|
まゆたんです
maゆ。が絵を描く時に必要なものをお話します。
画材はもちろんですが
他にどうしても必要なものがあります。
まずは、世界に入れる音楽
描くシリーズによって音楽が変わる事はあります。
日本語の音楽は歌詞が耳に入るので洋楽です。
それは、視聴して心にハッときたものを探します。
オフの時には聴きません。
オンとオフを仕分けないと疲れるからです。
始めはこれがコントロールできていなくて
大変だったので、ある日考えて変えてみたら
上手く行きました。
やっぱり、世界の扉が開けっ放しだといけないですね。
次は全身用鏡です。
この鏡を自分の見える良いポジション
または、絵が映る様に設置をし
その日によって動かすこともあります。
その鏡は色んな意味で使います。
鏡を通して作品を見たり、鏡を通してバランスを取ったり
心の中をのぞいてみたり
時には自分がポーズをとって花神ちゃんのラインの参考にしたり
アトリエの中で結構動いてたりします。
イスから落ちそうになったことも
描く最中の事はあまり覚えていませんが
絵のバランス取る時に目に変わった動きをさせて
絵を見る事はありました。
多分動いて見える様な気がするからでしょうか。
当分絵を描いていないので忘れました。
絵以外ではしないです。
歌いたくなったら絵を見つめながら唄ったりします。
その日絵を描き終える時に熱唱することがありました。
あと、部屋の電話もお休みモードに
この音でパッと目が覚めてしまったらいけないので
maゆ。はこんな風にして絵を描いています。
という事でmaゆ。が絵に必要な物は
音楽と全身用鏡です
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
フェアリー流専業主婦のライフスタイルを
応援クリックしてもらえると嬉しいな♪
![]() |
作品のエピソード
-
詳細
コメント(0)
|
こんにちは!
2003年、初の個展の時に飾っていた
小道具でもあった作品の写真を見つけたので紹介します。
当時はデジカメを持っていなかったので、
プリント写真をスキャナーしました。
映りが凄く悪いですが。。。
では、天使の羽指輪です
お次ぎは妖精ステッキです
お次ぎは鈴付き魔法のステッキです
これを持って妖精気分
続いての写真はオープニングパーティーです。
最後の曲で本田美奈子さんの
『つばさ』を天使の羽指輪をして唄っている所です。
この曲がずっと大好きで、作品に囲まれて唄うのが夢だったので
やっと、叶いました
この展覧会のテーマにそった曲を選び
マドンナさんのホリデーから始まり
マライア・キャリーさんのヒーローなど計4曲
『つばさ』を唄っていると、感動して涙を浮かべる方もいて
私も感動しました。
でも、最後はポップな曲をもう一度流して、皆で踊りました。
声が大きいのでマイク無しで、
バックでは即興でタイコ叩いてもらいましたこの方は、タイコを叩いてパフォーマンスをされている方です。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
フェアリー流専業主婦のライフスタイルを
応援クリックしてもらえると嬉しいな♪
![]() |
|
マネージャーのひでか〜ずです。
今日は前回の個展についての続きです。 プレート作品は買いやすいサイズと値段で完売したそうです。
確か当時、「手描きの1点ものにしては、これは安すぎるんじゃないかな」って思ってました(笑) 今でも苦労の割にはちょっと安過ぎやしないかと思うこともあります(^^) そう言えば、日本では絵でも学歴が重視されているようですよ。
確かに有名大学とか、何会とかすごいとは思うんですが、ひいきする基準になっていると言う噂が立つのはちょっと(笑) やっぱ出身校とか、コネとかネームバリューで賞が決まるより、作品自体で決まった方が素晴らしい作品が残ると思うんですよねー。 でも、仕事でもそうですが、つながりを大切にしようとするとそうなっちゃいますよね。 ここ4年くらいそういうアート系の交流が無いので今現在どうなのか知りませんが。。。おっと話がそれちゃいました(笑) 全部の作品を見終えてもまだ、まゆたんはお知り合いの人と盛り上がっている様子。
キレイな人には弱い僕は、来た証として住所と名前を記帳して、そそくさとその場を立ち去ろうとしたら呼び止められちゃいまいた(*^^*) 「お、まじで?呼び止めるの?」と思ったら、何やらクリップをくれる様子。 油彩で描かれたオリジナルクリップを来てくれた人にサプライズプレゼントをしているのだとか。 「えー!こんな手の込んだものタダで配っとんかー!」と驚きました。 こんなクリップです。 後に教えてもらったんですがクリップは約120個作ったんだそうです。 サービス精神ありすぎ(笑) それで、何を見てこの展覧会を知ったんかとか聞かれたのを覚えてます。 お知り合いの方がピカソ画房によく行くので置いといてあげると言って偶然置かせてもらってたそうなので、これも運命ですね! その後、僕が主催のグループ展をしたので、まゆたんにも案内をだしてー、でもまゆたんは見にこれなくてー、それから、、、
あ、まゆたんとの馴れ初めはいっか(笑) あ、そうそう、まゆたんの展覧会にはお祝いの花が
ギャラリーいっぱいあってビックリしました。
エピソードを読まれた方は解ると思いますが、大変な時を過ごしたまゆたんだからこその心のこもったお祝いの花が沢山届いたんだと思います。
また、もっと元気になったら個展開きたいね♪
|
|
マネージャーのひでか〜ずです!
