鳩山政権論

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  2010年2月28日(日)18時24分

老害ジャーナリスト・田原総一郎は歴史認識の欠如がはなはだしい

 田原総一郎氏の的外れなサン・プロ番組が、3月末で終焉することは

喜ばしいことだ。それは旧政権・与党である自民党の終焉と同時期で

あることは、歴史の必然ということであろう。

 田原氏のサン・プロは自民党長期政権下における、政権・与党である

自民党を追及するという場面設定において最も本領が発揮されたという

ことに異論はない。

 政権・与党が厳しく追及されて良い条件は、

(1)政権・与党が強力で野党が政権の受け皿とはなりえない状況にある場合、

(2)また政権・与党が弱体化しつつあるが、同時に野党側に次期政権の受け皿

が準備されている場合である。

 しかるに現状は、

(3)政権交代を実現できたが、政権・与党が試行錯誤の段階で、強力な政権を

樹立できていない場合である。

 しかもわが国における政権交代は、英・米などと違って、政権担当の未経験

な議員が政治主導に挑戦しているという、戦後の政治状況においてもきわめて

特殊な場面にあるという状況認識が必要である。

 したがって(3)の状況において、政権が国民的支持を失うと、政権交代その

ものが水泡と化してしまうという厳しい状況なのだ。しかも、17年前の細川政権

の時との決定的な違いは、細川政権時は、野党第一党の自民党が、比較第一党の

勢力を持っており、自民党中心の政権の受け皿が準備されている状況でもあった

のに対して、現状は自民党側にその受け皿はできてはいないという状況であり、

国民も旧・自民党政権の復活は、全く望んではいないのだ。

 つまり、戦後の政党政治の歴史を顧みても、(3)の状況は、政権交代は成し

遂げたものの、政権基盤は脆弱であり、しかも、次期政権の受け皿が準備できて

いないという、きわめて不安定な政治状況にあるということなのだ。

 しかも、わが国の国際的信用という観点から、毎年1年足らずの首相の交替劇

が続き、安倍・福田・麻生・鳩山と4人目の首相である。これでまた首相が変わる

ということは、国際的信用からいっても非常に問題ありというところだろう。
 
 田原氏などのマスコミ人の最大の問題点は、(1)(2)の長年のジャーナリスト

経験に基づいて、対政権・与党へのスタンスが位置づけられているという点にある。

 今回の政権交替劇を単に「自民と党中心政権から、民主党中心政権へ」と政権交代

したとしてしか見なしていないことが、まったく歴史認識ができていない証拠なのだ。

 今回の「政権交代」の歴史的意義は、「政治システムとしての二大政党型・政権交代」

を確立するということにある、ということがまるでわかっていないのだ。つまり、

何が何でも4年間は、民主党中心政権の継続ということが実現しなければ、政権交代の

意義はまったくムダになってしまうということなのだ。

 民主主義は何のためにあるのか。それは国民の意思で政治権力を樹立して、政権を負託

された政党が、政策を実行することにあるのだ。樹立された政治権力が弱ければ、その

政策実行力も弱いものとなっていくばかりではないか。

 良いことも、悪いことも「強い政権」でなければ、政策の実行ができないということ

なのだ。国民の責任は、「強い政権を打ち立てて、良いことを多く実行させ、悪いこと

はなるべく少なく実行させる」ということに尽きるのだ。つまり「強い政権が樹立でき

なければ、国民の望む政策は何一つ実行はできない」ということなのだ。

 要するに現状において、国民が選択すべきは、

  (1)政権移行期の弱い民主党政権を、強くすることに協力するか。
 
 (2)弱い民主党政権を、別の強い政権に取り替えるか。

 そのどちらかしかない。

 しかも、民主党の衆議院300余議席は、変動しない以上、民主党中心の政権は、

解散しない限りは、継続するのであるから、(2)の選択肢はありえない。

