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子宮頸がんワクチン被害者の娘さんの母親「みかりんさん」の記事を以下に二つ転載します。
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まずこちらをお読みください。そして拡散ください。
http://ameblo.jp/t-aaa-nya0126/entry-11852971500.html
Mちゃんの話を聞いて、なんだか心がざわざわしている。
Mちゃんは子宮頸がんワクチンサーバリックスを接種してから3年2ヶ月。
痛みで障害者手帳の2級になっていた。歩けなくなっていた。
過労や痛みが主な症状。
記憶障害はなかった。
五月の初めに発作を起こし、自分が分からなくなるほどの記憶障害になってしまうなんて・・・、心が折れそうだ。
悲しくて、昨日は随分と泣いた。Mちゃんを知っているから。
娘は2年かかった。記憶障害が治ってくるのに2年。
娘は記憶障害になっても、かろうじて親である私と旦那のことは覚えていた。弟のことはわからなかった。
「近くにいる人だけど名前は知らない」
弟に対してそう言っていた。
昨日のことも忘れる。
さっき言ったことも忘れる。
友達のことも忘れる。
「知らない」
「言ってない」
「分かんない」
この言葉ばかりだった。
一旦良くなったけれど、計算障害がなかなか戻らず、記憶の抜け落ちもだらだら続いた。
普通の生活ができるほど記憶の部分が戻っても、ある日体調不良とともに記憶が曖昧になる。
怖かったよ。はっきり言って。
今も曖昧なところがあるけれど、概ね記憶は良好になった。
記憶を失ってしまったのではなかった。
ただ、一度勉強したはずの記憶が戻らずに、勉強は一からしたものもある。
多分・・・・
海馬、辺縁部分の記憶がある部分から、前頭葉に記憶を引き出す部分・・・ここが接触不良か不具合を生じているのではないかと私は推察する。
記憶が引き出せないから自分もわからない。
娘はかろうじて、家族のことまでは忘却しなかったけれど、それでも二年はかかっている。
こんなワクチンをいまだにすすめる議員がいる。
国会議員に。
六月に再開を唱える日本医師会や産婦人科学会も病気を作りたくて仕方がないのか。厚労省と共に。
すすめる議員は医師会とつながっている人が多いと感じる。
医師会の組織票が欲しくて仕方がない議員が勧めている構図が浮かび上がる。
かと言って、己がまず打って、「三回きっちり私は打ちましたよ。安心ですよ」という議員は一人もいない。
国民と同じ目線で、私たちも打っていますよ。同じですよ。
そう言ってから勧められるのだろうか。
自分は打たずに、人には勧める。
そんな議員はいらない。そんな医師はいらない。
悔しくて、勧める議員に悪意すら感じる。
Mちゃんを返して欲しい!
聡明で明るい、ありのままのMちゃんを、返して欲しい。
少し大人びて、強い意志を持っていたMちゃんを今すぐ返して欲しい。
彼女が戻ってくるのがいつになるのか、誰も知らない。
日本医師会の方々に聞きたい。再開をすすめる国会議員に聞きたい。
いつ彼女が戻ってくるのか。
全国子宮頸がんワクチン被害者連絡会の事務局長、池田利恵さんが、日曜日に会ってきたMちゃんのことを綴っている。
五月初めに発作を起こして記憶障害に陥っているMちゃんのことだ。
しかも、もうひとり、五月の中頃、通学途中に発作を起こし、記憶障害になっているお嬢さんがいる。
どちらも三年、二年と接種から時間が経っているというのに・・・。
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下記は日野市議会議員 池田利恵さんの綴った言葉。
ロシアンルーレットのような子宮頸がんワクチン、必要ですか?
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往復5時間かけてS県から戻り自宅に戻った。
テレビを見ても、本を読んでも、脳裏に焼き付く、「M」の顔が。
こりゃダメだと思って事務所に戻り、書き始めています。
このワクチンのことを訴えはじめて最初に出会ったのが「M」だった。
大学に進学して、足を引きずりながらバイトをして自らの生活費の糧にしていた。
立川の下宿先から多摩のバイト先まで1時間半かけて到着する、と笑って話していた。
50箇所くらい探してやっとバイト口を探したと。
医者になりたかったと言うくらいだから頭が良かった。
ワクチンを接種しながら徐々に体調がおかしいと医者に訴えたが、気のせいだと誤誘導されながらフルコースで打った。
出会った頃には左半身を引きずり、自由が利かない。
テレビや雑誌の掲載もひとつ返事でOKしてくれた。
病院はもとよりあちこち連れて回った。事務所にも一番多く来ていた子だった。
やがて学校に通えなくなり実家に戻り音信も途絶えがちになっていった。
ロットの呼びかけに応じないことに気がつき一昨日連絡をした。出ない。胸騒ぎ。
おばさんに連絡を取り調べてもらうと、病院(?)でリハビリ中倒れたまま意識が戻らず
「私の身に何かあったらTセンターに連れて行ってくれ」とのメールを残し
一人親のお父さんがそれに気づき広島から直行したそうだ。急なことで私も知らなかった・・・とおばさん。
私と秘書はそれを聞き即刻S県行きを決断、それが今日の動きとなった最大の理由だった。
車椅子に乗って廊下から向かってくる。30メートル位に近づいて「M」だとわかった。
しかし焦点が合わない。
私のことも、あんなに仲の良かった秘書のことも分からない。もちろん自分のこともわからないそうだ。
「親のこともわからないのよ。」既に同様の症状を発症している他の被害者の親から話には聞いていたが・・・ショックだった。
テレビのニュースで家が燃えているのと、目の前で自分の家が燃えているくらい差し迫った現実感が違う。
車椅子を引かせてもらって、私と秘書で廊下の遥か遠くまで連れて行った。
「M、わかる?私だよ?」囁くようなつもりはないがそんな声しかまだ出ない。
「泣いているのは何故?どこのおばさん?」笑うのだ。私や郡山を見て。はしゃいでる。
以前電話で「私自分のことがわからなくなっちゃうのかな?」そう言っていたっけ。
「まさかだろ、有り得ない」
はっきりそう答えた。100%確信して答えていた。
しかしこれが現実だ。
2011年3月に接種している。長い時間をかけて徐々に侵食される。恐ろしいことだ。
一体これから先どうなっていくのだろう。どうするのだろう。どうしたらいいんだろう。
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切ない、悲しすぎる、何の罪もない子供がどうしてこんな目にあわなければならないのか。
子供には絶対に子宮頸がんワクチンを接種させないで欲しいと思う。
子宮頸がんワクチンだけではありません全てのワクチンは不要です。
まずは自ら調べてみて下さい。
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