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2010年2月4日(木)13時46分
週間ボスト2月5日号には、以下のような記事がありました。
>>記者たちがいいように踊らされているのは、法務省・検察の記者
クラブが最も“統制”が厳しいクラブであるからだとされる。
「表に出すべきではないと検察側が考えていることを記事にすると、その
社は“出禁”を食らう」(大手紙記者)
この出禁には3段階あるといい、「特捜部出禁、地検出禁、法務省出禁
の順に“処分”が重く、出入り禁止にされる範囲が広がる。幹部の自宅を
夜回りしても、『オタクは出禁だろ』と、しゃべってもらえない」(同前)
と言い、特オチ(他社がいっせいに報じているのに一社だけ後れをとること)
が続くのだ。
そして一定期間を経ると、事務官から「出禁解除」通知がある。
(「石川の涙」をなぜ書ける?かくして司法記者たちは踊る)
ここでも検察権力vsマスメディアの力関係が、如実に示されている。
もしこのような検察権力の行使が、政治権力(たとえば政権・与党の民主党)
においてなされたとしたなら、マスコミは「政治権力の言論統制は、断固とし
てゆるすべからざる暴挙だ」「政治権力の暴走に歯止めをかけることこそマス
コミの使命だ」などと、連日、紙面を大きく取って書きたてるに違いない。
ところが、検察権力のあからさまな“言論統制”にはまったく屈従するのみ。
これでは民主国家のマスメディア失格ではないか。
ということは、「検察リーク情報」こそは、戦前の「大本営発表」と何ら
変わらない言論統制の実態であるということなのだ。
「権力を監視することがマスコミの使命だ。政権交代後も、その使命を果たしてゆく」
(朝日新聞・船橋論説主幹)という言葉があまりにも虚ろに響いてしまうではないか。
日本はまだまだ“言論統制”が厳重にしかれている検察ファッショ国家ではないのか。
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