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			<title>日本の山車</title>
			<description>祭と山車を取材記事を掲載します。
リンクのきれたものはこちらへどうぞ。
http://hiyou.easy-magic.com/admin/</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>日本の山車</title>
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		<item>
			<title>＊お知らせ</title>
			<description>&lt;div&gt;＊お知らせ&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　永い間お世話になりました、「Ｙahoo　ブログ」ですが、サービスの提供が終わるとのお知らせが届いています。&lt;br&gt;
　このため、【日本の山車】の記述もこれにて終了し、このあとは、次の、「Goo」のほうに&lt;br&gt;
移動いたしますのでよろしくお願いします。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;【暘州通信（ようしゅうつうしん）】&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;a HREF=&quot;https://blog.goo.ne.jp/ypjcd447&quot; TARGET=&quot;_blank&quot;&gt;https://blog.goo.ne.jp/ypjcd447&lt;/a&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65710341.html</link>
			<pubDate>Sun, 24 Mar 2019 05:22:43 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｒ地</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｒ地&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　「仮称Ｒ地」とは、「仮称Ｑ地」とおなじように、長尾畑総事業地外にある花里神社境内地のなかに計画された、高山市道用地のことです。&lt;br&gt;
　旧、花里八幡宮の境内地である越後９９０番地は、土地改良事業地ではありませんが、高山市が、長尾畑総事業とともに地内に建設する計画道路を延伸し、完成後は「高山市道」とする予定だったようです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　この道路用地は。高山市が、土地改良法第１１４条の規定により職権で分筆登記しました。このときの担当職員は東　雪也でしたが。２度にわたって分筆したのはいいとして、この2ひつのとちにおなじちばんをつけるという誤りを犯してしまいました。&lt;br&gt;
　異所にある土地に同じ地番をつけてしまっているのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　しかも、長尾畑総は、事業が途中で止まってしまっていて道路は建設されていません。&lt;br&gt;
　そのため、この分筆地は、高山市（山本正樹）が、長尾土改の換地計画書に改変する改竄を行いました。&lt;br&gt;
　その換地は建設省（国土交通省）です。　&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　しかも、道路が建設されていないのですから、当然その道路用地も放置されたままとなっているのですが、山本正樹はその建設省（国土交通省）道路用地の上に林檎の樹を植えて使用収益する不正を行っています&lt;br&gt;
。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65710339.html</link>
			<pubDate>Sun, 24 Mar 2019 05:01:42 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｑ地</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｑ地&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　「仮称Ｑ地」とは、長尾畑総事業地外にある花里神社境内地のなかに計画された、計画された高山市道用地のことです。&lt;br&gt;
　花里神社は、既述のとおり、もともと地内の旧高山市南西地域の鎮守でしたが、三木氏のとき、祭神と、花里八幡宮と社号が変わり、金森氏の飛騨攻めで炎上しました&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;、のちに、金森氏により、現在地に新しく「花里八幡宮」が祀られましたから、ほとんど忘れ去られたような存在になっています。&lt;br&gt;
　それでも、戦後しばらくは、神官と、関係者ら数名が榊、神饌、御神酒などを携えてきて、祝詞の奏上がありました。&lt;br&gt;
三木氏は、大八賀にも築城していましたから、そこにも鍋山城の鎮守として花里八幡宮を分祀し、５０－６０町歩の社叢があります。&lt;br&gt;
　&lt;br&gt;
　花里八幡宮は、三木氏滅亡後は顧みるひともなくなり、飛騨高山における金森氏全盛期には、住民らはその遠慮から、花里八幡宮は距離を置く存在で、地域に居住する人も稀でした。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65709590.html</link>
			<pubDate>Sat, 23 Mar 2019 08:18:38 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｍ地、Ｎ地</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｍ地、Ｎ地&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　「仮称Ｍ地、Ｎ地」という二つの土地は、長尾畑総（高山市営長尾畑地総合整備事業）地内にあるわれわれの従前地です。この２筆の土地は、当初、長尾土改（高山市営土地改良事業長尾地区）の事業の対象地となっており、大量の土砂を搬出した後で、長尾畑総に移されました。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　高山市による長尾畑総が事業完了していないためいまだに換地が得られません。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65709573.html</link>
