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(1月3日に記した非公開記事に追記して投稿したものです)
新年3日も過ぎてようやくごあいさつです。
旧年中はありがとうございました。
あいかわらず更新がままならないブログですが
今年もよろしくお願いいたします。
年明け始めの投稿で、長文になりますが今の思いを記録します。
昨年12月、父の兄にあたる伯父がなくなりました。
わたしは親の代から先祖代々の地を離れて生活しており
どちらかといえば親戚とはあまり近しい間柄ではありません。
亡くなった伯父の息子である一歳年下の従弟とSNSで繋がり
ここ数年再び交流していました。
従弟の母である義理の伯母は45年前に胃がんが元で亡くなり
従弟は両親と暮らした家から何百キロも離れた母方の祖父母のもとで中学と高校を出ました。
その後東京の大学に進み、就職後も東京周辺に居住していました。
「父さんもう長くはないよ」と従弟から連絡があった日
めずらしく、「ぼくの母さんのこと憶えてる?」と尋ねられました。
「とてもよく憶えてる。見た目にも心にも、贅肉のない人で、感じたことをストレートに言う
でも言葉はいつも温かく、笑顔が底抜けに明るかった。
幼稚園の先生でオルガンが上手だった。
生きていて年が近かったら友だちになりたいような女性だった」
わたしの記憶のかぎりに話しました。
従弟は、「ありがとう、ぼくの記憶と同じだ」
そう答えました。
その時の会話が、古い出来事を呼び覚まし、これまであまり意識しなかった親族を身近に感じるようになりました。
義伯母が亡くなったとき、従弟は中二、その妹である従妹は小五でした。
中三だったわたしは心が冷えていて、彼らの悲しみを想像することはできませんでした。
その後何ごともなかったようにそのまま大人になりました。
スピリチュアルや占いを避け、神社・仏閣も、古い建造物を見るという目的を除き関心はありませんでした。
数年前のある日、神社の大木の間を歩いていた時、あまりのさわやかな空氣に、パワースポットという言葉の意味が少しわかった氣がしました。
それからは、例えば目の前で鳥が飛び立つ時などにも、生き物の命を感じるようになりました。
生きているものと、かつて生きていたものが、エネルギーを持っている。
それは、別の生き物の細胞の一部になっているのかもしれないし、誰かの記憶の中にいるのかもしれません。
いずれにしても、そこに何かのエネルギーが働いていると感じるのです。
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そう感じるのは
やはり年齢の積み重ねというか
老いることも
わるくはないのだなというとを
感じさせます
2019/1/15(火) 午後 10:49
> くいまるさん
老いて身に着く力があるのかもしれませんね。
不思議なことにアンテナの精度は良くなってます(笑)
[ You ]
2019/1/16(水) 午前 0:50