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			<title>変見忘備録</title>
			<description>昨今はやりの「ブログ」というものを、私もしてみようと思い立ち、「心にうつりゆくよしなし事を」書きとどめてみようと思う。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>変見忘備録</title>
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			<description>昨今はやりの「ブログ」というものを、私もしてみようと思い立ち、「心にうつりゆくよしなし事を」書きとどめてみようと思う。</description>
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			<title>引越します</title>
			<description>若い友人に勧められて、アメーバブログに引っ越すことにしました。&lt;br /&gt;
「はなし半分」というタイトル、同じ「アロハ・オエ」のネームで続けています。&lt;br /&gt;
記事は、少しずつ、訂正・修正しながらコピーしていきます。&lt;br /&gt;
引き続きよろしくお願い致します。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/30466154.html</link>
			<pubDate>Sun, 14 Apr 2013 17:48:14 +0900</pubDate>
			<category>ネットサービス</category>
		</item>
		<item>
			<title>太陽異変</title>
			<description>文春新書の常田佐久著「太陽に何が起きているか」を読んだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
太陽の黒点数が異常に減少していて、それが地球寒冷化をもたらすかもしれないことは、丸山茂徳博士の「『地球温暖化』論の嘘に騙されるな！」により知っていた。以前に取り上げたこともある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
黒点数の異常は、著者もすでに２００８年から感じたのだそうだ。&lt;br /&gt;
「太陽活動のカギを握るのが」磁場の強さだという。太陽観測衛星「ひので」の観測により、その磁場にも異変が起きていることが分かった。「従来の2重極構造から４重極構造に近く」なっている。&lt;br /&gt;
「このまま太陽は不活発な状態に入ってしまうのではないかと私は心配しています。」という。&lt;br /&gt;
ただし、丸山博士のような過激な言い方はしていない。地球の温暖化、寒冷化はまだはっきりしない。「しかし、太陽活動低下の兆候はたしかに存在します。」と言っている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
ロンドンのテムズ川が凍結した、「マウンダー極小期」（1645年～1715年頃）と似た太陽の状態らしい。&lt;br /&gt;
そうだとしたら、一日も早く温暖化対策を止めて、寒冷化対策にシフトしなければならない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
人類は原初から太陽神を祭ってきた。今年話題の伊勢神宮も、その起源は太陽を祭る場所だった。&lt;br /&gt;
民間信仰としても「お天道様」とあがめられてきた。太陽活動が、人類の生存に直結しているという経験知に基づくものだろう。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今朝もやけに寒い。今月の光熱費が気になる。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/30269565.html</link>
			<pubDate>Sun, 27 Jan 2013 08:58:56 +0900</pubDate>
			<category>地球温暖化</category>
		</item>
		<item>
			<title>帝銀事件</title>
			<description>西武池袋線椎名町駅近くに長崎神社がある。古い地図には、このへん一帯は長崎村と記されている。子供の頃の秋祭りには、神輿が、山手通り（環状6号線）を長崎神社まで練り歩いた。そういえば、そのころは毎年、自衛隊のパレードが山手通りを行進していた。戦車が地響きを鳴らして目の前を通り過ぎていくのは圧巻だった。隔世の感がある。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その長崎神社のすぐ脇に「帝国銀行椎名町支店」はあった。６5年前の今日。昭和２３年１月２６日の事、「帝銀事件」が起こった。私が生まれた年である。母は翌日、近所の人たちと現場を見に行ったと言う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
