|
日本の美徳 「思いやり」
留学生に日本語を教えていると、
「おもいやり」という言葉に驚かれます。
「そんな事、考えたことがない」 というのです。
我々には、あまりに当たり前すぎて、
驚く以外にないのですが、
「すごい」、ともいいます。
「道を得た」、という感じです。
さて、ヲシテの研究をしていて、
この「思いやり」の根っこにある哲学概念がみつかっています。
ヲシテ研究家の池田満先生が再発見されました。
その哲学は「ながさき」といいます。
現代風にいえば、
「思いやりあい・喜び・いたわり・恵みあい」となります。
ということです。
こんな「ナガサキ」は空理空論でしょうか?
わたしはそうは思いません。
母親が子供を身ごもり、
そして、赤子を育てる時、 母と子は一体化しており、 子供の喜びが母の喜びであり、 子供の悲しみが母の悲しみであるという状態になれます。 もちろん、努力は必要なのでありますが、 間違いなくそうなれ、 多くの母親がそう感じてきました。 母親は、自らが飢えても子供に乳を与え、 自らが寒くても子供に自分の衣を与えます。 それは自然の情でありますが、 そうすることが「幸せ」であるからです。 このような、
相手の幸せが自分の幸せである、 あるいは、 相手の事が先であって自分のことは後、 あるいは、 相手が幸せになるように行動しよう、 というような心情のことを、 古来我が国では 「ナガサキ」
と呼んできました。
実は、これが我が国の建国の理念
言い換えれば、「和」の根幹にあること でもあるようです。
あえて漢字を当てれば「汝が幸来」「汝が先」。
この心情は、
「おもいやり」の根幹にあり、
我々が「いいやつ」「いいひと」と呼ぶような人に共通した徳性
でもあります。
我々は人生を進む時、
この「ナガサキ」を心に保っていれば、
そう簡単には失敗しません。
そんなことでは
「だまされて、いいように使われてしまいます」 といわれるかもしれませんが、 そんな人をだましている人は、 悪業を積んでいるのだから、 いずれ因果応報で報いを受けることでありましょう。 もっとも、あまりにだまされたのではこちらも身が持たないし、
ましてや、教育や人材育成の時は、 だまされてやることが良くない時もあります。 ならば、どんな時は「ナガサキ」してはいけないのでしょうか?
何があった時は「怒り、あるいは、心を冷たくして、突き放さ」 なければならないのでしょうか? 「ナガサキ」という言葉は、
それもまた教えてくれます。 「ナガサキ」の反対を考えてみればよい訳です。
「ナ」があなた・汝のことであるなら、
反対は、そう、 「ワガサキ」とでもなるでしょうか。 私はちょっとカタカナを交えて「エゴさき」さんと呼んでおります。 自分のことしか考えない、 自己中心でわがままな 「ワガサキ」「エゴさき」(我が先、エゴ先)
ということです。 もし、相手が、
自己中心、 相手のことをまったく考えない、 あるいは、 相手の不幸をあざ笑い、 相手の幸せを奪い・盗み・壊そう、 とするような者の場合、 我々は、「ナガサキ」を封印し、 「心を鬼にして、憤怒の不動明王」 にならねばならないし、
「心を冷たくして、突き放さ」
なければなりません。
「エゴさき」には
「ナガサキ」してはならない、 ということです。
逆に、相手が「ナガサキ」に徹している場合、
こちらは安心して「ナガサキ」に徹すればよく、
相互に「思いやりあって」信頼感は万全なものとなり、
成功が約束されます。
就職にあたっても、
友人を選ぶに当たっても、
「ナガサキ」を持っている企業・人を見抜いて欲しいし、
また「ナガサキ」な企業・人から選ばれる人材に育って欲しいと
願っています。
さて、我が国の政権中枢は、
我が国のことどころか、
世界中の一切のことを全く思わないある大国に対して、
いつも敬語をつかっておもねっています。
ビデオを公開すると相手が嫌がるから、公開するな、
といっています。
果たしてこの「思いやり」は、いい思いやりでしょうか?
それとも、悪い思いやりでしょうか?
みなさん、いかが思われますか?
