直江兼続

直江兼続、愛の前立ての兜・上杉の武将。NHK大河ドラマ天地人や山形の米沢や新潟について。

大河ドラマ天地人のあらすじ

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大まかな内容については、コチラの直江兼続をめぐる観光マップに記載。
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第一回 五歳の家臣
第二回 泣き虫 与六
第三回 殿の初恋
第四回 年上の女
第五回 信長は鬼か
第六回 いざ、初陣
第七回 母の願い
第八回 謙信の遺言
第九回 謙信の死す
第十回 二人の養子
第十一回 御館の乱
第十二回 命がけの使者
第十三回 潜入!武田の陣
第十四回 黄金の盟約
第十五回 御館落城
第十六回 信玄の娘
第十七回 直江兼続誕生
第十八回 義の戦士たち
第十九回 本能寺の変
第二十回 秀吉の罠
第二十一回 三成の涙
第二十二回 真田幸村参上
第二十三回 愛の兜
第二十四回 戸惑いの上洛
第二十五回 天下人の誘惑
第二十六回 関白を叱る
第二十七回 与六と与七
第二十八回 北の独眼竜
第二十九回 天下統一
第三十回 女たちの上洛
第三十一回 愛の花戦
第三十二回 世継ぎの運命
第三十三回 五人の兼続
第三十四回 さらば、越後
第三十五回 家康の陰謀
第三十六回 史上最大の密約
第三十七回 家康への挑戦状
第三十八回 ふたつの関ヶ原
第三十九回 三成の遺言
第四十回 上杉転落
第四十一回 上杉の生きる道
第四十二回 将軍誕生
第四十三回 実頼追放
第四十四回 哀しみの花嫁
第四十五回 大阪の陣へ
第四十六回 大阪城炎上
第四十七回(最終回) 愛を掲げよ

- 第四十七回(最終回) 愛を掲げよのあらすじ -
元和元年(1615)秋、大阪の陣が終わり米沢では治水工事や農地の開墾が
行われ人々の暮らしに潤いがでてきていた。
兼続の息子・景明も若い者を指揮し立派に成長していたが、あいかわらずの病で
倒れ寝込んでいた。兼続とお船が看病していたが、景明はその後亡くなった。
生活も苦しいので葬儀は身内のみで、質素に行われた。

元和2年(1616)、家康の居城・駿府城では、家康は布団で横になる
兼続に好きなだけ書物を与えるから、兼続と政宗を呼ぶように家臣に命じた。
兼続と政宗が家康に会いに行くと、家康は息子の秀忠に指南役として
伊達政宗の不屈の勇猛心と疑り深さと、直江兼続の愛と義の精神を秀忠に
伝授させるよう命じた。その後、家康と兼続は義の話をして75歳で亡くなった。

米沢では、息子を失ったお船はしばらく一人閉じこもっていたが
しばらく上杉景勝と昔話を語らった。
お船は景勝の息子・玉丸は江戸に人質としているので、その世話役として
自分が世話したいと言った。兼続もそれを認め、お船は江戸へ行くことになった。


政宗と兼続は秀忠と謁見し、指南役としての挨拶を済ませた。
政宗が廊下で若い衆に茶を持ってくるよう指示し、兼続と天下人の話をしていると
若い衆らが兼続を見つけ、戦国の世の話を聞かせてくれと頼まれたので
兼続は引き受け、織田信長や豊臣秀吉、石田三成らの人物像と義をそれぞれ語った。
扉の影からは、政宗が秀忠を連れて来て兼続の話を聞いてた。

それから2年が経過すると、兼続は米沢に禅林文庫という学問所を作った。
初音が兼続を訪ねて来て今生のお別れの挨拶に話し、初音は海を渡り外国に行く
ことを兼続に話した。その後、兼続は隠居することにした。

兼続は江戸に行き、玉丸の世話役をしてたお船をしばらくお貸したい
と頼み込み、2人で旅し越後へ向った。
兼続の母のお墓参りを済ませ、山を登り眺めの良い風景を眺め
亡くなった息子・娘の位牌を懐から取り出し、我らの古里の景色を見せてあげた。

兼続とお船は、景勝に会い少しでもお家のためにと、自分の領地や屋敷を明渡す
と話し隠居することを話した。景勝は「御主らしいのぅ、だが玉丸のことだけは
成人するまで世話を頼む」と言った。

景勝は兼続を連れて、春日山の岩屋に似た洞窟を見せ、ここに謙信公をお祀り
しようとすると明かした。いつも近くにいられては、この年になっても
頼りたくなると言うことで、米沢から少し離れた岩屋に設置することにした。
景勝は兼続に「真、苦労をかけたのぅ」と一言話し、
昔の想い出が頭をよぎりながらも、兼続と別れの挨拶をした。


