直江兼続

直江兼続、愛の前立ての兜・上杉の武将。NHK大河ドラマ天地人や山形の米沢や新潟について。

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- 第四十七回(最終回) 愛を掲げよのあらすじ -
元和元年(1615)秋、大阪の陣が終わり米沢では治水工事や農地の開墾が
行われ人々の暮らしに潤いがでてきていた。
兼続の息子・景明も若い者を指揮し立派に成長していたが、あいかわらずの病で
倒れ寝込んでいた。兼続とお船が看病していたが、景明はその後亡くなった。
生活も苦しいので葬儀は身内のみで、質素に行われた。

元和2年(1616)、家康の居城・駿府城では、家康は布団で横になる
兼続に好きなだけ書物を与えるから、兼続と政宗を呼ぶように家臣に命じた。
兼続と政宗が家康に会いに行くと、家康は息子の秀忠に指南役として
伊達政宗の不屈の勇猛心と疑り深さと、直江兼続の愛と義の精神を秀忠に
伝授させるよう命じた。その後、家康と兼続は義の話をして75歳で亡くなった。

米沢では、息子を失ったお船はしばらく一人閉じこもっていたが
しばらく上杉景勝と昔話を語らった。
お船は景勝の息子・玉丸は江戸に人質としているので、その世話役として
自分が世話したいと言った。兼続もそれを認め、お船は江戸へ行くことになった。


政宗と兼続は秀忠と謁見し、指南役としての挨拶を済ませた。
政宗が廊下で若い衆に茶を持ってくるよう指示し、兼続と天下人の話をしていると
若い衆らが兼続を見つけ、戦国の世の話を聞かせてくれと頼まれたので
兼続は引き受け、織田信長や豊臣秀吉、石田三成らの人物像と義をそれぞれ語った。
扉の影からは、政宗が秀忠を連れて来て兼続の話を聞いてた。

それから2年が経過すると、兼続は米沢に禅林文庫という学問所を作った。
初音が兼続を訪ねて来て今生のお別れの挨拶に話し、初音は海を渡り外国に行く
ことを兼続に話した。その後、兼続は隠居することにした。

兼続は江戸に行き、玉丸の世話役をしてたお船をしばらくお貸したい
と頼み込み、2人で旅し越後へ向った。
兼続の母のお墓参りを済ませ、山を登り眺めの良い風景を眺め
亡くなった息子・娘の位牌を懐から取り出し、我らの古里の景色を見せてあげた。

兼続とお船は、景勝に会い少しでもお家のためにと、自分の領地や屋敷を明渡す
と話し隠居することを話した。景勝は「御主らしいのぅ、だが玉丸のことだけは
成人するまで世話を頼む」と言った。

景勝は兼続を連れて、春日山の岩屋に似た洞窟を見せ、ここに謙信公をお祀り
しようとすると明かした。いつも近くにいられては、この年になっても
頼りたくなると言うことで、米沢から少し離れた岩屋に設置することにした。
景勝は兼続に「真、苦労をかけたのぅ」と一言話し、
昔の想い出が頭をよぎりながらも、兼続と別れの挨拶をした。


元和5年(1619)、直江兼続が60歳になると、秋の紅葉を兼続とお船は
屋敷の庭のモミジを眺めていた。兼続は母からモミジのような家臣になりなさい
と言われたことを想い出し、自分はそうなれたか?とお船に質問すると
お船はあなた様はモミジのような家臣でした。
だから景明も、あなた様を見習おうとしたのでしょうと答えた。

兼続は茶を飲みながら紅葉を眺め、お船は一つお側にとモミジの葉を取り
兼続に手渡そうとすると、父親が亡くなったように柱を背にし
眠るかのように亡くなってた。
お船はそれを見て少しギョとしたが、兼続が亡くなったのを悟ると
兼続が握ってた茶碗を外し、取ってきたモミジの葉を握らせ
2人で紅葉の景色を眺めた。


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