日中冷戦が国益にかなう
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2010年10月15日
全1ページ
[1]
|
日本に戻ってから、毎日頭皮がカユイ。。
痒すぎて、顔の肌まで痒くなってしまいました。
日本にいるときのほうが、色々とダイレクトに影響をうけるので、
気候にまだ対応出来てないのかしら?と思っていましたが、
美容師さんとの会話で、ノンシリコンシャンプーの話題が出て
犯人はシャンプーではないかと、疑いの目を向けました。
その時使っていたのは、ヴィダルサスーン。めっちゃ安くなっていたからという理由だけで買った商品でした。
シャンプーの髪に悪い物質って色々あると思うけど、素人考えで思いつく中で、
界面活性剤に次いで問題在りそうなのがシリコンだと思います。
シャンプーをしすぎるだけでも、禿げる原因にもなるらしい。。
モンゴルの遊牧民族は、頭を洗わないので、禿げないというのを何かの本で見た気もする。
しかし。現代日本で頭洗わないなんて、非現実的。
パンテーン、ラックス、ダメージエイド、マシェリとか、その他外資系シャンプーも色々使ってみたけど、
なかでも、使ってすぐ、ヤバさを感じたのは、TUBAKIとセグレタ。
TUBAKIはびっくりするほど、一回で髪がごわごわにコーティングされたようなさわり心地になったし。
一時期、母のお気に入りだった、セグレタは、いい香りはつけてあるけど、シリコンの臭いがプンプンする!!!残り香だけでも気持ち悪くなってしまったのは、初めてでした。
かといって、染めてパサパサな髪には、多少の科学物質は必要。
市販のシャンプーからマシそうなのを買ってました。
ここ、一年半ほどカラーを入れてないので、いままで怖くて使えなかったノンシリコンシャンプーに
挑戦してみようかなぁ〜。
でもノンシリコンシャンプーって市販でも売ってるけど、結構高い。
しかも、髪に合わなかったら、もったいない。。おためし用もあるけど、一か月は効果が出ないと言われる
ノンシリコンの威力が、二、三回でわかるものか??
ネットで検索してたら、"石鹸と酢で大丈夫”とか"赤ちゃん用のシャンプーがいい”という、コメントを発見。
石鹸で一度洗ったことがありますが、髪の毛が死にました。ので却下。
知り合いで、アトピーのヒドイ女性が、赤ちゃんシャンプーを使ってたのを思い出し、
早速今日から使いたい!と薬局に向かいました。
本当は、ベービーアンドジョンソンのが欲しかったのですが、そこにおいてなかったので、
日本製と明記されてた、牛乳石鹸の赤ちゃんシャンプーを買いました。
赤ちゃん用って、泡タイプが多くて不思議でした。
この商品、界面活性剤などについては、なにも書いてないから、普通に入っていそう。
泡立ち方が、スポンジみたい!実験に顔につけてみたら、すこし膜を張ったような感じに。
次回は、成分表をもっと研究しようと思います。
(実験結果)
一回目。適度にさっぱりして、イイ感じ。弱酸性のおかげか、リンスしてないのに髪もそんなに絡みませんでした。
二回目。一回目同様、さっぱりしたのですが、ドライの際に毛先が絡み、ちょっと危機感を覚えました。
三回目。二回目より、毛先が絡みまくり、髪が少し臭い気が。。ドライヤーでしっかり乾かしたら、大量のアホ毛が目立ち、生活に疲れた人みたい!!!!!やっぱり、ダメなのかなぁ。。とあきらめモードになりました。
大丈夫だった一回目と、惨事の三回目の状況を比べてみると
一回目→ゆるめのお湯を使用。タオルドライをしっかりし、ドライヤーは仕上げのみ。
三回目→少し熱いお湯を使用。自然乾燥の時間を置かずに、ドライヤーを使用。
四回目は、一回目と同様にやってみました。染めていない髪は、以前よりサラサラになってきてましたが、三回目よりは、ましでしたが、残留シリコンが抜けているためか毛染めをしていた毛先はやっぱりパサパサ。
凛恋のノンシリコンの洗い流さないトリートメントを、お風呂から出た時に使うようにしてみたところ、
染めてない所のアホ毛は、落ち着いていて、毛先も少しきしむモノの許容範囲内に!
この方法で、続けたましたが、一週間ほどで
偽物っぽいツヤツヤのジェットブラックが、子供のような柔らかめのフワっと感のある黒髪になってきました。
自然乾燥も、比較的早い気がします。
お肌のカユカユも落ち着いてきて、一安心。
一本使いきる頃に、もっと安全そうなのを買おうと思ってます。
|
|
日本の美徳 「思いやり」
留学生に日本語を教えていると、
「おもいやり」という言葉に驚かれます。
「そんな事、考えたことがない」 というのです。
我々には、あまりに当たり前すぎて、
驚く以外にないのですが、
「すごい」、ともいいます。
「道を得た」、という感じです。
さて、ヲシテの研究をしていて、
この「思いやり」の根っこにある哲学概念がみつかっています。
ヲシテ研究家の池田満先生が再発見されました。
その哲学は「ながさき」といいます。
現代風にいえば、
「思いやりあい・喜び・いたわり・恵みあい」となります。
ということです。
こんな「ナガサキ」は空理空論でしょうか?