元和5年(1619)、直江兼続が60歳になると、秋の紅葉を兼続とお船は
屋敷の庭のモミジを眺めていた。兼続は母からモミジのような家臣になりなさい
と言われたことを想い出し、自分はそうなれたか?とお船に質問すると
お船はあなた様はモミジのような家臣でした。
だから景明も、あなた様を見習おうとしたのでしょうと答えた。

兼続は茶を飲みながら紅葉を眺め、お船は一つお側にとモミジの葉を取り
兼続に手渡そうとすると、父親が亡くなったように柱を背にし
眠るかのように亡くなってた。
お船はそれを見て少しギョとしたが、兼続が亡くなったのを悟ると
兼続が握ってた茶碗を外し、取ってきたモミジの葉を握らせ
2人で紅葉の景色を眺めた。

- 第四十六回 大阪城炎上のあらすじ -
慶長19年(1614)秋、米沢城へ伊達政宗が「徳川秀忠から御用を申し
付けられた」と訪れていた。政宗は告げずに腹の中しまおうかと考えたが
秀忠公はこの度の戦を避けようとしていたのを兼続に告げ去った。

駿府城にいる徳川家康と秀忠がいる城へ、兼続が一つ気がかりな点があると言い
訪れていた。家康がもったいぶらず何じゃ?とまぎらわしく聞くと
秀吉が亡くなる前の五大老制度や、前田利家が亡くなる床でも家康は誓った
はずだが、此度の豊臣攻めは度重なる約束を破るのでしょうか?
と兼続が聞き、今回の戦は義の無い戦なのでしょうかとニヤニヤしながら質問した。

家康は何故義が無い戦と知りながら、我に味方すると聞くと
兼続は秀忠公に望みをたくしている故と話した。家康は「そなたの気がかりに
答えたやろう。約束など昔のこと。今は徳川家を磐石にすること。
それしか考えておらん。どうじゃこれで満足したか?」と語った。

それを聞いた隣にいた秀忠は「父上、それでは我が娘はどうなります?
千は豊臣家と徳川家の盟約の証。」と聞くと、家康は「仕方なかろうが・・」
と顔を濁らせその場を去った。秀忠は兼続に「あれは私に聞かせたかったのだな」
と聞くと、兼続は「ハイ」と一言答えた。秀忠は同じ過ちを繰り返さぬよう
しかと意思を受け取ったと兼続に話した。


兼続は米沢に戻り、お船とこの度の戦は断腸の想いだが徳川家について戦わねば
ならないだろうと話していると、息子の景明がやって来て
「此度の戦に私も出陣したいと思います」と言って来た。
お船はそなたは病弱だから駄目だと言い聞かせたが、兼続は「こやつにも戦場を
見せておかねばならぬ。戦場とは人を殺さねばならぬ所だ。その苦しみをしかと
学ばねばいけぬぞと」と話、景明を連れて行くことにした。

10月になると家康は大阪城攻めの書状を出した。
それに対し豊臣家は真田家をはじめ、各地の浪人を招き対抗しようとした。
そして11月、大阪冬の陣が始まった。大阪城を取り囲んだ徳川家の軍勢は20万
対して豊臣家は12万で、そのほとんどが浪人で大阪城に馳せ参じた大名は
一人もいなかった。戦は双方手詰まりとなり、家康は大阪城の外堀を埋めるという
条件で豊臣家と和議を結び、戦を一旦終了させた。

次の年になると、兼続は病気がちの景明を看病しながら語らっていた。
そこに使者がやって来て、兼続が夜に向うと真田幸村が合いに来ており
同じ陣で酒を酌み交わすことも無くなりましたなと話し、外で酒を酌み交わした。
幸村は「家康は必ずまた攻めかかってきましょう。まる裸の今のお城では、
もはや勝ち目は無い、懇情のお別れでございます。」と話し兼続の元を去ろうと
した際に、兼続は「千姫様を助けてはくれぬか」とだけ最後に伝えた。


それから家康は豊臣方に、大阪城に残る浪人を追放するか、城を明け渡すように
言って来た。淀は怒り何としてもこの城に留まる決意をした。
福島正則は家康に「やり方は汚すぎる!」と言ったが、
家康は「貴様は江戸へ留まるように言ったはずじゃ」と話し、福島を足蹴りした。

そして徳川は大阪城を攻めた。上杉の陣に真田から矢文が届くと
兼続は炎上したガレキの大阪城を調べ、千姫が生存していないか探していた。
真田幸村が亡くなる前に、この辺りにいると手紙で兼続に教えたのだ。
その後、兼続は井戸で千姫を発見し、家康と秀忠の居る所へ届けた。
千姫が淀や幸村から救われた話を家康は聞いて、泣きながら豊臣の義を感じていた。