だとすれば、現民主党政権を強くして、政策を実行させるほかに国民が選択する方向

はありえないのだ。

それが昨年8月末の衆議院総選挙において、政権選択した国民の責任というものだろう。
 
 現状のマスコミ人の行動は、

 「政治権力は、強くない方がよい。弱い権力ならば、悪いこともできないだろう。」

という方向ではないか。このままの状況で、田原氏などが民主党タタキに加担し続ける

ならば「悪いことも、良いことも、何も実行できない弱体政権」がダラダラと続くか、

それとも、自民党も民主党も分裂して、多党化状況が生まれてくるという事になる。

 仮に民主党政権が倒れた後も、できる政権は多党化連立政権であり、政策の実行力に

おいては、さらに弱体政権ができることは間違いない。また国民も、政局の混乱状況に

いや気をさして、政治不信(政党不信・政治家不信)という状況は、いっそう深刻化

するに違いない。また国際的にも日本政府の信用は失墜していくことになるであろう。

 私が言いたいことは「権力は批判されるべきだ」というマスコミ人の刷り込みこそが、

日本を滅ぼすということなのだ。

 最近も東京地検・特捜部の元検事が

「国が滅んでも、正義を行なわれるべし」

というとんでもない発言をしていたが、

マスコミ人は

「国が滅んでも、権力は批判されるべし」

ということがとんでもない妄想であることを自覚しなくてはならないのだ。

 昨年8月末以降の日本の政治状況は、

  「国が滅んでも、正義を行なわれるべし」という検察権力と、

  「国が滅んでも、権力は批判されるべし」というマスコミ権力の合わせ技

によって、「政治権力の弱体化」がどんどん進行しつつあるという危機的状況

なのではないのか。

 「政治権力の弱体化」がどんなに国民にとって不幸なことかについての危機感が、

まるでマスコミ人には存在してはいないようだ。

 
  2010年2月26日(金)10時26分

 かねてから私は田原総一郎ファンであり、サン・プロファンでもあったが、

政権交代以降の田原氏には、幻滅を感じた。そればかりか、田原氏の民主党

政権への報道スタンスは、きわめて確信犯的な「世論誘導」以外の何物でも

ないと断定せざるをえないと思うようになった。

 細かいことも含めれば数多く指摘されるが、大きな罪状としては次の三点

があげられる。これは鳩山・民主党政権の国民へのイメージ形成にとっては、

非常に重要なものであり、看過しえない点である。

 (一) 宮内庁・羽毛田発言に端を発した、天皇特例会見問題の経過説明で、

自民党の中曽根元首相も、官邸に働きかけたという事実を、一切語らなかったこと。

(つまり、鳩山首相の行動に対しては、中曽根元首相も、積極的に賛同・支持して

いたことについて、自ら知っているにもかかわらず、意図的に隠蔽したことである。)


(二) 昨年12月の藤崎駐米大使とクリントン国務長官との会談の件で、

日米関係が険悪な状態になったという問題について、一切取り上げようと

しなかったこと。

年明けのサン・プロにおける岡田外相を招いての対談においても、一切話題

にしなかったこと。特に、藤崎駐米大使発言の後の、クローリー国務次官補の

訂正発言についても一切取り上げず、「普天間問題で日米関係は、険悪な状態にある」

という新聞報道を鵜呑みにして、岡田外相と対談していたこと。

(三) 自民党の党勢拡大のための小泉進次郎議員による横須賀自衛隊機地ツアー

に対して、自衛隊による「政治介入」問題について、一切語らなかったこと。

(この件については、知らない可能性もあるが、そうだとしたら政治ジャーナリスト

として怠慢である。)

 以上の三点について、田原氏がほとんどその重大性の認識ができていないところが

大問題であるが、その理由の大半は田原氏の情報源が、大手新聞報道に基づいている

ということにある。朝日・毎日・読売・産経などの全国紙と東京新聞といったところ

を隅々まで読むことをもって、毎朝の日課とするというのが平均的な政治評論家の行動

パターンであろう。テレビ・タックル常連の政治評論家・三宅久之氏などもその類(たぐい)

