでも買って帰って行きました。
私は体調が万全でないので2杯で留めて置きました。
まだこの後、フジタ礼拝堂やランス大聖堂が待っているから酔ってはいられませんから。
まあだいたいの人はこのツアーについている試飲で済ませていました。
私たちのテーブルの女性たち、あと二人組も結構飲んでいました。
モエシャンパンの方がやっぱり美味しかったですが、こんなランチ形式の料理ではこの農家の自慢のシャンパンに合っているのかもしれません。
これから行く、フジタ礼拝堂が楽しみにまたツアーのバスに乗り込みました。
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ブログ友達のRさんとのコメントの交流で、彼がキーボードなども演奏できる多能な才女に来世は生まれ変わりたいとおっしゃったことに対して、私は来世は
パリジェンヌに生まれ変わって背中にギターケースを背負ってあちこち散歩して、パリの公園で演奏していたい。
『じゃあその節はRさん、女子会しましょうね』なんて楽しい会話を(笑)
6月のパリはいつも行く3月などの冬の季節と違って、やたら観光客が多かったので、あまりパリジェンヌやパリジャンなど地元の方々が写る写真を撮って来れなかったのですが、旅行日程の後半にみゅうバスのオプションツアーを申し込んでいた、フジタ礼拝堂、ランス大聖堂見学とランスのモエ・エ・シャルドンシャンパンセラーの試飲とシャンパン農家の昼食付一日ツアーで、その試飲の際のソムリエの女性がなんと美しい仕草でシャンパンをグラスに注いでくれた笑顔、美しいパリジェンヌで感動でした。
もちろん、このソムリエに注いでもらったモエシャンパン、美味しかったです。
モエシャンパンの会社はこの広い敷地の中にあって、そこの地下にはドンペニョンを始めモエシャンパンの貯蔵庫が迷路のトンネルのように続き、その中を日本語が話せる案内人によっていろいろ説明を受けて、見学しました。
この銅像の方がドン・ペリニョン氏です。
彼はベネディクト会の盲目の修道士だったそうです。
これ全部ドン・ペリニョン、それがずっと続いて何年も眠らせています。
貯蔵庫のトンネルの中にはマリア様も、
いろんなサイズのシャンパンの瓶、大きいものは日本酒の一升瓶よりも大きかったです。
シャンパングラスが重なり合って美しい造形でした。
外にはアドバルーンが青空に〜とってもいい気分になりましたが、ここでの試飲は一杯だけ・・・ちょっとお腹も空いてこれからシャンパン農家に昼食と2杯のシャンパンを味わいにまたバスに乗り込みました。
さようなら〜美味しいシャンパンをありがとう!
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