わたしはそうは思いません。
母親が子供を身ごもり、
そして、赤子を育てる時、 母と子は一体化しており、 子供の喜びが母の喜びであり、 子供の悲しみが母の悲しみであるという状態になれます。 もちろん、努力は必要なのでありますが、 間違いなくそうなれ、 多くの母親がそう感じてきました。 母親は、自らが飢えても子供に乳を与え、 自らが寒くても子供に自分の衣を与えます。 それは自然の情でありますが、 そうすることが「幸せ」であるからです。 このような、
相手の幸せが自分の幸せである、 あるいは、 相手の事が先であって自分のことは後、 あるいは、 相手が幸せになるように行動しよう、 というような心情のことを、 古来我が国では 「ナガサキ」
と呼んできました。
実は、これが我が国の建国の理念
言い換えれば、「和」の根幹にあること でもあるようです。
あえて漢字を当てれば「汝が幸来」「汝が先」。
この心情は、
「おもいやり」の根幹にあり、
我々が「いいやつ」「いいひと」と呼ぶような人に共通した徳性
でもあります。
我々は人生を進む時、
この「ナガサキ」を心に保っていれば、
そう簡単には失敗しません。
そんなことでは
「だまされて、いいように使われてしまいます」 といわれるかもしれませんが、 そんな人をだましている人は、 悪業を積んでいるのだから、 いずれ因果応報で報いを受けることでありましょう。 もっとも、あまりにだまされたのではこちらも身が持たないし、
ましてや、教育や人材育成の時は、 だまされてやることが良くない時もあります。 ならば、どんな時は「ナガサキ」してはいけないのでしょうか?
何があった時は「怒り、あるいは、心を冷たくして、突き放さ」 なければならないのでしょうか? 「ナガサキ」という言葉は、
それもまた教えてくれます。 「ナガサキ」の反対を考えてみればよい訳です。
「ナ」があなた・汝のことであるなら、
反対は、そう、 「ワガサキ」とでもなるでしょうか。 私はちょっとカタカナを交えて「エゴさき」さんと呼んでおります。 自分のことしか考えない、 自己中心でわがままな 「ワガサキ」「エゴさき」(我が先、エゴ先)
ということです。 もし、相手が、
自己中心、 相手のことをまったく考えない、 あるいは、 相手の不幸をあざ笑い、 相手の幸せを奪い・盗み・壊そう、 とするような者の場合、 我々は、「ナガサキ」を封印し、 「心を鬼にして、憤怒の不動明王」 にならねばならないし、
「心を冷たくして、突き放さ」
なければなりません。
「エゴさき」には
「ナガサキ」してはならない、 ということです。
逆に、相手が「ナガサキ」に徹している場合、
こちらは安心して「ナガサキ」に徹すればよく、
相互に「思いやりあって」信頼感は万全なものとなり、
成功が約束されます。
就職にあたっても、
友人を選ぶに当たっても、
「ナガサキ」を持っている企業・人を見抜いて欲しいし、
また「ナガサキ」な企業・人から選ばれる人材に育って欲しいと
願っています。
さて、我が国の政権中枢は、
我が国のことどころか、
世界中の一切のことを全く思わないある大国に対して、
いつも敬語をつかっておもねっています。
ビデオを公開すると相手が嫌がるから、公開するな、
といっています。
果たしてこの「思いやり」は、いい思いやりでしょうか?
それとも、悪い思いやりでしょうか?
みなさん、いかが思われますか?