であろう。これらの政治評論家たちの発言を聞いていると、ネット上での議論はまったく

耳に入ってはいないことがはっきりわかる。


 昨年の小沢・西松献金問題以降、新聞ジャーナリズムとネット・ジャーナリズムの議論の

動向にかなり乖離傾向が見られ、その情報分析のあり方も、まるで違って来ている。

ネット上での議論を周知の上での発言なら、まだ救いがあるが、彼らにはネット上の議論

などまるで別世界の議論でしかないく、いわば盲目状態にあるということなのだ。

 またもっとも国民的に影響力の高い媒体であるテレビ番組が、ほぼ新聞ジャーナリズムの

占領下にあり、大手新聞を主たる情報源としている政治評論家たちが、大手を振って発言して

いるのが現状ではないか。

 田原氏の仕事部屋にはパソコンは置いていないと言い、おそらく三宅久之氏

(元毎日新聞編集長・政治記者)も、80歳のご高齢であるから、ネット情報の活用などは

ほとんどしてはいないだろう。

 政界における政権交代は、ある種の新陳代謝であり、若返りのシステムでもあるのだが、

マスコミ・ジャーナリズムでは、新陳代謝がなされず、これらの政治評論家たちの老害が

蔓延しているというのが現状だろう。

 これらの老害・新聞ジャーナリストたちに言いたい。あなたたちはには、マッカーサー元帥が

軍人としての公職を退くにあたって述べた次の発言がふさわしい。

「老兵は死なず、ただ消え去るのみ(Old soldiers never die; they just fade away.)」


※マッカーサーの「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」

って簡単な日本語になおすとどういう意味になりますか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1120465801
 

 
  2010年2月22日(月)09時46分  

 民主党の中島政希衆議院議員の公式サイトを最近見つけて、大きな感銘を受けた。

まさに昨年3月以来の、小沢・鳩山政治資金問題への、成熟した大人の議論が展開

されている。こういう中島議員のような方が、テレビなどにも出て、しっかり主張

してくれたなら、多少は流れが変わったのではないかとさえ思えてくる。

この中島議員の論考を読むと、いかにマスコミ人たちが、不勉強で、歴史認識に

おいて欠如しているかがはっきりとわかるというものだ。それとテレビ出演して

いる民主党のタレント議員たちも、この中島議員の論考ぐらいはしっかり読んで、

現状分析をした上で発言するべきだろう。特に松下政経塾出身の民主党議員の

歴史認識の欠落は、民主党にとって致命的である。

 寺島実郎の国際的視野と構想力、また中島政希議員のような歴史認識(政治史)

に精通した人材など、鳩山・民主党政権には優れたスタッフおよび支援者が充実

しており、今後とも大いに力を発揮していただきたい。
 
(一部紹介)