不思議な事件であった。&lt;br /&gt;
犯人とされた画家の平沢貞通は死刑判決を受けたが、刑は執行される事なく、刑務所で天寿を全うする事になる。歴代の法務大臣も執行命令を出せなかったということだ。いまだ終戦直後の混乱の時代とはいえ、異常な事件である。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
１6人もの人を自分の周りに集めて、特殊な毒薬を特殊な飲み方で飲ませて、冷静に12人を毒殺。もがき苦しむ人々を平然と見つめていたようだ。&lt;br /&gt;
１６万円の現金と17,450円の小切手を奪っていき、あろうことか大胆にも、翌日、小切手を銀行で換金している。現在では１００倍ほどの貨幣価値となるそうだ。&lt;br /&gt;
4名の方が奇跡的に助かったために事件の詳細が語られたのだが、もし全員が亡くなっていたとしたら、16人の死体と16個の湯飲み茶碗が転がっているだけ。犯人が使った客用の茶碗だけが見つからなかったそうだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
いったい何のために・・・。金目当てだとしたら、やったことが大きすぎる。無差別テロである。&lt;br /&gt;
突飛な発想で、書くのも気が引けるのだが、半世紀も後に起きた同じ無差別テロの「サリン事件（松本、地下鉄）」と何処か共通点を感じてしまう。うまく説明は出来ないが、直感的にそう思うのだ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
・・・と、ここまで書いて、サリン事件がいつだったか調べようとしてネットで検索。ついでにあちこちのぞいていたら「contemporary navigation」というブログの「土屋正実に死刑判決　そして地下鉄サリン事件の深い闇」という記事の中に《オウムに潜入していた公安調査庁と思われる人の作った怪文書というのがあるのだが、その怪文書には、松本サリン事件は、唯一『帝銀事件』に似ていると書いてある。》と記されていた。&lt;br /&gt;
思わずエエッ！と声が出そうなほどだった。松本サリン事件の怪文書を書いた人間と似たようなことを考えていたことになる。私の直感も、荒唐無稽というほどでもなかったようなので、意を強くして記すことにした。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
その記述に続いて《帝銀事件とは、おそらく、「ある特殊な技術を持った人達が、ある組織に加入する時に起こしたデモンストレーションである」というのが、当ブログの見解である。》と記されている。&lt;br /&gt;
残念ながらこれだけでは、何が言いたいのか分からない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
確か、「松本サリン事件」の後、「地下鉄サリン事件」の前、オウム真理教とサリンの結びつきを指摘する「怪文書」だったと、かすかに記憶する。その『松本サリン事件に関する一考察』なるもの、探して「考察」してみようと思う。&lt;br /&gt;
思いつくままに、ただ今日は何の日、と軽く書き始めたのが、意外な顛末となった。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/30267407.html</link>
			<pubDate>Sat, 26 Jan 2013 09:58:19 +0900</pubDate>
			<category>事件</category>
		</item>
		<item>
			<title>ジャニーズ</title>
			<description>もう５０年以上も前の話。&lt;br /&gt;
池袋の立教大学のグラウンドが、申し込めば自由に使えた。毎週日曜日には、横丁の子供たちが集まって野球をしに行く。我が家の前の二階に下宿をしていた沖縄出身の学生さんが一応の監督。友達は下から「サイコー」と呼んでいた。僕らは朝から昼まで、グラウンドの一角で草野球を楽しむ。すぐ横には、江戸川乱歩邸の白い土蔵が見えていた。&lt;br /&gt;
隣の一角には、揃いのユニホームに身を固めた少年野球チームがやってくる。脇には白いキャデラックのバンが停まっている。昼時になると、彼らは車の回りに集まって、豪華な食事を始める。&lt;br /&gt;
僕らは、それを横目にしながら帰っていく。&lt;br /&gt;
その少年野球チームが、「ジャニーきたがわ」という人が率いる「ジャニーズ」という名のチームということは、なぜか知れ渡っていた。&lt;br /&gt;
ある時、僕らのボールがグラウンドを越えて、隣の家の窓ガラスを割ってしまった。弁償をしなければならないこととなって、さあ大変。監督も含めてみんな無一文なのだからどうにもならない。万事休す、というところに、救世主が現れた。遠くから状況を見ていたのだろう、ジャニー喜多川さんが来て支払ってくれたのだ。大変な恩を受けたことになる。ところがそこから先の記憶がまったくない。恩知らずな話である。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/30253343.html</link>
