人魚姫の呟き

自分を大切にするために捧げる音楽と永遠の祈り 人魚姫の夢・・泡のように儚い呟き

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有栖川FOREST HOUSE

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本当に、本当に、90パーセントやめようかと思っていたコンサート。

でも、結果的にやってよかったみたい!! お客様に喜ばれました!!

ピアノ科や声楽科の後輩たちを引き連れて・・

ピアノ伴奏は、私の8歳下の後輩・・今まで、私の練習用のテープとか、作ってくれたんですよね。
そんな純粋無垢さに、私はおされて・・今回、伴奏をお願いすることに・・

この日、名曲「夢の扉開いて」が、この日、生まれました。

夢の扉開いて
美しい花のように
貴方の心に飾る
歌を歌います

貴方の窓を開いて
素敵な歌を集める
ピアノを前に集いて
心かさねましょう

悲しみ涙さえも全ては消え去りました
貴方の優しさにおされ
今、歌を歌う

夢の扉開いて
美しい花のように
貴方の心に飾る
歌を歌います

作詞yoko

実は、日本に一時帰国してから、空白の2年間がありました。
ですが、それをばねに、今回のことに飛躍しました。
いろいろなことは、すべて、ひきかえなのかしら?

先生は「いや・・あなたは、初めからロシアに行っていたらうまくいかなかった。はじめにフィンランドがあるから、ロシア芸術が出来る。」とおっしゃります。

皮肉な話なのですが、ドイツ芸術に関しては、論文を書いたこともあったのですが・・正直な話、6年間、さんざん勉強して理解してきたドイツ歌曲(言葉、文学、解釈)より、なあんにも勉強してきてない論文を書いてないロシア歌曲の方が、お客さんの評価が高かったんですね。

海外留学時代は・・大変だったけど、いろいろ楽しかった!

言葉、食事、水、時代、宗教・・音楽以外のいろいろなことを知ることが出来ました。

あと日本語が恋しくて、本当に日本のもの、日本語だったら何でもよかった!1ヶ月前の雑誌とかも貴重でした。
おもしろいのが、お正月の日本人会の景品が、一ヶ月前の雑誌とかだったんですね。
それでも、喜んで持ち帰ったっけ・・
なつかしい話でした。

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はい。ここは、モスクワ音楽院です。ロシアで一番、難しく有名です。ロマノフ王朝から共産主義の時代、数々の素晴らしい有名芸術家を生み出しました。そして、その芸術家たちは、ロシアが変わるひとつの時代の波をつくり上げました。
時代の権力に反抗した芸術家たち、また時代に利用された芸術家たち・・いずれにしましても、みんな音楽に対して強い情熱があり、どの思いも正しかったのではないかと思います。そして、その魂は今でも受け継がれております。
先生は、ここは、モスクワの音楽大学・大学院を卒業した人が来る場所だとおっしゃられております。
自分も、日本の音大で6年・・フィンランドで4年・・計10年間、勉強してから、ここに来ました。

私は毎日のようにレッスンを受けました。
先生は、ここで一番、TOPの教授です。
ですが、コネクションはありません。
先生のレッスンを長年受けてきた人でも、予選で落ちている人います。
ちなみに自分は実力で勝負しています。(^^)

本当に、次から次へと、先生に観てもらいたい生徒が来ます。それは世界中から・・
普通は、毎日のようにレッスンはしてもらえないそうです。これ本当ですよ・・
先生は、この間、北朝鮮にも招かれたそうです。やはり元共産国同士は、仲がいいのですね。

ま、落ちても、この勉強した素晴らしい思い出は残るだろうと・・でも、素晴らしい音楽院だと思います。建物も・・アンティークで・・ここに来ると本当に、純粋に音楽を勉強している気持ちになれます。

もし、私が5歳若かったら・・間違いなく、ここの博士課程に進んだでしょうね。私は、フィンランドで博士号を取ろうと思った時期がありました。
今だから言えますが、フィンランドは、どこからも入る道がなくて・・
おまけにシベリウスアカデミーの声楽だけは、ここ15年、フィンランド人しか入ってない・・
でも、そのおかげで、ヒュンニネン先生の御自宅で毎日のようにレッスンをしていただました。奥様とも仲良くなり、家族くるみのつきあいが出来たのです。

チャンスは、ロシアで自然にめぐって来ました。というか、一番、初めてのレッスンから。
外国人の学費によって、成り立っている音楽院は、私のように本気で勉強したい学生にもチャンスがありました。
でも、その時は、もう、日本でもいろいろな演奏や人間関係の基盤で出来ていて、遅かったの。
なんで、チャンスって、望んだときに来なくて、望んでもないときに、めぐってくるのかしら・・

ただ、演奏家は学歴でない。自分は論文を書いて卒業しましたが、舞台上で、御客さんから必要とされる演奏をすることとはそれは別の感性や心が必要です。
どんなに、理論的、演奏解釈、作曲家のこと、言葉のことを理解していても、お客さんに魂や心を伝える情熱がなければ、客席に伝わりません。それはプロフィール上だけの経歴だけになります。むなしいです。芸術は、お客様にその心を伝えることが出来て価値があると思っています。

