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たとえばモナリザ
ミロのヴィーナス
勝利の女神ニケなどは、現代を生きる私たちにはもうすでに名声があって有名というレッテルが先に存在してるから、その作品を前にしてどこがどう実際自分の眼で見ていいのか、感動を与えてくれるのか解らなくなってしまっています。
それでもパリにいく度、ルーヴルやオルセーに足を向けてまた観てくるということを繰り返しているうち、作品が家(ルーヴル、オルセーなどの)調度品のように当たり前に存在している風に感じてしまうわけです。
それでもまだ私にはモナリザのよさが理解できていないわけです。
フェルメールの「青いターバンの少女」ただしくは真珠の耳飾りの少女のよさは魅かれるのに、それはただ単に好みの問題なのかしらと今回も展示室の異常な人数の人たちを前にして思いました。
ほとんどがこのモナリザとスマホで熱心な自撮りを試みている人たちが多かったですが・・・
最近思うのですがカメラOKはうれしいことですが、スマホで自撮りは規制してほしいものです。
自撮りをされると、こちら鑑賞者の方に顔を向けてポーズなんてされたら迷惑でしかないわけです(-_-)
数年前はそういう行為はなかったのに残念です。
では、今回初めて訪問したロダンはどうかといううと、彼も有名度は大きく日本でも「考える人」や「地獄の門」、「カレーの人びと」、など静岡美術館や上野の美術館にお馴染みで何度も鑑賞しています。
その断片に観るロダンの作品という物とは違った、ある“ロダンの本気度”をムードンのロダン美術館訪問で感じることができたのは大きな収穫だったと思いました。
実際、パリのロダン美術館は作品として完成された彼の彫刻作品の展示と10年を超える弟子で愛人であったカミーユの作品の展示が公開されてそれはそれでロダンの作品を観たという満足感はあったのですが、
ロダンの芸術の本気度を知りたかったら、このムードンのロダン美術館は絶対行って見る価値が充分にあると思いました。
私は来るのがちょっと遅かったと後悔しています。
ロダンはローズが重い病にかかった年、長い間内縁の妻として息子も認知することなく歳月を生きてきましたが、結婚をローズとしました。でもその10数日後、ローズは亡くなって、ロダンも数か月後に病で亡くなっています。まさに≪終活駆け込み結婚≫かと感じさせます。
そして生前パリの美術館になっていた邸宅(アトリエ兼用)とコレクションを全部国家に寄贈して作品がひとつもない空っぽのムードンの自宅で息を引き取ったとされています。
だからこのムードンのアトリエにある作品はすべて彼の制作過程で作った石膏の型どりの段階の彫刻です。
大きなまるで体育館のようなアトリエの内部には白き彫像たちが大迫力で存在しています。
これは大きな感動でした。
こちらは邸宅のヴィラではないもう一つの大きなアトリエの内部です。
住んでいた邸宅の方も後程記事に書くつもりです。
入ってすぐの場所に石膏の地獄の門がありました。
大雑把なまるで抽象画のような細かいディテールのない地獄の門・・・
こちらはどこかあの花子(腹切り芸人)に似ている気がします。
頼まれて作ったバルザックの彫刻、こちらの彫像はパリの方の美術館の庭にありました。
バルザックの彫刻を試行錯誤した様子がみてとれました。
でも完成しても国家か組合か忘れましたが受け取り拒否をされてしまったわけです。
ガランとした体育館のような内部でしたが、窓が美しかったです。
外の庭から眺めるとこんな立派なファサードがあって、石膏像でない作品の「考える人」が彼ら夫婦が眠るお墓を見守っています。
前の庭には薔薇も咲いていました。
アトリエから出て、外を移動中に、あの入場するときワインを没収されてしまってむくれていた父親の家族のピクニックしている姿を発見しました。
赤い矢印の手前に小さく写っています。
こんなに広い敷地ならのんびりといいですね。父親さん、気分なおしてくれたかな(笑)
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ムードン ロダン美術館
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私の6月15日〜25日までのパリ旅行の日程で、15日の17時にドゴール空港に到着しました。7時間の時差でしかも夏至間近なフランスは23時頃まで明るい
のでホテルにチェックインしてもまだ外に行く時間がありました。
空港に着いたら夫がまずミュージアムパス4日間のを購入してきてくれました。私たちの計画としては16〜19日までそのミュージアムパスで使える美術館に行って鑑賞に当てる、20〜22日までの3日間はゆっくり観光はお任せして、みゅうバスツアーに予約したランス、ジベルニー、ムーランルージュを楽しむことにしました。
