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今年の1/17は平成7年の1/17、つまり阪神淡路大震災の発生から数えて、15年の節目の年になりました。
式典には皇太子殿下夫妻もご訪問され、テレビも終日その報道関連が流されていました。
平成7年のはじめというタイミングは、平成6年末に世代交代を遂げた当社としても、思い入れの大きなときで、18日から、この「15年たっちゃったんだ なぁ・・。」を万感の思いを込めて綴っています。
前回は、私の叔父の病気などの関係から、県の業界の役をやっているグループでは最古さんの部類になってしまったというお話をしました。この話は主題ではあ りませんので、気を取り直して震災後のインターネットの関係のお話をしましょう。
話しが横道にそれてしまいましたが、復興の地で震災の修羅場をくぐり抜けたとき、いくばくかでもネットの恩恵に預かっていたものの多くは、あの震災がなけ れば、今日これほどインターネットが普及することになっていないだろうと、信じていたように思います。
「インターネットは生きていた」という記事が新聞にのり、確かに復興と同時に携帯電話とインターネットは激震地を中心にインフラ整備がなされていったように感じています。
そういう背景のもと、たまたまお知り合いになった方に誘われるまま、地元に作られようとしていた「インターネット研究会」という任意団体を覗かせていただくことになりました。 その先導者の方は、この地域においてもITの第一人者だった方で、さすがに私のことも既に情報を仕入れていらっしゃったらしく、最初に知り合った席で名指しでお誘いいただいたのでした。
しかし実は以前、私が前職を退いてこの町に帰ってきてしばらくしてから、やはり私の経歴を知っている人に誘われて、商工会議所主催の、「ソフトウェア開発協会」なるところへ参画させていただいたこともあったのですが、その時は私を誘った人の思惑とは違って、ただ会議所が、当時日の出の勢いで、鉄鋼不況のあおりを喰らっていたこの町の雇用のささえとなってくれそうな業界に対して、いい関係で振興しているという構図を作りたいだけの会だったということがわかったため、早々にやめさせていただいたという過去がありました。
そんな思い出があったため、この会にもたいした期待はしておらず、そんな気持ちで、お誘いをうけた設立会議にも遅刻していきました。まあ、それくらいやる気がなかったということなのですが…。 普通、設立会議といえば、私の印象ではしゃんしゃんと終わるのが当たり前だと思っていたのですが、おそらく始まって小一時間もたったあと、参入した私が感じたものは、ずばり「ニッチもサッチもいかない閉塞感」といったもので、「しゃんしゃん」を予想して入室した私はとにかく状況がわからず、見兼ねて説明を求めたわけです。
要するに、この会自身は核なるコアがないに等しい状態で、とにかくたくさんの人にお声かけをして、とりあえず集まって話しをしようという場だったわけです。
産官学が知恵と力を結集し、ネットワークを駆使して事業活動をやろうと集まってきた、いわゆるベンチャー企業、大企業、行政、大学のそれぞれ第一人者が、それぞれの主張を言い合っていては、確かにまとまりそうではありませんでした。
ここに、まとめ役という立場で参加していたのが、青年会議所だったと思いますが、残念ながらこの業界というか、ITの世界にはとんと疎いのか、得意のリーダーシップの発揮ができていません。
しかたないなあ…と、遅れて入って、図々しくもどうなってるのか伺って、これを交通整理してあげました。 私には私心がなかったので、たいしたことではありません。
でもたいへんこのでしゃばった行動が、会の立ち上げには功を奏したようで、皆さんから高い評価をたまわり、会の中枢の補佐的役割を受け持つことになりました。 これを発端として、ここから約一年、はりまマルチメディアスクールを経て、県下三箇所とアメリカの小学校を繋ぐという本格的なものとしては日本最初になったネットデイの準備を、采配させてもらうことになったのでした。
実はこのあたりの詳しいいきさつ話は、「ネットデイ [私の実名]」でググると、「10)はりまマルチメディアスクールからネットデイへ」という、その研 究会の生みの親の文章が出てきます。知ってる人だけね。
まあ、ITがらみのお話はその程度にして、前にも申し上げた大きな転機になったお話を続いてしていきたいと思います。
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こんばんは!
「「インターネットは生きていた」という記事が新聞にのり、確かに復興と同時に携帯電話とインターネットは激震地を中心にインフラ整備がなされていったように感じています。」ネットワークの普及は広がっていってますから、その交通整理が重要です。
ネットデイさんの活躍を、今度、覗き見してみます。
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2010/2/28(日) 午前 2:56 [ TAKA ]
ぼらんてゃいで震災の地区に行ったとき、携帯電話をレンタルしたんですが、どれほど役立ったか。この後すぐに買いましたものね私も。たった15年前なんですね。
2010/3/1(月) 午前 10:23 [ プーサン ]
TAKAさん、ご理解いただいているかどうか心配ですが・・
とにかく、当時は「e-mailってなに?」って情報学校の先生が聞いてくるような時代でしたから、まだまだ一部の人間と、大学の研究室の中にしか知っいる人も環境もなかったのでしょう。
そのとき被災地からパソコンのe-mailで公衆電話を使って救援物資のリストを流そうとしていたら、後ろから「この忙しい時に遊ぶな」とどつかれたと聞いていますから。
2010/3/1(月) 午後 4:03
プーサン、たった15年は大きいですよ。
うちの三男は当時生まれて一ヶ月の赤ちゃんでした。
それがもう高校受験しましたからね。
まだ保育園に通っていた次男に、昨日多次元方程式の解法について教えてもらいました。親の子で、もう大学に入って情報の勉強をしています。
携帯電話とインターネットが広がるなんて時間は充分でしょう。
2010/3/1(月) 午後 4:11