ちょこっとまゆたんの2003年の初個展について僕からの視点で書いてみますね。 この個展で初めてまゆたんと出会いました(^ー^)
ある日、ピカソ画房という行きつけの画材屋さんで、まゆたんの個展のDMを発見しました。 このDMです。 花神という名前と、そこに描かれていた姿が目に止まり「お、なにこれ面白いじゃん」と手に取りました。 結構近くで開催中だったので、その足ですぐに見に行きました。 ほら、見えてきました。こういうところに入るのってちょっと緊張する〜
当時、まだ個展会場に入るのに慣れてなくて、緊張しつつも、緊張してないような態度でゆっくり入っていくと、まゆたんが居ました。 「うお、キレイなおねーさんじゃん!」っと密かに思い、更に緊張してしまいました(笑) 幸いにも?まゆたんはお知り合いの方と話をしていたので、軽い挨拶だけして、会場を見せてもらいました。 所狭しと飾られた作品群に圧倒されつつ、1点1点緊張しながらもじっくり見させて頂きました。
「なに?この細かさ。。。」「なんか1枚の絵にすごい世界がひろがってる」「むむ、この絵は何か精神的な絵だな。」「この人は何かあったんかな?」「うわ〜なんかすごいなー」とか、勝手に思いながら、その繊細な絵に圧倒されつつ見たのを覚えています。
ちなみに、真中のお祝いの花も芸術的で素晴らしいんですが、これは花屋さんが作ったものです(笑)
今見るとタイトルが書かれたプレートがハートの形をしてたんですね。
周辺にはタクトやいろんな小物も飾られています。
後から聞いたんですが、これらを使ってパフォーマンスでダンスと歌を歌ったんだそうですよー。
続きはまたあした〜
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
フェアリー流専業主婦のライフスタイルを
応援クリックしてもらえると嬉しいな♪
![]() |
|
こんばんは!とても迷いましたが、
これまでの作品、これからの作品をより解って頂けるよう
今日は勇気を出して、過去のお話をします。
長いですが、読んで頂ける事を願っています。
『私にとって絵とは心の奥底を映す鏡』
子供の頃から絵を描く事は大好きで、いつも描いていたように思います。
私は、今主婦をしていて、2007年4月に結婚してからは絵を描いていません。
今年、2010年の4月で結婚3年になりました。
最近、マイホームを購入したので、自分の一番お気に入りの作品
『花神・マイ・マユ』をやっと飾る事ができ、改めて見ていると
あの頃を思い出し、絵の事が懐かしくなりました。
「また、描きたい」と、忘れていた気持ちが呼び戻って来たようでした。
子供の頃から結婚するまで、日々何らかの絵を描いていたので
3年という長い期間、絵を描いていないのは始めてだなぁとふと気づきました。
私は油絵を始めて、個展をするまでに心の病を克服しました。
17歳の頃に心の病になり、全ての気力を失ってしまいました。
高校にも行けなくなり、当時は何の病気なのか解らず、
色々な病院へ母に連れられて行きました。
でも悪くなる一方で家族で悩みました。
今思えば、ストレスからの鬱病だったんだと思いました。
当時はストレスと言う言葉も知りませんでした。
鬱病という病気も知りませんでした。
その後、摂食障害(拒食症から過食嘔吐に変わる)になり、22歳頃
23キロまで痩せ、栄養失調で命に危険があったので、
入院をして鎖骨下の方から中心静脈にチューブを入れ
高カロリー点滴(IVH)をし、3ヶ月で35キロまで体重を戻し
健康状態は取り戻せたのですが