「革命のコスト」の問題

「そもそも新党さきがけや民主党の創立は、鳩山由紀夫氏ないしは鳩山家の信頼性

を抜きにしてはありえなかった。そして、民主党が政権に到達するまで十有余年。

この野党時代の困難さは筆舌に尽くしがたいものがあった。私(中島議員)などは

運が良かったほうで、この間多くの逸材が、無名のまま朽ち果てていった。

鳩山氏や今回罪を問われた彼の側近たちの温かい心づかいがなければ、私は政治

活動を続けることはできなかっただろう。それは私だけではなく、多くの民主党

関係者が共有している思いだ。

 かつては、資産家が私財を投じて政治活動を行うことは当然の責務だった。

60年代の自民党で、私財を投じて派閥を養い、宰相の座を目指した藤山愛一郎

の政治活動は美談として称えられたものだった。しかし今日においては、それは

政治資金規正法違反を問われることとなる。

 今回の政権交代に至る十余年の野党時代のコストを誰が担ったのか。結局、

旧新進党・自由党系においては小沢一郎氏であり、旧さきがけ・民主党系に

おいては鳩山由紀夫氏ということになる。それを、小沢氏はゼネコンからの

献金で賄い、鳩山氏は鳩山家の私産で賄ったのである。それは倫理の問題を

超えた政治史的事実の問題であり、私は、国民はこのことに寛容であって

ほしいと念願している。

 鳩山氏の献金問題が問いかけているものは何か。断じて「子供手あて」

などと揶揄すべきものではない。それは、帝国議会以来政党政治の確立に

献身してきた鳩山氏と彼の家族が投じた「革命のコスト」なのである。

 しかしそれは、検察的正義とは対立するものだ。検察的正義を基準と

する限り、原敬も加藤高明も腐敗政治家の典型でしかない。そして検察

的正義が戦前の政党政治に決定的打撃をもたらしたことは、本欄で夙に

語ってきたところである。政党政治の大義をとるか、狭小な検察的正義

をとるか。日本に政党政治が確立するか否かはそこにかかっている。

 幸いなことに世論調査では、鳩山氏に辞任を求める声が多数を占める

には至っていない。私は日本国民の政治的成熟を信じたい。

(平成22年1月3日 中島政希 記 )


No.189:司法合理性の陥穽 (平成22年1月27日)

No.188:革命政権の諸相 (平成22年1月3日) 

No.186:政党政治と「司法部」の暴走3 (平成21年3月27日)

|No.185:政党政治と「司法部」の暴走2 (平成21年3月21日)

No.184:政党政治と「司法部」の暴走  (平成21年3月16日)

