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八月十四日の朝
私たちは、戦場、新京のはずれに着きました。見渡すと、ここは広大な平地。
はるか向こうの地平線から敵ソ連がやってくるらしい。
私たちは隊の体制を整え、他の隊からきた野砲九門と二〇メートル感覚で野砲
を配置しました。後方には、歩兵隊、その後ろには、本隊が構えていました。い
つソ連がきてもいいように待ち続けました。
何時間待ったでしょう。
地平線の彼方から土煙が見えてきました。
それがだんだん大きくなっていきました。
この土煙の中からソ連の部隊が見えたとき戦闘が始まるのです。
正直、生きた心地がしませんでした。自分が撃たなければソ連にやられる。
もうあとにはひけません。これから戦争が始まろうとしていました。
私たち野砲隊は、ソ連が野砲の射的距離にはいるまで待ちました。
ソ連が射程距離の一〇〇〇メートルに近づいた!撃て!
上官の命令と同時に野砲の大きな爆音が響き、敵戦車、BT7快速戦車近辺に
大きな爆発がありました。この爆風で六〇トンもある敵戦車はひっくり返りまし
た。野砲が命中した戦車は、破壊されました。日頃の訓練に励んだ成果でした。
勢いに乗って何発も何発も撃ちまくりました。私は敵戦車二台を破壊しました。
ソ連戦車もひるまず、弾のアラレを降らします。教練で教えられたとおり、敵戦
車の弱点キャタピラー部分を狙いました。野砲を直接照準でまっすぐに倒しまし
た。空を見ると火のついた弾があられのように空を飛んでいました。私のいる野
砲にも何発もの弾が前方の盾にあたっていました。ソ連戦車は破壊されると、ま
たその間に何台もの小型の豆戦車があらわれます。ソ連戦車は時速六〇キロでこ
ちらに蟻の大群のように向かってきます。だんだん私たちに近づき、戦車がだん
だん大きくなってきました。無数の六〇トン級の戦車が一気に時速六〇キロで迫
ってきました。こんな恐ろしい光景はありませんでした。
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ランダムで飛んできた者です。
劇団に所属している私の両親が、今年の夏休みの終わりの公演で シベリア抑留を背景とした芝居をしていました。でも舞台の上で起きたことは全て「嘘」なんですよね。
けれどこのブログを読ませて頂き、実際の出来事を目にし、改めて思いました。自分でも何を思ったかはっきりとは分からないので言葉にはできませんが。
失礼ながら、此処に、足跡として残させて頂きます。
2009/9/5(土) 午後 11:02 [ 砂倉 ]
コメントありがとうございます。
実際あった話を、わかりやすく、まとめております。
何かの参考にしていただければ、幸いに存じます。
2009/9/6(日) 午後 5:47 [ ypk*j44* ]