根本的な心の病が治っていなかったので、摂食障害は変わりませんでした。
それからが本当の闘いで、一番大変でした。
本当に治したくて、治すために色んな努力をし病気と闘いました。
でも、その甲斐なく全く良くなりませんでした。
その間にも性的暴行を受け首を絞められ、殺されそうになったり、
危険な事、危ない仕事、レイプされたりと
更に心の傷を深くし、病気がややこしくなっていきました。
自分の中ではもう悩みとかではなく
ただ、この日々を耐えるという、本当に辛く苦しく
もう駄目なのかと諦めかけてもいました。
ところが、26歳の頃に油絵を始めた事がきっかけで変化が起き始めました。
自分の心の奥底にある世界を油絵に託しました。
そして、治療の効果が表れない病院へは行かなくなり、自分で治すと決め、
ほとんどの人と連絡をとらず、絵を描きながら
毎日ノートに自分の気持ちを書き続けました。
自分と向き合い、自分の事を考え、治したい一心に書き続けました。
ノートがなくなる頃には、自分の中で色んな事が解りはじめ
私もだんだん変化していき、摂食障害の症状が軽くなりました。
そして、私は高校中退だった事を気にかけていたので、
勉強しようと思い立ち、30歳前で通信制教育を受ける事にしました。
早期半年コースで、30歳になる前に無事高校卒業の資格を獲得しました。
凄く勉強が楽しくて、私はこの最後の試験勉強の日がきっかけで
摂食障害の症状は無くなりました。
本当に嬉しくて、感動と達成感で一杯でした。
この事は一言では言えない、ここにはとても書ききれない感動でした。
これまで、17歳から30歳までの13年間は色んな事がありすぎて、まとめるのが難しいです。
でも、重くて、深くて、苦しくて長かったです。
あの頃を思うと「辛かった」の言葉しか浮かびません。
この13年間に失ったこと(友達、健康など)、自分を傷つけてしまった事も沢山ありますが、
本当に沢山ありますが、逆に得た事も沢山あります。
これまで、何度も崩れそうになったけど、自分を信じて諦めなくて良かった
生きていて良かったと強く思いました。
これからは自分を労り大切に生きて行こうと思いました。
しかし、結婚をして再発し、結局鬱病が17歳から治って
いなかった事に気付き、鬱病治療をしました。
抗うつ剤の副作用が酷くて、治療を辞めたいと
何度も思いました。先生も聞いた事のない副作用だと言われた事も
あり、合う薬に出会いまでに3ヶ月かかりました。
でも、これまでに自分が自己流で自己分析して
自分と向き合っていたので、薬が効き始めてからは
回復が早く順調に治療は進んでいきました。
そして、1年半で家族の支えがあって無事
17歳から36歳までの鬱病を克服しました。
結局、鬱病から摂食障害になったんだと思いました。
摂食障害克服の時も心から笑える事を幸せに思ったけれど
36歳の時の克服の時に、
それよりも、もっと本当に心から笑える幸せを実感し感動しました。
最後まで読んで下さった方、本当にありがとうございました。
これからもどうか、よろしくお願い致します。
摂食障害は本当に恐ろしい病気だと知りました。
何もかも失ってしまう、そして、過食嘔吐は心不全などで
命を亡くす事もあります。私は運が良かったんだと思いました。
でも、体力の衰えが人より早い事を実感しています。
今は自分の身体を支える事に努力しています。
〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜
フェアリー流専業主婦のライフスタイルを
応援クリックしてもらえると嬉しいな♪
![]() |