			<pubDate>Sun, 20 Jan 2013 18:34:28 +0900</pubDate>
			<category>野球</category>
		</item>
		<item>
			<title>希望の光</title>
			<description>数ヶ月ぶりにブログを開けてキーボードに向かっている。&lt;br /&gt;
安部政権がスタートして、68年も続いている敗戦国状態を脱却する可能性がでてきた。勿論、克服すべき問題は山のようにあり、前途多難というべきだが、希望の光は見えてきた。私ごときが、まつりごとに口を出さずにいられるような世の中になって欲しいと思う。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
 昨年末、「 msn産経ニュース」に次のような記事が載った。&lt;br /&gt;
『切腹した大学生&lt;br /&gt;
2012.12.29 07:33 （2/2ページ）［ｆｒｏｍ　Ｅｄｉｔｏｒ］ &lt;br /&gt;
　昨年の１２月８日は、昭和１６年１２月８日の大東亜戦争（太平洋戦争）開戦から７０年。Ｓさんは大学で安全保障問題ゼミに属し、日頃、ゼミ仲間らに、日本の安全保障の在り方について、熱っぽく語っており、自決のかなり前から、政府がきちんとした安全保障政策をとらないことに絶望する発言をしていたという。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　彼が自決した前年には、中国の漁船が尖閣諸島の領海で海保の巡視船に衝突、民主党政権が船長を釈放してしまうという失態を演じており、領土問題があらためてクローズアップされていた。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　この事件は大学生の単なる自殺事件として処理され、地元メディア以外はほとんど報道されなかった。だが、平成生まれの青年が、日本の安全保障政策に絶望して、切腹という手段で死を選んだ意味は決して小さくない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
　小雨降る中、暗い神社の境内で、靴を脱いで正座し、人知れず十字に切腹して頸動脈を切るというのは、なまなかな覚悟ではできない。これは国家、政府、国民に対する諫死（かんし）であり、憤死でもあろう。一周忌に当たり、あえて記した。（編集委員　大野敏明）』&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
数年前には、三島由紀夫研究会の三浦重周氏が割腹自決されている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
三島由紀夫と森田必勝、その後に続いたお二人、そして靖国神社に祭られる英霊、そのかたがたの魂魄が今この国を動かそうとしている。そんなふうに思えてならない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/30236753.html</link>
			<pubDate>Mon, 14 Jan 2013 09:39:01 +0900</pubDate>
			<category>行政</category>
		</item>
		<item>
			<title>涸沢へ行ってきた</title>
			<description>14日朝7：00新宿発のスパーあずさ1号に飛び乗った。15日出発の予定だったが、天気予報なども考慮して一日早めることにした。上高地に着くと晴れとはいえないが、まずまずの天気。バスターミナルの食堂で昼食。河童橋まで来ると、さすがに観光客は多いが、登山者の姿は少ない。今回は、梓川の左岸を行く。梓川の水量が異常に少ない。小梨平のテントもほとんど見られない。夏山と涸沢の紅葉との中間の時期だから登山者が少ないのだろうと思っていたのだが、とんでもない思い違いだったことが後で分かる。&lt;br /&gt;
徳沢に着いてテント場の方へ向かっていくと、サルの群れがすぐ脇を行列して行く。中には小さな子供を背負ったサルもいる。私たちの他にも何人かが近くで見ているのだが、サルたちはまったく無視して平気である。ここは、サルと人間が棲み分けをして共生しているような感じ。&lt;br /&gt;
ここでもテントの数は少ない。いい場所を選んで、二人並んで設営。初めてのプロモンテの吊り下げ式テントである。以前使っていたニッピンのものとは少し違うが、吊り下げ式は簡単でいい。ただ、ポールが中心で組まれて固定されてしまっているので、やや扱いにくいかなといったところ。&lt;br /&gt;
夕食時になって雨が降り出したのにはまいった。ガスボンベとバーナーは一組しかない。外で調理できないので、使いまわすほかない。甥っ子が先に使って、「はい終わったよ」と雨の中もってきてくれた。&lt;br /&gt;
プリムスのかなり古いバーナーなのだが、点火装置がうまく機能しなくなった。火花は出ていてガスも出ているのに引火しないことがある。こういうことも予想して、マッチと百円ライターは用意してきたので、難無きを得た。&lt;br /&gt;
