出会いの風景

日常の出来事、出合った、風景等の 回想文等を書いてみたい。

思い出

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思い出の写真



一昨年の事でした、亡夫の学生時代の友人夫妻からお招きのお手紙を頂いて苫小牧に行って参りました。
その折、苫小牧に近いウトナイ湖まで御案内頂き、行って参りました折の写真を御披露させて頂きます。


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私は云十年前、新卒で北海道に就職致しました。
昭和30年、今から60年前の事ですから、鈴蘭の丘・霧笛に憧れ、若い娘が単身で(伯母が太平洋炭鉱に居たこともあって)北海道の釧路の学校に就職した事で父の怒りをかい、二年で連れ戻されました。
      又
その後、撮影会、スキーに登山と亡夫と数十回と利尻・礼文と大雪山・旭川・稚内・ニセコ・富良野等々北海道に参りましたが、ウトナイ湖等全く存じませんでした。。。亡夫任せの旅でしたから。。。。。

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此の湖に隣接の「道の駅」も御座いまして、、沢山の観光客で賑わっていました。
この度、自宅より通院以外は外に出られませんでしたので、過去の思い出の記事や写真を探しましたら、、此の写真が出て参りましたので。更新してみました。

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片足の白鳥が居まして、幾たびか、飛びたとうと助走始めますが。。飛び立つことが叶わず。ボウーとしている白鳥見まして哀れでなりませんでした事を思い出しました。。
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試みては叶わず。。岸辺に戻る白鳥の表情は哀れでなりませんでした。
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私どもが居ます間2度こころみていました。
心なしか其の表情は悲しそうでした。

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再びの挑戦も叶いませんでした。。。
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水面に又戻り、それから向う岸に泳いでいきました。
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youthもこの度、怪我をし、暫らく活動範囲が抑えられ苛々した事も御座いましたが。。
故郷に帰れぬ白鳥よりはましかなと、想い出話しを更新してみました。。この白鳥もyouthと同様、達観して出来ることをして、その日その日を楽しんでいるのかもしれません。

                        
5年前まで、テニスに夢中でシニア代表で全国を飛び回っていた頃の中間達や、撮影会の仲間達から何かにつけ呼び出されても遠慮していましたが、極最近は(車での送迎に甘えて出かけています)日々を楽しんでおります


合掌

 
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   広島に原爆が投下されて69年
 
     。。。我が家ではこの日は特別な日で御座います。。。

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我が亡夫は此の日、広島の兵器学校に入校するよう命じられ、在籍中にこの原爆投下被害にあって被爆者でした。
 
。。。。現在元気でいれば、90歳です。
 
。。せめてこの日まで元気でいてほしかったです。。
。。。。今は亡き主人の母は97歳まで健在でおりました。
 
亡夫の家系は皆長寿で90歳以上でも元気でいました。
72歳で原爆の後遺症[前立腺癌]で18年前に亡くなりました。。
今日この日を迎えますと....かえす・がえすも残念でなりません。。。
 
亡夫も広島の原爆碑に名前を連ねております。


追憶〜〜友人の思い出

我が友yaさんは昨年暮れ、急性肝炎でこの世を去りました。絵描きの友として親しくして参りました。彼女は性格は明瞭で、頭脳明晰で全てに秀出ていた人でした。前記でも更新しましたが。。日を追う毎に彼女への思いは募るばかりです。
彼女の晩年(退職してから)は、年に2回も海外に写生旅行に出かけその都度過って私が出かけたヨーロッパの国々をスケッチして来てはアソコハ今はこんな風でしたよと、報告してくれたものでした。(生前・彼女は学校の教師でした。。)
=彼女の在りし日のⅠページ=
(岩手県小岩井農場に写生に出かけた折の彼女)
 
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これからも彼女の事を時折更新致します。追悼の意味で。。


  雨上がりの夕暮れの鱗雲


秋田も梅雨が上がり今日当たりは猛暑35度関東以南並みで御座いました::今日の夕暮れの空は鱗雲で怖いくらいで御座いました::
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時間が経つに連れ夕日をさえぎる鱗雲に怖さを感じた空模様でした::
それでもこの頃は未だそれほどでも御座いませんが:::
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午後6時頃夕日が雲に遮られ雲の合間合間に茜色が見えるだけ::

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関西から訪れた若い若い友人が3人この夕空を見て家の方が心配で其々携帯で様子を伺っていました::皆御家族が大丈夫と知ると::この夕景を写して御家族に送っていました::
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::::過ぎし日、私は二十代に2年間ですが関西で過ごしました::::
::音楽を通して交流が御座いました:其の当時:彼達は高校生でした::
私が弾くピアノの前で合唱したり斉唱したり::3人ともパートは違っても、それぞれ素晴らしい声の持ち主で御座いました::
彼達の学校では其れ々の:クラスの合唱では三人ともソロを受け持っていましたようで御座います::::
S君はテノール::T君はバリトン::H君はバスで御座いました::
その後大学は其々れ別々;職場も、今では皆退官し年金暮らしをしております::
その友情は今も続いていて、永遠に良い友である事で御座いましょう::
S君は二人より一年先輩で御座います::
其々れ今は何かにつけ集っているようで御座います::こうして遥々訪ねて来られますと可愛いもので御座います::
と申しましても「67歳と66歳」で御座いますが::彼達は勉強が良くできた兵達で良く私の言うことを聞いてくれた又紅顔の美少年達で御座いました::
然し二人は白髪:一人は大半頭髪が抜けて光頭::でも対しますと紅顔の美少年の頃となんら変わり有りませんでした::
:::明日ホテルを引き払い帰途に着きます::駅まで見送りたいと思っております:::
 
