|
明日は当組合の50周年の記念式典です。
もともと、このために作った50年の歩みという記念誌のために書き下ろした、「業界の歩み」という文章が、現在「業界PPT再編」グループで草稿中の「ガス業界の歴史」の火付け役になったわけです。 まだ、ガス業界の歴史自体は日本上陸をはたしていませんが、いよいよ明日組合の50周年で、この原稿を書いた冊子が配られるので、これを記念として集中的に、その内容をお届けしたいと思います。 ちょうど、日本上陸の1900年代はじめごろから、戦後に至る核の部分が抜けてしまいますが、それはまたガス業界の歴史でおって書いていくことにして、本文にはごく簡単に紹介しているその部分を割愛して、急に終戦後から初めて行きたいと思います。 前段がなくて、少し読みにくいかもしれませんが、ごめんなさい。
もちろん、これは記念誌用の組合文書なので、ガス業界の歴史にあてる場合には、ある程度書き直しが必要かと思います。 では、はじまりはじまり〜です。 協同組合の誕生した頃の国内業界 戦後のGHQ占領下の日本において、1947年(昭和22)には尼崎製鋼所が酸素製鋼の実験に成功し、朝鮮戦争が勃発した1950(昭和25)年、神戸製鋼が国内初の本格的酸素製鋼を開始、この方法が1960(昭和35)年前後にかけて一般化して生産性の向上と燃料原単位の切下げに大きな寄与する一方で、飛躍的に酸素ガスの大量需要が生み出される結果となりました。 ちょうどこのころ1922(大正11)年に制定された圧縮瓦斯及液化瓦斯取締法が改正されて、高圧ガス取締法として51年から施行され、前後して家庭用のプロパンガスの販売が始まります。関西ではすでに、国産メーカーである大同酸素、大阪酸素工業などが戦争直前に設立されていていましたが、終戦直後の46年日本製鉄の兵器解体処理工場に供給するため、新たに大阪市大正区に大陽酸素が誕生しました。 神武景気が始まったばかりの1956年には神戸製鋼の溶接棒を扱う販売店の全国組織である神溶会の原型となる集まりの総会が開かれ、2年後には神溶会大阪支部が作られるなど、高度経済成長時代が幕開けしていったのでした。 我が兵庫県高圧ガス協同組合が設立された1960年には、その頃はまだ販売店がどんどん活用するには至らなかったようですが、LGC(可搬式超低温高圧ガス貯槽 Liquid Gas Cylinder)が日本化学機械製造で製造されているほか、数年のうちには続いてエアガスメーカーがCE(Cold Evaporator)やLGCの生産をはじめており、同じ60年には、現在サーンテックとなった日合アセチレンが設立、岩谷ガス工業、大阪水素工業、富士瓦斯工業が合併して岩谷瓦斯株が設立され、翌61年に高圧ガス工業が設立されるなど、現在も全国区で存続するアセチレンメーカーが大阪を基点に乱立しました。 続いて63年には社団法人高圧ガス保安協会が通産省から認可を受け、高圧ガス取締法のもと、現在も継続している行政と保安協会による高圧ガスの保安管理体制が完成しています。 さらに、LPガスの一般家庭への普及を受けて67年には「液化石油ガスの保安の確保及び取引の適正化に関する法律」通称液石法が施行され、第二種販売主任者免状が儲けられて、事実上産業用高圧ガス業界と、民生用LPガス業界は別の業界となったのです。 万博が近づいた60年代後半には、半自動溶接機の出荷がうなぎのぼりで、同時にそれまで鋳物あるいは炭酸飲料用に主に利用されていた炭酸ガスが、炭酸ガス溶接用にその大半を出荷するようになり、製造工場に供給する溶材商の主力商品のひとつとなっていきます。 医療ガスの業界でも成熟してきた医療ガスの販売店の間で病院などへの十分な情報やサービスを提供するなどの面で協力しあうため、大阪万博が開催された1970年、医療ガス協会が発足しました。 万博終了、鉄の産業からの脱却 1970年代、オリンピックと万博を終えた日本は、ニクソンショックによる変動相場制の導入で日本の景気は低迷を迎えますが、戦後の過当競争ですり減らしてきた利益では、取締法の要求する十分な保安サービスの提供に差しさわりがあると考えた販売店の多くが、価格是正に踏み切りました。
一方、関東では70年代後半のオイルショックの影響などもこうむって、老舗のガスメーカーであった東洋酸素の経営が苦境に立たされます。しかし、80年代に入って半導体産業が脚光を浴び、不活性ガスや窒素の冷熱の利用が盛んになるに至り、ガス業界は医療と鉄鋼などの金属加工に集中していた供給先を大きく拡大していくこととなります。
酸素だけでなく、特殊ガスや窒素ガス、それも大量の液化窒素ガスの供給先を増やしていく販売店は、それ以前と大きく違った展開を見せます。1980年を前後して、販売店がタンクローリーを購入し、自社で液化ガスを運ぶケースが登場しました。また、主に東京本社の超大手販売店が、半導体材料ガスなどを利用するメーカーの地方工場設立にあわせて全国展開をしていき、スーパーディーラーと呼ばれるようになりました。
60年に日化機が作ったLGCがいよいよこの頃から本格的にその力量を発揮します。タンクでは大きすぎ、カードルでは利用できない冷熱を、LGCであれば中小の販売店でも、比較的容易に、大量の液化ガスを供給することが可能です。このLGCを運ぶため、64年ごろ開発され、LPガス販売店では利用されつつあったパワーゲート車やユニック車が溶材商にも導入されていき、後にボンベたて積み配送の大きな布石となっていきました。
80年代後半には超伝導の研究が盛んになり、液体ヘリウムの大量消費が見込まれて輸入や供給のインフラ整備が進む等など、酸素、アセチレン、炭酸ガスなどの主流ガスに頼っていた高圧ガス販売店は、格段に取り扱いガスの種類を増やし、同時にそれらのガスが販売できる新しい販路、ガスアプリケーションに興味を持って開拓していきます。例えば、液体窒素の冷熱利用としては、アイスクリームの製造やアルミ缶飲料の内圧保持、皮膚科のいぼとりやプラスチック成型過程のバリ取りなどと幅広い業界へその販路を拡大していきました。
それと同時に、高圧ガスはあらゆる産業の現場で不可欠の地位を築いていきます。 あまり長くなっても読めないと思いますので、このあたりで切ります。
明日も続けてアップしますので、歴史ファンの方はご期待ください。
|
全体表示
[ リスト ]




