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もう50年以上も前の話。
池袋の立教大学のグラウンドが、申し込めば自由に使えた。毎週日曜日には、横丁の子供たちが集まって野球をしに行く。我が家の前の二階に下宿をしていた沖縄出身の学生さんが一応の監督。友達は下から「サイコー」と呼んでいた。僕らは朝から昼まで、グラウンドの一角で草野球を楽しむ。すぐ横には、江戸川乱歩邸の白い土蔵が見えていた。
隣の一角には、揃いのユニホームに身を固めた少年野球チームがやってくる。脇には白いキャデラックのバンが停まっている。昼時になると、彼らは車の回りに集まって、豪華な食事を始める。
僕らは、それを横目にしながら帰っていく。
その少年野球チームが、「ジャニーきたがわ」という人が率いる「ジャニーズ」という名のチームということは、なぜか知れ渡っていた。
ある時、僕らのボールがグラウンドを越えて、隣の家の窓ガラスを割ってしまった。弁償をしなければならないこととなって、さあ大変。監督も含めてみんな無一文なのだからどうにもならない。万事休す、というところに、救世主が現れた。遠くから状況を見ていたのだろう、ジャニー喜多川さんが来て支払ってくれたのだ。大変な恩を受けたことになる。ところがそこから先の記憶がまったくない。恩知らずな話である。
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