			<pubDate>Sat, 23 Mar 2019 07:42:10 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｌ地　三</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｌ地　三&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　三回目の控訴審が開廷されたときです……。裁判長から、このたび被告の山本正樹さんから、和解の申し出がありました。どうされますか？　というお尋ねです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　思いがけない成り行きでしたが、「和解の条件にもよると考えます」とこたえたところ、&lt;br&gt;
「……では、このあとのお話は別室のラウンド・テーブルで行いましょう」といわれ、別室に移りました。阪下六代弁護士の姿はなく、被告山本正樹が向かいに着席します。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　こうすでに、事前に用意されていたらしい和解条件が、判事さんから示されます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　いくつかの和解条件が示されましたが、最初の、【貯水池の所有権は、事業参加者全員の総有に帰する】という字句が目に入りました。&lt;br&gt;
　これを見て、態度を決めて、【和解に応じます】と答弁しました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　そこで、判事さんはもう一度法廷のほうへとおっしゃって、法廷に戻りました。&lt;br&gt;
判事さんは、&lt;br&gt;
「被告は、自ら示した和解条件を遵守し、条件通りに履行するようにと告げ、万一違背するようなことがあれば刑事訴追を受けることになりますから十分注意するように」とお話になり、&lt;br&gt;
被告・山本正樹は、&lt;br&gt;
「ハ、ハイ……」と述べて、閉廷したのでした。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　だが、あとで考えると、この和解に応じたのは間違いでした。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　ちゃんと、判決をもらうべきでした。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65708955.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Mar 2019 10:46:32 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｌ地　二</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｌ地　二&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;われわれは、これではいけないと考えましたが、土野守高山市長は、とりあってくれません。そこで、長尾土改の二、三名の事業参加者にそのことで相談してみましたが、その人らは、「貯水池が山本正樹の所有などであるはずがない」といって取り合ってくれません。&lt;br&gt;
　換地総会で事業参加者全員の所有をきめたことは皆が知っている通りですから、そう信じるのも無理からぬところがあります。だが、無知な人らを説得するのは難しいところがあります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　そこで、岐阜地方裁判所に、&lt;br&gt;
「被告、山本正樹は、貯水池の所有権を本来の所有者である事業参加者全員に引き渡せ」&lt;br&gt;
　という趣旨の民事事件の提訴を行いました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　やがて、被告・山本正樹の訴訟代理人だという阪下六代弁護士から反論の答弁書が届き、開廷されました。なんどかやり取りがあって決心しましたが、この裁判は、われわれでした。&lt;br&gt;
このような判決は承服できるものではありませんでしたから、名古屋高裁へ、即時ました&lt;br&gt;
。まもなく控訴審が開廷されましたが、二回目の控訴審で異変が起こました。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65708948.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Mar 2019 10:25:35 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｌ地</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｌ地&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;「仮称Ｌ地」とは、前、仮称Ｇ地、Ｈ地、Ｋ地で述べた、旧花里八幡宮の「放生池」だったものを、農業灌漑用の貯水池として、あらたに構築されたものです。&lt;br&gt;
　だから、長尾土改（高山市営土地改良事業長尾地区）の、重要な会議（高山市は換地総会といっている）において、事業参加した１６名の、土地改良法・三条資格者の総有として、参加者全員が利用できる水利のための「溜池」ということできまっていました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　ところが、高山市に落ち度があり、長尾土改の換地計画を平野三郎岐阜県知事が受理しなかったことから、この不備を是正するため、当時の岐阜県議会議員だった竹ノ内信三が岐阜県と話し合って調整し、あらたに、【長尾土地改良区】を設立してその補正にあたることになったようです（岐阜県庁職員の談話）。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　山本正樹は、長尾土改に参加する従前地の所有もありませんでしたが、竹ノ内信三の推薦で長尾土地改良区の理事長にｋ収まりましたが、この過程で数々の不正を重ねました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　岐阜県から長尾畑総（高山市営長尾畑地総合整備事業）に建設する計画の花里神社の境内地を買い求めたのも不正ですが、さらにこれに輪をかけて、すでに換地が決定していた、別の土地改良事業事業地である、長尾土改の事業参加した「１６名の貯水池」の所有権を自分あてに換地するという嘱託登記申請書の改竄、すなわち不正をはたらいたのです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65708896.