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生活習慣病

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英文学の先生に話しによれば、日本の「詰め込み教育」に対して、ユダヤ人は「引き出す教育」をしているそうだ。例えば日本の教育ママが子供の家庭教師を雇う場合、「この子は算数が不得意だから、算数を重点的に教えてください。」と言う。これは今の時代でも日本人であれば普通はそうであると思う。しかしながらユダヤ人の教育は全く逆で、「この子は算数が得意だから、もっと教えてやってください。」と言うそうだ。知識を「詰め込む」教育と、能力を「引き出す」教育との違いである。

物理学の世界で「大天才」と言われる人間は二人しかいない。一人はニュートンであり、もう一人はアインシュタイン博士だが、アインシュタインは子供の頃は落第生で、学校の教師からも「この子はどこの世界に行っても成功しないでしょう」という烙印を押されたそうだ。

しかしながらアインシュタインの両親は、学校で馬鹿にされ、傷つけられて帰ってくる子供を毎日なぐさめ、「お前は馬鹿ではない、天才なんだ。」と毎日いい続けたそうだ。またその能力を引き出すために、あらゆる種類の玩具を与えたそうである。その玩具の一つが「磁石」だったそうだ。子供の頃のアインシュタインは、おき場所を変えても、方向を変えても、常に一定の方向を示す磁石に興味を示し、最終的には物理学の世界で大成功を収めるまでになった。

英文学の先生は、文学の話などほとんどしなかった。日本の教育がいかに間違っているかということを訴えておられた。特にノーベル賞受賞者の3分の1を占めるユダヤ人の教育と、日本の教育がどれだけ違うかということに時間を割いた。文学よりも教育や、文学作家の生き方について説明されていた。

当時は勉強よりも政治闘争に明け暮れている学生も大勢いた。最悪だったのは、授業中に政治闘争を掲げる学生達がなだれ込み、人違いで受講生の一人を撲殺してしまったことだ。犯人は未だにつかまっていない。その事件は私が入学する2〜3年前の話だが、この事件にショックを受けた英文学の先生は、こう考えられたそうだ。

「なぜ一つの理想郷である学舎においてこのようなことが起こってしまったのか。日本の教育はどこか間違っているのではないか、我々はその間違いを修正していかなければならないのではないか」

その事件以来、先生は文学作品の内容よりも、「いかに日本の教育が間違っているか」ということについてしょっちゅう話をされていた。J.J.ルソーが教育改革を果たす以前のフランスでの教育は、聖書を子供に覚えさせる、いわば「詰め込み主義」の教育だったそうだ。ルソーが登場して以後はその考え方が大きく変わり、国語、数学、理科、社会等、様々なことが教えられるようになったと聞いている。

しかしながら日本の現代教育はルソー以前の教育と同様に、様々な科目について「詰め込む」だけの教育に終始し、ルソーの思想が全く反映されていないと先生は嘆かれていた。そのシンボルとも言うべき存在が大学入試ではないだろうか。有名大学に入って、大企業に勤める、そのためだけの教育に成り下がったと、その先生は教えられていた。それは既に20年以上も前の話だが、今の状況はそうではないと言えるのだろうか。何一つ変わっていないように思える。

大学に入学する以前まで、学校の教師ほどつまらない存在はないと思っていた。教科書を説明するだけで、人間のことについては何も知らないように思えた。実際はそうでもないのかもしれないが、自分の場合は最初から教師とは話したいとも思わなかった。つまらない話の連続だったからだ。どうでも良い存在にしか思えなかった。

しかし大学に入ってその見方は一変した。大学の先生方はそれまでの教師とは全く逆だった。地理学の先生は、最初の講義で学生に向かってこう言った。

「教育とは何か。それは知識を伝えることではない。知識がほしい人は授業に出てくる必要はないから図書館に行きなさい。私は知識を伝えるためにここに立っているのではない。教育というのは、人間の生き様を見せることである。そのために私はいる。皆さんは私の生き様について学んでください。」

後で聞いたら、その先生は南極観測隊の隊長も務めたことのある先生で、後にはネパールその他の途上国でも活躍されているそうだ。残念ながら私は他の授業との関係で講義を続けて受けることはできなかったが、最初の講義のことは鮮明に覚えている。その他にも素晴らしい先生方がたくさんいた。「そうか、本当に優秀な人達はこういうところにいたんだ。」と思ったものだ。

初めての海外出張は、現在ニュースでも話題になっているイラクで、1985年当時はイラン・イラク戦争が続いていたが、実際に現地へ向けて出発する飛行機の中でも、「流れ弾に当たって死んでもいいや。」という程度にしか思わなかった。それでも何かに思い悩むことも無くなるだろうとしか思わなかった。

イラクでも最初の頃は相変わらず自分に生気がないような気がしていたが、現地の人達が笑顔で挨拶してきたり、しっかりと握手をしてくれたり、のんびりと過ごす様子は日本とは一変した。イラク人は基本的に人懐こく、家族や友人を非常に大切にする。私に対してもいつも笑顔で接してくれた。髭もじゃの顔をくしゃくしゃにした人達の笑顔、病院で仕事する検査技師の人達の笑顔は今でも忘れられない。
町で出会う人達も、気軽に声をかけてきてくれた。

イラク人と接することで、少なくとも自分の心は癒されたとともに、人間に対する見方が全く変わったと思う。イラクに滞在していた間は、日本にいた時のことが夢のように遠く感じた。たまに休暇で帰国した時には、イラクの状況が夢のように思えた。それくらい環境が激変したのだと思う。

日本のテレビでもイスラム教徒の人達が祈る姿が時々映し出されることがあるが、イラク人が祈る姿は、宗教的な意味合いというよりも、現実の厳しさに対してへこたれそうになる自分を戒め、劣悪な環境に対して立ち向かっていくための心の準備をしているように思えた。逆に日本人の場合は、大きな問題に遭遇した時に、いったい何を心の支えとして生きているのだろうかと疑問に思った。日本人、少なくとも自分にはそういうものがなにもなかった。

学生の頃

高校生や大学生の頃は全てが自分には無関係に思えた。友人や知人と話をしていても、途中でどうでも良くなってしまった。自分が生きているのかいないのかさえもよく分からなかった。たぶんナイフで自分の体を突き刺しても血も出ないのではないかとさえ思った。なぜそうなったのかいまだによく分からない。なぜか重苦しく悩んでばかりいたように思う。

いつもお世話になっている知人の娘さんは、大学受験を控えた時期に、自分の皮膚をカッターで切り裂くことが癖になったとの話があった。それはそういう時期ということで片付く問題ではないように思う。

自分の場合は無理に酒を飲んだり、無理に深夜まで遊び歩いたりしたこともあるが、心から楽しいと思ったことは一度もなかった。何一つ楽しめない、何一つ感じない自分が腹立たしかった。何が自分にとって重要なのか、自分は今どうなっているのか、自分で自分のことが分からないから、その手がかりを探すために本だけはよく読んでいた。

手がかりをつかむためには、できるだけ自分と異なった環境にある人の話や考え方を知りたいと思ったので、特に海外の事情についての本、海外の人が書いた本、もしくは海外に滞在している日本人が書いた本などを主に読んでいた。結果的にはそういった本を読んでいたことが、開発途上国での仕事に対しても抵抗感の無くなる要因であったのかも知れない。海外への移住についても本気で考えていた。

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