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五月晴れの観音崎公園には、ガマズミと呼ばれる小さな白い花が、いたるところに咲いてた。
花の広場で、お弁当を食べた子どもたちは砲台跡に通じる、ひっそりとしたトンネルのわきにある小さ
な広場まで歩いていった。
肝試しが始まり、背の順で二人一組になった男女が、レンガ造りのトンネルを急ぎ足で走っていった。
純也君も、いっしょに歩かなければならない女の子のことを忘れているかのように、足ばやにかけぬけて
いった。
いよいよ美姫さんたちの番になった。
トンネルを目の前にして、猛君はこわさと緊張のためか、手のふるえがとまらないようだ。もう片方の
手で、おさえつけていた。
長さ50メートルほどのまっすぐのびたトンネルに足をふみいれると、ひゃっとした空気が流れてきた。
電灯は五つしかなく、ところどころレンガがはがれていて、それだけでも十分に不気味だった。
後ろから「待って」と呼ぶ美姫さんの小さな声にさえ、猛君は心臓がとまりそうだった。
立ち止まった美姫さんは、耳をすまして物音を聞いているようだった。
足をとめた猛君にも、聞こえてきた。
それは、うめき声ではなく、何かの鳴き声のようだった。
二人が目をこらすと、トンネルの出口あたりから、こちらに向かってゆっくりと歩いてくる大きな黒い
影が見えた。
その正体は、うす茶色の大きな犬だった。
「助けてほしいのかしら」と美姫さんがつぶやいた。「なんで」と猛君が聞いても、「わからないけど」
と美姫さんは首をかしげた。
すっかり霊のことなんか忘れた二人は、やさしそうな顔をした犬の頭をなでた。
首輪がついていないのを見て、「つれて帰ろうか」と猛君が言った。
家で飼ってもらえないことがわかっている美姫さんは困った顔をして、首を横に二度ふった。美姫さん
の家では、一才になる弟が生まれたときに、それまでかわいがっていた柴犬を親戚の家にひきとってもら
ったからだ。
「助けてあげられないから、ゴメンね」と言って、もう一度頭をなでた猛君たちは、トンネルの出口に向
かって歩き出した。
美姫さんが数メートル歩いてふりかえると、犬が二人のあとをついてきていた。
トンネルを出たところで、美姫さんが小声で話しかけると、しっぽをふった犬がうなずいているよう
に、猛君には見えた。
海の見晴らし台に出るためには、三度も直角に曲がらなければならなかった。海の見晴らし台の手前
に、砲台がつくられていて、それがじゃましていたからだ。
最初の角を曲がろうとした美姫さんがふりかえると、その犬の姿は見えなくなっていた。
結局、だれもうめき声を聞くこともなく、海の見晴らし台に全員が集まった。
そこは、行き止まりになっていたので、来た道を引き返さなければならない。
二人がトンネルを通りぬけたときには、もうその犬を見つけることはできなかった。
トンネルから観音崎灯台まで800メートルほどある山道を歩いている間、美姫さんは何度も後ろをふり
かえった。
猛君が心配そうに「どこに行っちゃったんだろうね」と話しかけると、美姫さんは下を向き、悲しそう
な顔をするだけだった。
灯台に登った二人が上からながめていると、先生が両手ではらいのけるようなしぐさをしていることに
気づいた。その足もとに、輝くような金色に見えるあの犬がいた。
「ついてきていたんだ」と美姫さんが、目を細めてつぶやいた。
美姫さんの喜ぶ顔を見て、決心した猛君が「つれて帰ろう」と言うと、美姫さんはほほえんでうなづい
た。
灯台から下っていく坂道を、つかず離れずその犬はついてきた。
猛君たちが砂浜で遊んでいる間も、美姫さんのそばでスフィンクスのようにすわった犬は、海のほうに
顔を向け、じっと子どもたちをながめていた。
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