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Mar 2019 09:14:52 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｇ地、Ｈ地、Ｋ地</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｇ地、Ｈ地、Ｋ地&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　寶樹山　善應寺の一隅には、古来枯れることのない湧水があり、「飛騨七名水」のひとつに数えられ、善應寺が失くなったたあとも、諸國、京都の伴蒿蹊、阿波の菘翁　貫名海屋、城山の白雲居相常、豪商津野滄州、旧、備前鴨方の浦上玉堂、春琴、秋琴親子、金澤の三熊花顛・露香兄妹、越前の橘曙覧、加賀の俳人　千代女、豊前咸宜園　広瀬淡窓の弟　広瀬旭莊、仙臺の岡鹿門、赤田臥牛　章齋親子らが寥郭堂に会して雪月花を賞で音曲をたのしみ、宗和流茶会がしばしば開かれ、書画を残しました。頼山陽も飛騨高山に向かったようですが郡上八幡まできたときに体調不良となって引き返したと伝わります。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　櫻山八幡宮、秋の高山祭。下町寺内（しもちょうじない）「布袋臺（ほていたい）」は、飛騨高山の屋臺の中でも旧臺を残す屋臺ですが、「唐子が綾渡りで、飛び移りながら、最後には布袋の両肩に乗り移ると、布袋の手から、池大雅の「和光同塵」の書が現れることでよく知られますが、この布袋臺を建造した中川吉兵衛はこの寥郭堂を仮寓としており、西之一色東照宮の彫刻もここで作成されました。&lt;br&gt;
　まだ若かった谷口與鹿が吉兵衛のもとをしばしば訪れて教えを受けたといいます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　その湧水は、一〇〇坪ほどの池を形象っていましたが、もとは、花里八幡宮の放生池でした。この池を流れ出た水は、西から東に下って苔川（すのりがわ）に注ぐ谷川になっていました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　長尾土改（高山市営土地改良事業長尾地区）の事業が施行されることになって、放生池は破壊されて別の場所に、灌漑用貯水池と姿を変え、流出するみずは井溝が作られて底を流れることになったのですが、その北側には換地から洩れた空白地が三筆あり、仮称Ｇ地、Ｈ地、Ｋ地となっています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65708860.html</link>
			<pubDate>Fri, 22 Mar 2019 08:38:14 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｆ地　二</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｆ地　二&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　寶樹山　善應寺は、永らく花里神社の別当をつとめていましたが、善應寺、花里神社は、金森氏に攻められて炎上した後も、飛騨を訪ねる文人墨客の訪問がしばしばあり、その参詣道は、建設省の所管となる、「里道、赤道」として現在も存在します。&lt;br&gt;
　ところが、善應寺、花里神社参詣道は、現在は農道ですが、これが、高山市道として整備する計画が計画されました。ところが、長尾畑総が、事業完了していないため、このＦ地はいまも放置されたままとなっていて、道路は未建設のままです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　最近になって、だれが行ったのか？　コンクリート柱が日本撃ち込まれて通行が不能となっています。&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65708555.html</link>
			<pubDate>Thu, 21 Mar 2019 21:17:39 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
		</item>
		<item>
			<title>仮称Ｆ地</title>
			<description>&lt;div&gt;仮称Ｆ地&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;&lt;br&gt;&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　既述しましたが、高山旧市街西部に、西之一色（にしのいしき）、越後、花里とよばれる区域があります。かつて、ここを産土（うぶすな）とする物部氏は、松倉山を御神体山とし、その東麓に、里宮である「花里神社」を祀っていました。&lt;br&gt;
　三木自綱は、下呂市萩原に鎮座する「久津八幡宮」を篤く敬い社伝を寄進していますが、飛騨高山への入府に際し、豊前宇佐（大分県宇佐市）より分祀を受け、花里神社の御神霊である、オオヤマクイノカミ（大山咋）を宮川右岸の片野（かたの）に遷し、そのあとに、八幡を勧請して、花里八幡宮とし、松倉城の鎮守としました。&lt;br&gt;
　片野に遷坐した、オオヤマクイノカミを祀る神社は、山王宮と呼ばれましたが、金森氏の治世時にされに遷坐し、いまは、「日枝神社」と呼ばれるようになりました。この日枝神社は、上町とよばれ、全国でも屈指の屋臺（山車）を曳行する、春の高山祭を齋行する神社としてよく知られます。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　また、高山市江名子町に鎮坐する「錦山神社」も、もとは、背後にある、錦山を御神体山とし、そのふもとに建てられた里宮で、祭神として、モノノベモリヤオオムラジノミコト（物部守屋大連命）を祀る神社でした。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　飛騨高山の物部氏は、用明天皇期（五八七）に蘇我馬子とのあいだに争いが起きて、滅びました、守屋の一族は飛騨高山に難を逃れました。このとき一族は、信州諏訪の地にも分かれて住み、守屋山を御神体山として奉安して定住することになりました。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　物部氏に従って斐太に居を定めた工匠の一族は、のちの、斐太ノ工とよばれる名工の集団としてよく知られるようになりました。&lt;br&gt;
　神社裏に祠があって、守屋ヶ洞、守屋宮などとよばれています。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　この錦山神社、花里神社は、のちに、近江（滋賀県）の一色氏が祭祀にかかわったことから、錦山神社を祀る地を東之一色、花里神社を祀る地を西之一色とよんだようです。&lt;/div&gt;
&lt;div&gt;　&lt;br&gt;&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ypjcd447/65708541.html</link>
			<pubDate>Thu, 21 Mar 2019 21:01:54 +0900</pubDate>
			<category>その他人文科学</category>
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