:::::::私の年では二度と合えない事になるかも知れませんから:::::::
 
私を自分達より若いとヨイッショし、この年寄りを、からかっておりました::
 
彼達の写真は披露できませんが::
 彼達に写して頂き::僕達よりも若いと言われてツイその気になって::滑稽ですね
私の写真を恥を忍んで披露させて戴きます::
恥かしさを忘れた:御(オントシ)年:77歳の老女で御座います::
 
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:::それぞれ自宅に帰りましたらこの記事を見てくれるそうで御座います:::
::「ホントに出しているぞオーイ」 と電話しあい大笑いしてます事で御座いましょう::
:::::明日お別れする時は更新したとは申しません:::::
::::::一笑されると困りますから:::皆様どうぞお笑下さいませ::御遠慮なく:::::
::::::::今月中に白内障の手術をします::::::
::::::::::その前にとも考え実は更新いたしました次第で御座います::::::::::
:::::::::::::::何時::亡くなるかも知れませんから記念に:::::::



       
実家の父の命日に因んで今、私の手元にある写真を更新致します::
過っては父は軍人でした::其の写真は先に更新済みですので、合えて更新するまでも御座いませんので::この前も申し上げましたように甥がお土産として持参しくれた残りの一枚で御座います::
実家には父の写真は戦前・戦後通して沢山御座いますが::(戦後は書道家として活躍していましたものです故)但し私の手元には2枚だけで御座います::



◆この写真は昭和10年に戦地から一時休暇で東京の自宅に帰省してました時に父の田舎の祖父のもとに挨拶に出向いた折の記念写真で御座います::
父の実家は片田舎の造り酒屋で御座いました::
秋になりますと酒蔵の一つで祖父の道楽で菊の展示会を毎年催していたそうで御座います::
父は酒作りの若い衆達の作業衣を借りて着て姉と私と3人の記念写真で御座います::
父の長兄(私の伯父)が東京の息子(私の従兄)の処に同居しましたので、戦時中に造り酒屋は廃業しました

この当時は田舎で洋服を着ている子供はいませず::周囲の子達が物珍しそうに菊でなく私達を見に来ていたそうで御座います::


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父に抱っこされているのは???
  満2歳のyouthで御座います(昭和10年)
 
父の横に立っていますのは5歳の姉で御座います:::
 


◆あの世で亡夫も亡父と一緒で仲良く喧嘩でもしていますのでしょうか・???
亡夫は登山が趣味で御座いましたから、昭和27年の5月頃乳頭山に登山した時の写真で御座います::


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 上の場所は田代台::向うに見えます山は乳頭山                 標高1470米

 
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イメージ 8 上の写真では5才だった姉は今は
 81歳で御座います::  ↑↑↑             
 

           ◆ 父が健在な頃一緒に旅して父に写して戴いた記念の写真

  昭和40年l頃箱根のロマンスカー車内で  


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イメージ 10多分仙石原付近ではなかったかと思います::
東京オリンピックの翌年::
 
 
             ⇒⇒
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


テニスに夢中になっていた頃(声援に来てくれた父が帰途写してくれました写真)


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◆左下は8年程前に講演    ◆ 右下は沖縄でのシニア・テニス大会
に出掛けた時 ↓右↓ピンク   に秋田県代表で出かけた時↓前列右


 
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    亡夫のスキーの仲間達とyouthも参加しています 
                   田沢湖国際スキー場にて平成4年頃)
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◆軒下に咲くお花達スズラン等


父に捧げる可愛い庭の花達::


夫との結婚の当日まで反対した父も最後は一番亡夫をお気に入りで御座いました::
::後々に姑の教え子達が教えてくれた事でしたが:::
(姑は秋田県立高等女学校を出た後秋田女子師範を出て教師をしておりました::)
両家の控え室で::頑固者の父は大きな声で:
僕はこの結婚に未だ・賛成した訳ではないと大見得を切ったそうで御座います::その結果の顛末は::後々迄:折に触れ諸にyouthに::覆いかぶさって参りました::
 
姑の教え子たちは姑を尊敬して止まないお人達で御座いましたから::
姑に代わって:::教え子達に::
あんたオドサン:えで好きでねえ」と折に触れ::お小言を頂戴ました次第で御座いました::
しかしyouthは其処は都会っ子::めげずに何んの其の::笑い飛ばして::ウジウジせず::口答え一切せず::やって参りましたので御座います::
ハーイ
お利巧さんでござんしょう:::
直訳
方言で(貴女のお父さん:大嫌いだー)という事で御座います::
姑も実家の父も既にあちらにお隠れ遊ばし今は仲直り致してます事で御座いましょう::
 
今も尚姑の教え子達に:::
今は挨拶代わりに:ジョウク:で言い合っていますだけで
「あなだのオドサンえで好きでねー」と:::::
過っては可哀相な嫁の私で御座いました::よ::(笑)
娘の立場を悪くした::命日の今日:父に物を申したい娘で御座います::


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 父の命日

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