翌朝は天候に恵まれて6：00いよいよ涸沢に向かって出発。レインウェアと防寒具と携行食と水だけの荷物ではあるが、本谷橋に着くころには疲れを感じはじめる。ここからが本格的な登山だというのに、先が心配となる。&lt;br /&gt;
毎度のことながら、本谷橋での休憩は実に気持ちが良い。渓流に癒される。&lt;br /&gt;
さて、いよいよ最大の急登に入って、早くも疲労困憊であった。６，７年前のことではあるが、70リットルのザックを背負って元気に登っていったことを思い出すと、同じ自分とは思えなくなってくる。穂高連峰の稜線が見え出すと、「よしっ！」と気合が入るところだが、今回はそんな気力もない。足が上がらなくなり、靴のつま先は岩に当たって傷だらけとなっている。それでも横尾から3時間半、フラフラになりながら涸沢ヒュッテに到着。相棒は始めて見る大パノラマに感嘆の声をあげていた。&lt;br /&gt;
ヒュッテで早めの昼食。ラーメンを食べていると目の前を「アレッ」と思う顔が通り過ぎた。確かに見覚えがあるのだが、誰だかすぐに分からない。しばらくして、おそらく北穂小屋二代目の小山さんだろう、テレビで何度か拝見している。ヒュッテの売店のスタッフとのやり取りをみて、間違いないと思った。&lt;br /&gt;
食後、何処かでゴロリと寝転びたいところであったが、曇り空の寒さでそれどころではなかった。&lt;br /&gt;
テント場を見物しながら涸沢小屋まで往復した後、下山することにした。&lt;br /&gt;
下りはじめてすぐに飛び込んできた光景は、人、人、人の連なり。見える限り登山者が続いている。何処まで下っても途切れることがない。それでも始めのうちは、狭いところでは登り優先を守っていたのだが、やがて、そんな紳士的な行動をしている場合じゃないと判断せざるを得なくなった。結局、本谷橋までぎっしり詰まっていた。ほとんどが小屋泊まりだろうから、今夜の小屋はどんなことになるのだろうと心配になってしまう。2,3週間後の紅葉の時期には、すさまじいことになるのだろうと思われた。&lt;br /&gt;
15：00に横尾を出て徳沢へ向かっていると前穂の稜線上をヘリコプターがしきりと旋回している。そして、ある所でホバリングを始めると、その位置の稜線からやや下がった所に青白く点滅するライトが見えた。あそこで何か事故があったのは間違いない。ヘリコプターは、また旋回やホバリングを繰り返した後、何処かへ消えていった。しばらくして戻ってくると、また同じ行動を繰り返していた。大変難しい状況にあるのだなと感じられた。私たちは見物もほどほどに先を急いだのだが、翌日のニュースで、前穂から徳沢に向かう58歳の大学教授が滑落して死亡したことを知った。時間も一致する。「ああ、あれだったんだ・・・」と一層痛ましい気持ちになった。&lt;br /&gt;
足を引きずるように徳沢に戻ると、ここもテントでいっぱいになっていた。徳沢園でビールの乾杯。旨いこと、そして、酔いの早いこと。&lt;br /&gt;
翌朝は簡単な朝食の後、夜露に濡れたテントを速やかに撤収。いつものように、コンビニの袋に詰め込んでザックの一番上に押し込む。空は快晴、前穂のモルゲンロードが美しい。&lt;br /&gt;
7：30河童橋に到着。一点の雲もなく晴れ渡った空に、前穂から吊尾根、奥穂、そして西穂へと続く穂高連峰が美しい。吊尾根の向こうの涸沢カールを思いながら、「山よさよなら、ごきげんよろしゅ、また来るときにも笑おておくれ」と口ずさむのであった。&lt;br /&gt;
8：00の始発バスに乗って帰路に着いた。&lt;br /&gt;
今回の教訓。この年齢となっては、長期的によほどの体力的トレーニングを積んだ後でなければ、このクラスの山行は無理があること。危険でさえあること。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/29917616.html</link>
			<pubDate>Thu, 20 Sep 2012 09:17:01 +0900</pubDate>
			<category>登山</category>
		</item>
		<item>
			<title>涸沢リベンジ</title>
			<description>今年北海道の大学に入った甥っ子が、夏休みで帰ってきた。この前のリベンジをしようというので、よしやろうということになった。&lt;br /&gt;
一昨年の夏、上高地から入って徳沢のレンタルテントで一泊。翌日涸沢を目指したのだが、雨がひどく本谷橋直前で撤退せざるを得なかった。その後、それぞれテントも買い、秋の連休に紅葉の涸沢行きの計画も立てたのだが、これも天候のため断念。次の年は、彼が大学目指して浪人生活。今年、希望の大学に入り、自然豊富な北海道で本格的なアウトドア技術を徐々に身につけているようだ。ロッククライミングも始めているという。この日程で奥穂か北穂の頂上まで行けないだろうかなどと、恐ろしいようなことを言う。&lt;br /&gt;
一方こちらは、何もかもが下降気味の63歳。もうすぐ64だ。彼について行けるだろうかと心配になる。70歳でエベレストに登る人もいるのだと言い聞かせながら、本をいっぱい詰め込んだザックを背負ってヒンズースクワットを30分～50分。&lt;br /&gt;