23〜25日(16時まで)はフリーに行きたいところやショッピングにと、だいたいの計画をたてました。
今日の記事のロダン美術館は、夫の鉄道や地下鉄の感の良さを頼りに、パリの北駅からRER線の列車でムードンの彼の美術館に行ったことを書きたいと思います。
ロダン美術館は2つあって、パリにある美術館は以前に行っていたので、今回は大きなアトリエのあるムードンのロダン美術館に是非行きたかったのです。
そこは日本の花子という「腹切り芸」をパリで披露した旅芸人が、ロダンの援助を得るために訪ねたという邸宅です。
ロダンは花子の「腹切り芸」をとても気に入ったそうです。
その苦しい表情をモデルに彫刻の仕事もしたそうです。
その花子訪問のその立派な邸宅にいたのは当時ロダンの内縁の妻ローズ(後に亡くなる数か月前に結婚して妻となった)でした。
当時はロダンはカミーユと恋仲になっていた頃だったのかもしれません。
彼女はそんな東洋の女性を暖かく迎え入れてくれたそうです。
列車は、ISSYで降りました。
ムードンへはここから歩いて15〜20分程でした。
住宅街の歩道を通って行きます。
6月のフランスはダリアがあちこち咲いていました。
そして美術館に到着しましたが、開館時間が13時から18時までで、まだ30分前でした。ここは金、土、日曜日の週3日しかオープンしていないから注意が必要です。
仕方がないから30分このベンチで待ちました。
だんだん13時近くになると7人くらい人が集まりました。
時間の10分過ぎくらいにようやく守衛が門を開けて、荷物のチェック、上の写真の親子連れの家族は美術館目当てではなく庭でピクニックに来たらしく、守衛に袋の中のワインの瓶を没収されてしまい父親はふくれっ面をしていました。
後で返してやるというようなことを言われて父親は渋い顔をして抗議をしていましたが、許されませんでした。
こういう公園ではお酒はNGだったようです。
それにしてもフランス人は戸外でピクニック、マネの草上の昼食みたいに現代もするんだなあって感心してしまいました。
この並木道の向こうに見えるのが、「輝く家」というロダンの居宅兼アトリエです。
横にガラス張りのアトリエがあります。
そこに着くまでの並木道の左側にはロダンの彫刻が並んでいました。
私のお目当てはこちらの大きなアトリエでした。
この前の≪考える人≫の下にロダンと彼がカミーユを捨て、選んだ妻ローズが眠っています。
今日の記事のタイトル≪ロダンの二つの顔、彼の女性二人にとっては“天国と地獄”≫のことを書きたかったのですが、触りだけの文章になって後に持ち越しとなりますが、
ロダン(1840−1917)はパリの下町で労働者階級の生れ、若いころは作品は売れずローズという内縁の妻に支えられて這い上がって来た彫刻家でした。
それが43歳の時、カミーユ(1864−1943)という中産階級のお嬢様だった19歳の美女が弟子となってその師弟関係を超え愛し合いました。
カミーユは絶対自分の方が若く、才能があり、ロダンに美のミューズとなってインスピレーションを与えていたからローズ(1839−1917)と別れて自分を選んでくれると信じていたのに、ロダンは15年間続いたカミーユを選ばずにローズを選びました。
カミーユは20代の時ロダンの子供を妊娠して中絶しています。
一方ローズはロダンの子供を産んでいます。
カミーユは結局精神がぼろぼろとなり、自尊心も傷つけられて34歳の時総合失調症となって、そののち48歳から78歳で死ぬまで精神病院で過ごしたそうです。
ロダン夫婦が亡くなってから26年間も生きたのですが、それは病んだ精神病院での精神的に生きた屍となって生きただけの26年間だったわけです。
ロダン76歳、ローズ72歳で結婚しても、すぐ病気のローズが1917年死んで、ロダンもその半年後亡くなったわけですが、なんとこの男、最後の言葉が『パリに残した若い方の妻に会いたい』と言ったとか・・・・
それでもパリのもう一つの美術館を開館するにあたってロダンの遺言「マドモアゼル カミーユの作品が何点か展示されたらとてもうれしい」
が守られ、ロダンの死後開館された美術館にはカミーユの作品がありました。
今日のパリ郊外ムードンの美術館にはなかったけれど、まさにロダンに愛された2人の女性の「天国と地獄」をどうしてもロダンという人に私の頭は付きまとわれてしまいます。
また詳しい作品のことは改めて書こうと思います。
今日はギターレッスンの日です。
あ、そういえばもうじきオッフェンバックの≪天国と地獄≫という曲に入ります。短い曲の譜面ですが、きっとその曲を練習するとき、ロダンのことを思い出してしまうだろうなと思われます。
でもムーランルージュでもフレンチカンカンも明るい意味で思い出すだろうな。
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