ジェラシーをしたら、人間の成長は止まると思っています。
なぜ、ジェラシーをするのかというと、自分の方が苦労していて、本当は自分の方が上。だと思っているから。
だけど、それは人間の怠慢です。
人には見えない苦労や努力がある。誰にも言えない苦労がある・・

それを、いとも簡単に手に掴んだように見えても、それは、その前とその裏でとてつもない努力がある。

この音楽院の練習室で練習するたびに、このピアノは、あの有名なピアニストも弾いたピアノなのかな・・図書館の古い楽譜を見るたびに、この楽譜は、あの有名オペラ歌手もコピーしたのかな・・と思うととても幸せです。

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初めからロシアに来ればよかったのかなぁ・・とは思いますが、(外国人が入りやすいロシアでは、経歴もつけられたのでしょうね・・)とは思いますが、非常に遠回りをしてきた自分にとっては・・

学生時代は、ドイツ芸術に関しては、論文を書いたこともありました。
一生懸命、シューマンやブラームスの演奏解釈や詩について勉強していました。
フランスオペラ「カルメン」について・・それが卒業論文でしたし、スイスの作曲家オトマールシェックについても研究発表したことあったなぁ・・。

日本オペラ「あまんじゃくとうりこ姫」も・・
甲高い声で「おら・・あまんじゃくで、ねえでや!」とかセリフの練習をしていました。
・・ずぼんはいて男の子役を演じたんですよ。(^^)
自分のことをうまく表現できないから、人まねばっかりしてしまうそんな男の子かわいい存在なのですが・・
それで、みごとオペラが嫌いになりました。!(>_<)(笑)

学生時代、歌手でありながら役者でもありました。
舞台根性は、徹底的に叩き上げられました。

そして、私自身は、精神的な歌曲の世界に・・没頭しました。

それ以来、オペラの世界は封印しています。

そういえば、ポーランドは最近、EUに加盟したそう・・
エストニアも最近かしら?・・あのあたりの国の方は、みんな第1外国語としてロシア語を話せるんですよね。ただ、彼らたちは、死んでもロシア語を話さないんですよね・・いろいろと共産主義のつらい時代があったからなのかもしれません。

私のパスポートはすごいです。スタンプだらけ・・10年パスポートがもう、3年でいっぱいです。(^^;

考えてみれば、このビザの申請とかぜーんぶ、自分でやってきたんだから、ほんと、外国文化を輸入してくるオペラ歌手は、体力が必要です。

アメリカのカーネギーホールとメトロポリタン歌劇場は憧れる。
どんなに体が小さくても、世界のNO1に触れてみたい。
私は、いつも一流もめざしてきましたし、フィンランドでもロシアでも、その名実ともNO1の先生のもとで勉強してきました。それは私は、35歳までに関わること。

それにしても海外からの引越しって、本当に大変なんですね。電圧も違うし、フィンランド在住の時は、全部、電気製品を買い直さないといけなかったですし・・

日本に戻ってから一番、食べたいのはおさしみ・・
よほど飢えていたのかと思うくらい・・
おしょうゆや豆腐が恋しくなったり、おせんべが食べたくなったり、おそばが食べたくなったり、折り紙をしたり、日本こけしを見たり、そんなふうにして日本への思いをおさえていました。

海外と日本を往復していると、想像のつかないことが多いんですね。本当に・・

25歳からずっとオペラの世界は封印していました。
学生時代のつらい思い出があるからですが、
だけど、これからは、現実的な世界に入って生きていきたいです。。

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先ほどの続きです。こんなに写真出しちゃっていいのかなぁ・・・

最近、ありのままです。変に自分を隠したり、取り繕うのが・・億劫になってきました。

この地下鉄に乗ると、北朝鮮に行けます。(笑)元共産主義は地下鉄のデザインが同じなんですよね。

それにしても、芸術家って、いつの時代でも、強者の下働きなのね。
それで、それらに利用される存在なのね。
時代のために曲を書かないといけなかったり・・戦争のため、人々の闘争心を書き立てるために曲を書かないといけなかったり・・

愛が人間や地球を救うなんて言われているけど、それは表現の自由が与えられた時代であるからこそ。
それは、その時代の強者の思し召しがあったからこそ。

そんなことも言えない時代。共産主義の時代は、人々に表現の自由は与えられていませんでした。

唯一、芸術のみが人の心を表現できるものでした。

ただ、人の心を表現するものは、芸術だけだったと思います。

どんなにお金が必要でも、最後、芸術家は愛を伝えるために生きています。

それから、ペレストロイカから始まって、ウクライナからランプが止って、ロシアの周りの国・・グルジア、エストニア、ウズベキスタン・・それらの小さな国の存在を忘れてはいけませんね。

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