あと一週間、今日中には荷物の詰め込みを完了させる。あとは天候しだい。祈るほかない。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/29881804.html</link>
			<pubDate>Sun, 09 Sep 2012 09:03:36 +0900</pubDate>
			<category>登山</category>
		</item>
		<item>
			<title>大均一祭</title>
			<description>今日は、自転車で高円寺にある西部古書会館の大均一祭に行ってきた。この古本市はちょっと変わっている。初日は全品が200円均一。二日目になると売れ残った全てが100円均一となる。運がよければ一日違いで半額で手に入るのだから、大いに得した気分となる。とはいえ、200円が100円、2,000円が1,000円の世界。初日の10時開店から、ものすごい盛況である。&lt;br /&gt;
往復一時間のサイクリングは腹ごなしにちょうどいい。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/29877914.html</link>
			<pubDate>Sat, 08 Sep 2012 16:50:38 +0900</pubDate>
			<category>読書</category>
		</item>
		<item>
			<title>宥和政策が戦争を生む</title>
			<description>「英国はなぜ眠ったか」という本がある。第35代アメリカ合衆国大統領ジョン・F・ケネディーのハーバード大学卒業論文である。私は読んだことはないが、イギリスのチェンバレン首相の対ドイツ宥和政策がヒトラーの軍事台頭を許したとするもので、「ケネディーその栄光と悲劇」と言うサイトから引用させていただくと『ＪＦＫ論文は、イギリス政治の支配者であったチェンバレンやボールドウインを批判するよりも、ヒトラーの脅威に対抗できなかったイギリスのデモクラシー制度そのものにこそ責任がある。デモクラシー国家では、平和時に軍備のために税金を支払うものは少ない。それに乗じたヒトラーは密かに偽装軍備を進めてきた、と説いている。』&lt;br /&gt;
後年、世界が核戦争の瀬戸際までいったといわれる「キューバ危機」において、ケネディーは悩みぬいた末、海上封鎖を断固決行してフルシチョフを屈服させた。これによりホワイトハウス、クレムリン間にホットラインが設置されることとなり、フルシチョフは、若いケネディーに一目置くようになったと言われている。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
日本では、支那事変において、政府は事あるごと和平交渉という対支融和策をとり、結局、蒋介石に翻弄されるように泥沼にはまってしまい、和平の意志とは真逆の結果を生んでいる。対米交渉またしかりではないだろうか。もともと戦意を固めている敵を相手の和平交渉などは、相手にとっては単なる時間稼ぎでしかない。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
今回の領土をめぐる出来事も、日本政府の融和政策によって、表面的には穏便に済まされたようにみえる。しかし問題は解決されたのではなく、見えないところに埋められたに過ぎず、相手は益々エスカレートするだろう。こんな事を続けていれば、国民の鬱屈不満は地下のマグマのように、いつか突然、地上にそのエネルギーを噴出することになるだろう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/29783580.html</link>
			<pubDate>Sat, 18 Aug 2012 16:13:11 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
		<item>
			<title>朝鮮半島は日本の領土</title>
			<description>考古学による新しい発見の数々により、古事記、日本書紀の史実性が次々に確認されている。&lt;br /&gt;
かつて文物は、大陸から朝鮮半島を経由して日本に入ってきたと考えられていたが、事実は逆だった。&lt;br /&gt;
朝鮮半島南部が日本の支配下にあったことはほぼ間違いないようだ。&lt;br /&gt;
近くは併合によって、日本そのものだった。&lt;br /&gt;
したがって、今度の問題が不問に付されるようであれば、次のサッカーの日韓戦においては「朝鮮半島は日本の領土」と書いたプラカードを掲げよう。そして、竹島と一緒に国際司法裁判所に提訴しよう。</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/ysmt115/29780347.html</link>
			<pubDate>Fri, 17 Aug 2012 16:30:22 +0900</pubDate>
			<category>アジア情勢</category>
		</item>
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