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東京は日に日に秋めいて来ました。
あの暑かった夏がなつかしいです。 暑くて暑くて家にこもって冷房三昧だった8月のある日、NHK BS で「新日本風土記奥の細道」が放送されました。 そのうち見ようかと録画にとりました。 福島が原発の被害にさらされている直後 故郷福島が愛しくて、ブログに福島への思いを載せました。 ごくわずかの人しか目にしないようでしたが、それでも福島の美しさを福島の再生を祈りました。 松尾芭蕉の奥の細道にある福島も引用しました。 芭蕉がこの地に来たのは、5月6月のいい気候のころでした。 そんなこともあり、「奥の細道」は興味深いです。 つい最近その録画を見ました。 ノンビリと「奥の細道」を見ますと、8月の放送はその前年の再放送でした。 芭蕉は白河の関を超え須賀川を過ぎ二本松へ。 福島は、阿武隈川を渡って今の県庁のある辺りを歩いたのでしょうか。 ちなみに阿武隈川の船着き場だった辺りは、今でも渡利という地名で残っています。 渡利は父親の親類のいたところで、子供のころよく行きました。 その渡利地区は、今は福島市内でも放射性の強い所としてよく出てきてます。 残念と悲しさがこみあげます。 芭蕉は源義経が好きだったようです。 義経の家臣の佐藤継信、忠信兄弟はこの地しのぶの里の出らしい。 芭蕉はこの地にある医王寺に立ち寄って います。 この夜は飯坂に泊まっています。 芭蕉は飯坂を飯塚と言ってます。 飯坂は温泉地でもあり涌き出る温泉の近くには旅籠もあったと思われますが、芭蕉はむしろ敷の小屋のようなところに泊まったようです。 そこで虫に刺されたり、湿気にさらされたりして持病がひどくなったようです。 佐藤兄弟の供養も兼ねて立ち寄ったのに、きっと芭蕉のこの地の印象はよくなかったのかもしれません。 芭蕉が泊まったこの辺りの温泉は鯖湖の湯という名称で現代の今も共同湯になっています。 「新日本風土記奥の細道」では、この鯖湖の湯のすぐ前にある旅籠が紹介されています。 江戸時代から続いている古い旅館です。 この旅館を守ってきた女将さんが紹介されていました。 高校のころ仲良しだった武ちゃんです。 武ちゃんはこの旅館の娘で歴史あるこの旅館を守るのは私のつとめと高校の頃から言ってました。 旅館の名前は「なかむらや」 高校のころ一度おじゃましましたが、あの頃と変わらず、時代劇に出てきそうな雰囲気は風格にみがきがかかっているようでした。 芭蕉はこの旅館には泊らなかったと思いますが、すぐ近くにある鯖湖の湯には入ったのかもしくれません。 なにげに見た「新日本風土記奥の細道」は、高校のころを思い出させてくれました。 なつかしい故郷福島が、原発被害から脱する日が早く来るよう祈らずにはいられませんでした。 その後「なかむらや」の女将さん武ちゃんに何十年ぶりかで便りをだしました。 武ちゃんは元気でした。 3年前のあの大きな災害の後は、旅館を閉めようと思うほど人の足が途絶えたようですが、辛抱してがんばったと言ってました。 武ちゃんは「なかむらや」を守りぬいていました。 「なかむらや」と女将が新日本風土記を引き締めていました。 |

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はじめまして、今日の関連記事からおじゃましました。
この12月のホットな「なかむらや」をトラバします。
2014/12/5(金) 午後 9:27
> 東北の温泉バカさん
「なかむらや」トラバ興味深く読ませていただきました。ありがとうございました。
どうぞ飯坂温泉、「なかむらや」にいらっしゃってください。
「飯坂温泉さ行ってみらんしょ」
「鯖湖の湯は熱目だけど、土地のおっさんたちの福島弁が聞かれっつおい」
「なかむらやによってくなんしょ」
「寄らんさょ、こらんしょ、まわらんしょ、さかさ、さかさか、飯坂へ、さか飯坂へ🎶🎶🎶🎶」
2014/12/16(火) 午後 5:01