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11日は地元岐阜の城跡巡りしてきました。
おにぎりと適当なおかずを詰めたお弁当持って出発。
出発直後に雨降ってきました…。
最初に『黒野城址』
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《黒野城址》
黒野城は、加藤氏の居城で、面積175.23?、本丸築堤の高さ5.4mある。加藤光泰は、初め斎藤龍興に仕えていたが、斎藤氏の滅亡後は織田・豊臣氏に仕え甲斐国甲府城主として24万石を領したが朝鮮の陣中で歿した。その子左衛門尉貞泰は幼く領地を没収され、文禄3年7月(1594)甲府城より黒野城に移って4万石を領した。(案内板より)
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近所は良く通りますが、行ったのは初めてでした。
住宅街によくぞここまでちゃんと残ったものです、
土塁と、水堀もしっかり残ってますし公園として整備されていて、
公民館とグランドがあり市民生活にうまく溶け込んでます。
雨の中、グランドでは野球少年団が練習をしており、
それを眺めつつ車の中でお弁当を食べました。
続いて『外山城址』(外山はトヤマと読むらしいです)
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《外山城址》
外山城といい、美濃源氏、土岐美濃守2代頼遠の2男光明が居城外山九ヶ郷を治めていたと言う(1300年代)木倉蔵塔寺の西南にあり、昔から城山と称する山上にあり、規模は小さいけれど戦国時代砦を築きその頃は要衝であったと思われる。その時代からさらに200年鷲見蔵人が居住していた事は疑い無し、家臣鷲見元左衛門と言うもの、山麓に邸宅を構たり。この人岐阜落城の際、斎藤氏の旗下にありて、天晴れなる戦功を立てたと言う。(本巣郡史より)
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黒野城址より山間部(揖斐川方面)へ車で10分ほど走った所にある城址ですが、
石碑が有るだけで、なんの説明もありません。(石碑の文字も読めない…。)
山の斜面を眺めていたら、雉か山鳥でしょうか尾羽根の立派な鳥が二羽飛び立ちました。
そんな所でした。
ホントは帰り道すがらにある揖斐川町の城山公園(北方城址)も行きたかったのですが、
時間的に今回は断念…
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