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握り飯を食べ終えると、出航のドラが鳴りました。同時に汽笛も鳴り、これから舞鶴に向けて出航です。やっとソ連から離れることができます。じょじょに船が動き出し、ナホトカの港から離れてゆきます。もうソ連はついてきません。もうここには、ソ連兵はいません。
これでやっと、本当に日本へ帰れる。
そういう安堵の気持ちで一杯でした。
日本への航海は、台風が近づいている影響からか海上は、その日の夜から大時化でした。深夜に小便で起き便所に向かいました。第一大拓丸の便所は甲板にありました。
甲板にでてみると、波が甲板まで上がってきて甲板を洗うくらい荒れていました。便所へは激しい揺れと大波でいける状態ではありませんでした。しかたなく適当な場所をみつけて用をたさざるをえませんでした。時化の影響と日頃の労働の疲れ、そして日本へ帰れる安心感からか私は船室で起き上がる気力もありませんでした。本当にグロッキー状態でした。
波に揺られながらも祖国、日本に心がはせ、時化で大変な思いをしながらも短い船旅のように感じました。この船旅のなかで思うことがありました。それは、もう、このような抑留生活は子、孫にもさせたくはない。いや、させてはならないということ。そして食べ物のありがたさ、命の尊さを痛切に感じたことでした。
二日目の夜明けに船の小さな窓から陸地が見えてきました。舞鶴に着いたのかなぁと思いました。船員に聞いてみると舞鶴ではなく、函館に入港したようでした。台風の影響で、当初舞鶴入港の予定が函館に変更になったのです。ここで、故郷が函館に近いもの、舞鶴に近いもの分けられ、それぞれの地で帰国手続きをするよう変更になりました。私は、本当は舞鶴のほうが新潟に近かったのですが、北陸線が台風の影響で不通となったらしく、函館で降りることになりました。船内で検疫、入国手続きでまる一日を費やしました。
そして、ついに昭和二二年九月二四日、もう踏むことができないと思っていた祖国の土を踏むことができました。その地は北海道、函館港でありました。
船のタラップを下りて、やっと日本の土を踏むことができました。日本の土を一歩一歩踏みしめながら、故国の素晴らしさと生きて帰った実感とがあわさり、しばらくはなにも考えることができませんでした。
「日本の土だ!日本の土だ!山だ!町だ!農村だ!やはり祖国日本はいい国である。春夏秋冬と季節の美しさがある。共産国と異なり自由がある。また食べ物が豊かである。外地へ行ってみて初めて祖国、日本の良さが痛いほどわかった。今、故国日本に帰ってきたんだ!自分は本当に生きて帰ったのだ!」
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