ここから本文です
あなたの町の祭と山車祭情報をご提供ください。誤があったらご指摘ください。

書庫全体表示

仮称G地、H地、K地

仮称G地、H地、K地

 寶樹山 善應寺の一隅には、古来枯れることのない湧水があり、「飛騨七名水」のひとつに数えられ、善應寺が失くなったたあとも、諸國、京都の伴蒿蹊、阿波の菘翁 貫名海屋、城山の白雲居相常、豪商津野滄州、旧、備前鴨方の浦上玉堂、春琴、秋琴親子、金澤の三熊花顛・露香兄妹、越前の橘曙覧、加賀の俳人 千代女、豊前咸宜園 広瀬淡窓の弟 広瀬旭莊、仙臺の岡鹿門、赤田臥牛 章齋親子らが寥郭堂に会して雪月花を賞で音曲をたのしみ、宗和流茶会がしばしば開かれ、書画を残しました。頼山陽も飛騨高山に向かったようですが郡上八幡まできたときに体調不良となって引き返したと伝わります。
 櫻山八幡宮、秋の高山祭。下町寺内(しもちょうじない)「布袋臺(ほていたい)」は、飛騨高山の屋臺の中でも旧臺を残す屋臺ですが、「唐子が綾渡りで、飛び移りながら、最後には布袋の両肩に乗り移ると、布袋の手から、池大雅の「和光同塵」の書が現れることでよく知られますが、この布袋臺を建造した中川吉兵衛はこの寥郭堂を仮寓としており、西之一色東照宮の彫刻もここで作成されました。
 まだ若かった谷口與鹿が吉兵衛のもとをしばしば訪れて教えを受けたといいます。
 その湧水は、一〇〇坪ほどの池を形象っていましたが、もとは、花里八幡宮の放生池でした。この池を流れ出た水は、西から東に下って苔川(すのりがわ)に注ぐ谷川になっていました。
 長尾土改(高山市営土地改良事業長尾地区)の事業が施行されることになって、放生池は破壊されて別の場所に、灌漑用貯水池と姿を変え、流出するみずは井溝が作られて底を流れることになったのですが、その北側には換地から洩れた空白地が三筆あり、仮称G地、H地、K地となっています。

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
  • 名前
  • パスワード
  • ブログ

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事