http://nakajima-masaki.com/monthly.html

  2010年2月14日(日)14時52分  

 鳩山内閣は,新年早々藤井財務大臣の辞職後、菅副総理の財務大臣就任によって

仙谷行政刷新大臣の国家戦略担当大臣が兼務の状態が続いていたが、ここは仙谷氏

の盟友である、枝野議員の補充は適材適所の人事であった。

 昨年12月の事業仕分け人としての枝野氏の国民的期待が大きいという現実もあり、

行政刷新大臣への抜擢によって、23年度予算編成への準備を今から始めようという

ことなのだろう。

 仙谷・枝野両氏は、弁護士(自由業)出身の政治家であり、弁舌はなかなかの

ものであり、説明能力は十分に持ち合わせている。個人プレーや少人数のサークル

活動のレベルでは、十分な能力を持っていると言えよう。ただ一方では、組織人

としての統率力といった面では物足りない面もあるのではないか。したがって、

監督官庁を持たない大臣職である行政刷新相で、かつ短期的に成果を出すという

事業仕分け作業には、適任者である。

 枝野氏と小沢氏とを比較してみると、枝野氏が敬服している政治家は尾崎行雄

であり、小沢一郎は原敬である。尾崎行雄は東京市長や大臣職は経験しているが、

演説の名人であり、軍部とも戦った一匹オオカミ的政治家であった。一方原敬は、

総理大臣として、藩閥政治から本格的政党政治への大改革を実行した政治家である。

原敬は、実務家であると同時に策略家でもあり、また国際協調派として「世界の

中の日本」の立場をしっかり確立するという国家構想も持っていた政治家であった。

 尾崎行雄は一匹オオカミ的な理想化肌の気骨ある議会政治家であり、原敬は、

現実主義者として、政治改革の実績を残した名宰相であった。

 枝野氏は、民主党の次世代総理候補の筆頭格であろうが、行政刷新大臣として

経験を積むと共に、原敬のような現実的な改革政治家からも十分に学ぶ必要がある

のではないか。

 また鳩山首相の今回の抜擢人事は、鳩山氏の八方美人的な性格が良い方向に

働いたと言えよう。鳩山氏には、能力のある人材ならどこからでも誰でも抜擢

するという包容力があり、好き嫌いのはげしい小沢氏には無い資質である。

確かに鳩山氏個人は首相としては、決断力に欠けるという難点があるが、

民主党内閣として考えるならば、鳩山氏だからこそ、これだけの有能な人材

を配置することができたのではないか。  

 政権運営としては、「内閣の総合力」で勝負すべきであって、国民が民主党

に託すことを決断したのも鳩山代表の強力な指導力への期待ではなく、民主党

政権の「総合力」への期待であった。

尾崎行雄記念財団 (尾崎行雄について)
http://www.ozakiyukio.or.jp/gakudo/index.html

  2010年2月17日(水)10時20分

 国会の与野党の攻防を「仁義なき権力闘争」と命名するゆえんをもう少し詳しく

説明したい。もっとも醜悪さを感じたのは、与謝野質問であるが、その与謝野氏に

ネタを提供した鳩山邦夫氏の問題も大きい。

 邦夫氏の兄・由紀夫氏への怨念の深さは尋常ではない。兄弟・骨肉相食む姿を

見ることは、国民にとってもけっして愉快なものではない。ただ両者共に政界に

身をおく以上、権力抗争に巻き込まれてしまうことは、やむをえないことも理解

はできる。

わたしがもっとも嫌悪感を感じたことは、邦夫氏が「母親のことば」を持ち出して、

兄・由紀夫氏を攻撃しているという点である。(与謝野質問であるが。)しかも、

邦夫証言を根拠にして、国会質疑の成り行き次第では、母親が参考人招致・証人

喚問に引っ張り出されかねないことは十分に予測できた状況であったのだ。

(実際、自民党の議員から、母親の参考人招致・証人喚問の要求の話は出ている

ではないか。)由紀夫・邦夫兄弟の政治家としての出世を信じて、分け隔てなく

支援金を提供してきた母親が、国会の場で、厳しい追及の場に立たされることに

なるかも知れないことについて、邦夫氏は心が痛まないのだろうか。ある意味では、

母親は、政治家・鳩山邦夫氏にとっても最大の支援者であり、最大の恩人であった

はずではないか。90歳近い老いたる母を、権力闘争の修羅場に、引っ張り出して、

厳しい批判の矢面に立たせるような場面が想定されることに、躊躇逡巡(ちゅうちょ

・しゅんじゅん)することはなかったのだろうか。むしろ、邦夫氏の立場なら、

自らが多少とも政治的に不利な立場に立たされようとも、最大の恩人である母親を、

守るべき立場にあるはずではないか。

 与謝野氏も与謝野氏だ。「邦夫君の情報はたしかに、野党の政治家として、ノド

から手が出るほど欲しい情報であるが、邦夫君は、最大の恩人である母親を、

生贄(いけにえ)にすることになるかも知れませんよ。それは政治家である前に、

人間として、してはならないことではないですか。また私も、私自身の質問によって、

邦夫君の母上をそこまで追い詰めるような事態にでもなったら、邦夫君の母上に対して、

まことに申し訳ないことになる。邦夫君、今回は「母親のことば」を持ち出して、由紀夫

首相を追及することは断念しよう。」

 これが人生経験豊富な与謝野氏の年の功というものだろう。

 ところが、あの与謝野質問の場面を見ていると、そのような人間としての品格(仁義)

が全く欠落していると言わざるをえない。あの与謝野質問には、鳩山家の親子・兄弟、

骨肉の争いが凝縮されており、まさに国会が「仁義なき権力闘争」の修羅場と変じて

しまったことは残念なことであった。

 そのことで思い出すことは、橋本大二郎氏が、自民党推薦の候補と対決して高知知事選

に出馬した時のことである。大二郎氏によると、兄・竜太郎氏について次のように語っている。

「平成3年の最初の知事選挙の際には、相手が自民党が推す候補だったのにもかかわらず、

高知まで応援に来て、「自慢の弟です」と応援演説をしてくれました。」
http://daichanzeyo.la.coocan.jp/history2.html

 橋本大二郎・竜太郎兄弟も鳩山兄弟と同じく、異母兄弟とのことであるが、この時の

兄・竜太郎氏の行動には、当時多少の違和感を覚えたことを記憶しているが、今になって

見ると、人情というものはこのようなものであろうと思わずにはいられない。

 国会が、政策論争の場から、仁義なき権力闘争の場になってしまった。

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