日中冷戦が国益にかなう
|
サッカー対日戦では“唾吐き”“クギ刺し”はあたりまえだったニダ!2010/10/12 Tue 韓・日のサッカー戦争史…“唾を吐き、クギで刺して…”
(JES/中央日報 韓国語 2010/10/11) 韓・日戦は戦争だった。必ず勝たなければならない競技だったため、時には過度な情熱が噴出され、数多くの逸話を作り出した。 釜本邦茂は、68メキシコオリンピックで得点王になり、銅メダルに導いた日本サッカーの英雄だ。しかし、キム・ホの前では水に落ちたハツカネズミであった。釜本はキム・ホが持ちこたえる韓国を相手に、ただひとつのゴールも入れることができなかった。 釜本は、「キム・ホ! キム・ホ! キム・ホ! その名前をどうして忘れられるか。私をとても困らせた。彼は友人ではなかった(笑い)」と回顧したことがある。 キム・ホは、日本のサイドウインガーの杉山を捉えるために、一晩中、肉が擦り剥けるまでタックルの練習をした。 1970年代、ゴールキーパーとして活躍したイ・セヨンは、空中のボールを争うときは、ボールではなく日本の攻撃手の顔を拳で飛ばすこともした。 ミッドフィルダーとしてプレイしたイ・チャマンは、競技場にクギを持って入り、体当たりする日本選手たちをクギの先で素早く刺す反則を使った。主審に見つかりそうになればすばやくクギを捨て、完全犯罪に終わったという後聞だ。 ミッドフィルダーとして走ったイ・ヨンジン(現テグ監督)は、自分がマークする日本選手の顔に唾を吐くこともした。「前半が終るまでに無条件で日本選手の顔に唾を吐け」という先輩らの強圧のためだった。 1998フランスワールドカップ アジア最終予選、当時の日本のストライカー三浦知良にディフェンダーのチェ・ヨンイルが唾を吐く場面がテレビ画面に捕えられることもあった。 ややもすると、日本に敗れた日には逆賊の取り扱いをされなければならなかった。 チャ・ヤンズン技術局長は「一度日本遠征に出た時だった。日本の事業家から選手たち全員に大型カセットをプレゼントされたが、日本に敗れてしまった。世論が良くないと金浦空港の税関員らに押収された」と回顧した。 1993年10月、カタールで開かれた94アメリカワールドカップ最終予選で日本に0-1で敗れると、ホン・ミョンボ(現オリンピック監督)は「今後僕が出る韓日戦で敗ければサッカーシューズを脱ぐ」と宣言した。幸い以後、ホン・ミョンボは選手時期に韓・日戦で一度も敗れなかった。(機械翻訳 若干修正) 別に対日戦だけではないですね。 韓国サッカー秘史、強いチームと戦う時はくぎで突く?
(naverニュース 韓国語 2006/05/16) EBS「知識屋根裏部屋」が15日、韓国サッカー歴史の隠された裏話を公開した。韓国サッカーは1921年初めて開かれた「全朝鮮サッカー大会」を始まりに砲門を開いた。 この日、放送では1969年アジア青少年選手権大会で「くぎ反則事件」という不思議なハプニングが起きた事実を伝えて興味をそそった。事件は当時、韓国が準準決勝でイランと会ってから始まった。力強い優勝候補だった韓国チームは、自信感にあふれていたが、相手の選手たちを見ると一気に気がくじけた。 体格が大きかったし鼻ひげまで蓄えたイラン選手たちの外貌は脅迫的だった。代表チームは必ず勝たなくてはいけないと言う考えで、緊急会議を開いた結果、「あきれたくぎ反則」を計画することになった。 競技が始まり、韓国チーム選手が秘蔵の武器を取り出した。選手たちはくぎを懐に密かに隠したままイラン選手たちの尻を‘キリキリ’と突き始めた。 結局、イラン選手たちの抗議で韓国選手たちは審判の捜索を受けることになった。しかし、すでに作戦は終わっており、くぎは皆捨てた後だった。 韓国はくぎ作戦によって準決勝に進出した。 しかし喜びもつかの間。韓国チームは準決勝で優勝の夢を捨てなければならなかった。理由はイラン人主審が不公平な判定を下したこと。 これと関連して、当時代表の一人だったユ・ギフン全青少年国家代表選手は「背が高くて図体が大きい外国選手たちにどうすれば勝てるか、それなりにたくさん悩んだ」とし「結局くぎを持って行って相手の尻や腕を一度ずつ突いたことがあった」と打ち明けた。 勝利に対する熱望で一杯だった韓国サッカー史。現在はヨーロッパのどの国の選手たちと比べても遜色がない我々の選手たちだ。国民は敢えてくぎがなくても2006年ドイツワールドカップで飛び立てると言う事実を信じて疑わない。 (翻訳 2ch 蚯蚓φ★氏) 今はクギなんて使わなくても強豪国に勝てるようになったニダ 経済規模世界10位圏の実力ニダ♪ http://blog-imgs-34-origin.fc2.com/s/p/e/specificasia2/BW_Upload_71564365.jpg ちなみに、本日、ソウルワールドカップスタジアムで行われている、日韓戦(国際親善試合)の観客席には、『安重根』『李舜臣』『DOKDO KOREA』。(写真追加 2010/10/13 17:00) |
全1ページ
[1]


