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いやはや、驚いた。未だに小泉の郵政改革を擁護するコメントが書かれるとは思ってもいなかった。やはり私の懸念していた通り、マスコミの言うことをそのまま信じている人がこの国には今でも大勢いるようだ。でもまあ、仕方がない。大手マスコミが揃いも揃って、郵政民営化=改善とのプロパガンダを未だに流しつづけているのだから、普段から理論的に物事を考える癖がついていない人は、マスコミの言うことを疑うことなく、報道される内容の矛盾にも気付くことができないのだろう。それに、真実というものは、それを必要とする者にとっては貴重で尊いものだが、それを必要としない者にとってはむしろ厄介なものだ。だからこそ、真実を説く者が排斥され、異端として迫害されるという歴史が今日までずっと続いてきたのだ。
いずれにしても、「かんぽの宿」のオリックスへの一括譲渡が白紙になって私はせいせいしている。鳩山総務相はどうやらしっかりとした常識人だったらしい。オリックスの一括売却を怪しいと見抜いた彼の見識と、マスコミやアメリカの圧力に屈することのなかった勇気に私は心から敬意を表したい。
その一方、この結果にオリックスの宮内会長はひどく愕然としているに違いない。もちろん彼の取り巻きたち一同も。前にも書いた通り、この宮内という男は規制緩和のルールを自ら作りながら、そのルールを利用して巨額の利益を得てきたという極悪人である。そのことは今では多くの人の知るところとなっているが、悪人にはやはりそれなりの天罰が下るものなのだろう。オリックスの株価はこれまでずっと低迷状態が続いており、この「かんぽの宿」の一括売却をもとにボロ儲けして株価を上昇させようと画策していたのだろうが、その儲け話すらも今や頓挫してしまった。しかも、鳩山総務相はこの怪しげな取引を今後も続けて追求すると言っている。いや、恐らく鳩山氏はこの怪しげな取引の全容を既に掴んでいて、あとは証拠やら証言者を見付けるだけというところまで来ているはずだ。宮内もそれを薄々は分かっていて、今頃は戦々恐々としながら、あれこれと逃げ道を用意しているところではないだろうか。郵政改革の主役・小泉もこの成り行きにはかなり怒り狂ったようで、いきなりマスコミの前に姿を現し、大っぴらに麻生叩きを演じはじめた。モスクワに行く予定がなければ、あのまま続けて麻生叩きに奔走していたことだろう。本当は麻生だけでなく、鳩山総務相も叩きたかったのだろうが、そんなことをしたらさすがにお里が知られてしまうので、ひたすら我慢して麻生だけを叩くことにしたのだろう。
とはいえ、この結果に喜ぶのはまだ早い。これから先も「かんぽの宿」がどのような業者に売却されていくか、我々は常に注意の目を向けていなければならない。それに、小泉改革によってもたらされた負の遺産はこれ以外にも数多く残されている。特に深刻なのは格差の問題だろう。竹中平蔵はこの格差の開きを構造改革のせいではないと平然と言ってのけているが、どうやら彼の頭の中は自己弁護のための詭弁だけが満ちているようだ。まさに彼は典型的なエリートだと私は思う。昔からエリートというのは自分の考えこそが正しいと頭から信じ込み、自分の考えに酔い知れるという悪い習性を持っているからだ。そんなエリートたちがアメリカではウォール街の金融機関で働き、日本では役所に勤めている。その結果、今では両方の国が滅びつつあるという状態だ。エリートというものはとかく亡国の手先となりやすい存在なのだ。実際、かつての日本のエリートたちも軍人になって日本を滅ぼしてしまった。彼らエリートたちはその高い知能によって権力を手に入れるわけだが、その権力を私利私欲を満たすために使うばかりで、国民の生活を守るという意識はこれっぽっちも持っていない。そんな連中が行政を握っているから、いつまで経ってもこの国がよくならないのだ。
かつての平和で豊かな日本というものは今や幻想のように儚く消え去りつつある。今では街を歩いていても、多くの人たちがイライラ、カリカリしていて、人情味のある人が少なくなってしまった。特にひどいのは中高年だ。一昔前の中高年はもう少し常識もマナーもあったと思うのだが、最近の中高年はやたらとがめつく、自己中心で、ふんぞりかえっている人たちが多い。まるで一昔前の非行少年のようなのだ。本当なら今頃は年功序列制によって給料も増え、懐ももっと潤っていたはずが、小泉改革によって能率給、能力給なるものが定着してしまったため、給料は増えず、むしろ減り、能力のある若者たちから邪魔者扱いされるという状況に陥ってしまっているのだろう。それで心がひねくれ、人情を持つような余裕すらも失ってしまったのだ。もっとも、中高年の中にも未だに立派な人格を持っている人もいるが、多分、そういう人はちゃんとした能力を持っていて、仕事もあって、給料もきちんともらっているのだろう。
最近は、派遣切りや内定取消などで、若い人たちの首切りばかりが取り沙汰されているが、その陰では多くの中高年たちがこのように犠牲になっている。私はまだ中高年ではないので、この状態を他人事のようにしか見られないし、中高年がこんな仕打ちを受けているのも、年功序列制度にあぐらをかいていた一種の罰だとも思っているのだが、このままこんなおかしな中高年が増えていけば、日本という国が今後ますますおかしくなっていくはずだ。私はそれを心から憂えている。しかも、例え経済が回復したとしても、先に仕事にありつけるのは中高年ではなく若者たちだ。中高年はいつまで経っても社会のお荷物と見なされ、最後の最後にようやくクズのような仕事にありつけるのがやっとだろう。政府は若者たちの雇用問題ばかりでなく、中高年の雇用にももう少し気を配るべきだ。最近の中高年の姿を見ていると、ときどきそんな思いがふと込み上げてくる。
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「中高年」の犠牲者で、その(被害の)自覚もない者を見かけると腹立たしいというより、哀れさが先にたつ。
一度目は悲劇でも二度同じ手を食らうと喜劇になるというが、二度目は惨劇が待っている。
曲がりなりにも彼ら彼女らが選挙権を持つことを思えば、「自己責任」というべきで、選挙権外の若者・子供達に言い訳が立たない。
そう思います。
2009/2/16(月) 午後 5:26
ひろもとさん、いつもコメントありがとうございます。マスコミではこういう話題は余り見かけませんが、やはり同じことを感じている人は私以外にもいるということなのですね。
2009/2/17(火) 午前 0:33 [ ysk ]