社会起業家を目指して

九州震災の被災者の方々に心よりお見舞い申し上げます。

中東

[ リスト | 詳細 ]

1985年から1988年までのイラクでの体験活動を紹介
記事検索
検索

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]

マスメディアにて報道される中東のニュースは血なまぐさい内容がほとんどだが、イラクやシリアで仕事をした経験のある自分にとっては、人なつこい笑顔の印象が一番強い。現地の人達と一緒によく冗談を言い合っていたが、有名なジョークの第二弾を紹介しよう。

あるイギリス人とアラブ人の友人が、ロンドンの2階建てバスの乗った。
イギリス人はいつも乗っているので、入り口近くの席に座ったが、アラブ人の友人はこのようなバスに乗るのが初めてなので、嬉しくて2階の方に上っていった。
ところが数分後には青ざめた顔で戻ってきてしまった。

イギリス人「2階に座ると言っていたのに、なぜすぐに戻ってきたんだ?」
アラブ人 「だめだ。2階は危ない。」
イギリス人「何が危ないんだい?」
アラブ人 「2階には運転手がいないんだ。」

お粗末様でした。


続く

ごっつい口髭にいかつい顔のアラブ人、ニュースでは血なまぐさい話が多いが、イラクやシリアに行った限りでは、皆本当に人なつっこく、親切にしてもらったことが何度もあった。小さいガラスコップに砂糖をたっぷり入れたチャイ(お茶)を飲みながら、髭のおじさん達がジョークを言って盛り上がっている。現地では結構有名なジョークを一つ紹介しよう。

あるところに、人間の脳みそを売っている店があった。
その店では、アメリカ人の脳みそが1万円、フランス人の脳みそが2万円だったが、
アラブ人の脳みそは50万円だった。

客 「親父、アラブ人の脳みそは何でこんなに高いんだ。」
店主「お客さん、そりゃ当然ですよ。何しろこの脳みそはまだ一度も使ったことがないんだから。」

お後がよろしいようで。

イラク回想録-ラマディ

ラマディでの研修期間は短期間とは言え、充実したものであった。
その後自分が医療機器の開発コンサルタントとして活動するための知識と経験の基礎となった時期であった。

海外という意味でも初体験であったが、技術的な意味でも全てが初体験であった。病院の中にこれだけ多くの医療機器があるとは思わなかった。各部門にかなりの医療機器が設置されていた。X線部門、臨床検査部門、外来部門、ICU部門、産科及び婦人科部門、手術室等、膨大な数の医療機器がある。これらの機器を現場では自分一人で対処しなくてはならない。本当に大丈夫なのだろうか。

医療機器に関する文献は日本国内でも少ない。わずかな技術資料を頼りに、一つ一つの装置について理解していなかければならない。構造そのものよりも、その装置がなぜ必要なのか、どういうふうに動けば正常なのか、そういったレベルから理解していかなければならなかった。同僚達とお互いに教えあいながら、夜遅くまで勉強していた。

病院の敷地の外に出ても、見渡す限りの土漠が広がっているだけで、アルコールを飲む場所があるわけでもない。しかしながら勉強する者にとっては良い環境だったと思える。勉強以外できるようなことはなく、自分が赴任する現場で一人で駐在する時期が近づいていた。

続く

イラク回想録-冬

中東と聞くと、砂漠と猛烈な暑さを想像させるが、イラクの12月は5℃以下の寒い季節であった。
砂漠ではなくて土漠と言って、細かい砂よりも固めの土がほとんどである。
特に空気が乾燥しているため、雲ひとつなく、空の青さがさえ渡っていた。

ラマディでは同僚達が約20名ほどが集まり、医療機材のメンテナンスについての現場研修を受けていた。
今回のプロジェクトではイラク全土の400床の総合病院における全医療機器に対して、現地代理店がほとんど存在しないため、日本人技術者が1〜2名、それぞれ各サイト、全13カ所の病院に駐在し、医療機器のメンテナンスを実施していくといった内容である。
研修では、X線機器以外の主要な機器の構造、主な故障箇所、故障時の対応方法等についての研修が実施されていた。技術移転よりも故障対策が中心となった業務であった。

医療機器は技術者としても興味もあった。機械、電気、電子、化学、医学等、様々な学問が結集されたような機械である。機械工学を勉強してきた自分にとっては電気や電子はちょっと苦手であったが、興味はつきない内容の仕事だった。

同僚達はほとんど同じような年代の人達が集まっており、研修後はそれぞれの任地に赴く予定になっていたが、400床の総合病院にある膨大な数の医療機器について学んで行かなくてはならないことと、任地では自分一人で対応しなくてはならない危機感からか、学ぼうという意識はかなり積極的なものであった。

続く

イラク回想録-始動

深夜にバグダッド国際空港に到着し、就寝できたのは現地時間の夜2時頃、日本時間では午前8時頃であった。
バグダッドにて拠点としていたセンターは、一戸建ての民家を借り上げたものであった。
初日の午前中は現地状況についての簡単な説明を受けた後は、現場研修のために同僚達が多く集まっているラマディへ移動した。

ODAには大きく分けて2種類あり、1つは現地側へ資金を低金利で貸し付ける円借款と、もう一つは技術支援(無償資金協力や技術協力)がある。イラクでのプロジェクトは円借款によりイラク全土の拠点病院13カ所に400床規模の総合病院を建築、必要な機材を設置、その後5年間に渡ってメンテナンスをしていくという内容であった。私はそのうち医療機材のメンテナンスを実施するための一技術者として派遣されたのであった。

ラマディに到着後、上司の課長による概要説明を受けたが、その中の一言は今でも良く覚えている。
「君達はこれから2年間に渡ってここに滞在することになるが、その間にこの病院の設計がいかに間違っているかを知ることになるだろう。」

そのときには何を言われているのか全く意味が分からなかった。分かるだけの知識も経験もなかったが、イラクのみならず、その後様々な開発途上国において知識を経験を積んだ後、やっと理解することができた。

つまり、イラクにおいて設計された建築、医療機材の設計内容は、現地の事情にそぐわないものであったということである。イラクの国内においても、バグダッドのような都市部、地方都市のラマディ、キルクーク、モスール等の北部地域、ナジャフ、サマワ、ナシリア等の南部地域、地域により人口、経済力等は異なるにも拘わらず、全く同じ設計のものを建築したことが問題であった。

続く

全7ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
yozat14
yozat14
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
友だち(9)
  • Tak
  • プロレス好き
  • ハイドラ
  • エリ
  • 天神花ちゃん
  • やきぶた
友だち一覧

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事