兼続は景明と共に焼けた大阪城で手を合わせ、「ようやく長き戦が終わったのじゃ」
と言い、真田幸村の見事を褒め、涙ぐむのであった。

- 第四十五回 大阪の陣へのあらすじ -
慶長10年(1605)3月、徳川家康は将軍職を嫡男の秀忠に譲った。
やがて上杉に祝いのために、伏見城へ参上せよと手紙が届いた。
直江兼続は大阪城へ行き、豊臣家も参上するよう淀と豊臣秀頼に会いに向った。
今は上杉や豊臣家も苦難の時期、お方様には今は身を懸命にするよう淀に語った。

しかし将軍職の祝いに上杉景勝と兼続は参上したが、豊臣家は参上しなかった。
兼続は伊達政宗の仲立ちにより、徳川秀忠と謁見した。
秀忠は上杉家が家康が会津討伐を取りやめて、江戸へ引き返す際に
上杉家が追討ちをしなかった件についての義を褒め話しあった。

淀が徳川の祝賀に参上しなかったので、高台院と福島正則は、このまま意地を
張り続けるべきでは無いと言い聞かせた。高台院はこれでは豊臣家を潰す
ことになると厳しくいったが、淀は天下は秀頼にあり家康に頭を下げるのを
嫌がっていた。


京の兼続の屋敷には毛利輝元が訪ねて来た。
毛利もまた上杉家と同じく、関ヶ原後に石高を減らされ、もしあの時に大阪城を
素直に明け渡しておれば、毛利にも天下があったかもしれないと後悔してた。
兼続は毛利に今は後悔しても仕方が無い。何卒お心を強く持ち、生きていれば
辛いこともままならぬこともある、されど慈愛を持って生きることが
人としてのあるべき姿だと語った。

京の兼続から手紙が上杉景勝に届き、徳川家は天下を平定しようと豊臣家を
潰す気でいる。また戦が起こりそうだと仙桃院に話した。
兼続は米沢に戻り、竹松へ婿の嫁ぎ先が決まったことを話した。
竹松は心得ており、その話はどうぞ話を進めてくださいませと言い返した。
仙桃院とお船が話しており、玉丸と遊ぼうとして呼んだ時に
とつぜん仙桃院は具合が悪くなり倒れ意識を失った。

景勝と兼続が容体を眺めていると仙桃院が目を覚まし、景勝に上杉謙信公が
家督の跡継ぎは嘘であったことを景勝に話した。
仙桃院は謙信公の後を継げるのは、そなたしかいなかった。
今や謙信公を超えている、そなたは自分の義を貫き通せばそれで良いと話し
仙桃院は亡くなった。


そして5年の月日が流れた。景勝は息子の玉丸に剣道を教え
徳川と豊臣の関係はさらに冷え込み、その関係は上杉にも及んだ。
直江勝吉は米沢を去ることを兼続に話した。いよいよ徳川は豊臣家を攻める
かもしれない。敵か味方か分からぬ上杉家には置いておけないのだろうと
兼続は話した。

慶長19年7月、密かに大阪城を攻めようとしていた徳川家は
豊臣家は京の東山に建立した鐘の文を遠山と家康が眺め、この文には徳川家を
呪う文章で天下は豊臣家にあるという文章だと、難癖をつけるがの如く
家康に遠山が話した。家康はそなた良い所に目を付けおるなと笑い
その文章で家康は豊臣家に逆心有りと戦を仕掛けるきっかけができた。

徳川家の使者は、上杉家に訪れ豊臣とは戦になるので、上杉家は徳川家に着く
のか豊臣家に着くのかどうするのだ?と返答を聞きに訪れた。
景勝は一切承知と一言だけ話し、徳川家に着いた。

- 第四十四回 哀しみの花嫁のあらすじ -
慶長9年(1604)閏8月、直江兼続は徳川の重臣・本多正信の息子を婿として
直江家に迎え入れた。本多政重に禄1万石を与え、名を上杉景勝の1文字を取って
直江勝吉と改めた。勝吉はまだ上杉家に来たばかりで馴染めず、
祝いの盃でも、毒が入っているのではないだろうかと断わる始末。
兼続が勝吉を城内を案内し、勘定所で上杉家の帳面を見せたが
家臣らは徳川家に情報が漏れるばかりだと、勝吉を上杉として見てなかった。

徳川家康は天下を我が物にしようと、将軍職を息子の秀忠に譲った。
勝吉が兼続に家康が息子に将軍職を譲ったことを話し、上杉家はどうするつもりか?
豊臣家を捨てる訳だが、徳川家にお見方しますか、ご返答をと訪ねると
兼続は「さあて、どうするかのう。」と考えた。

勝吉が兼続の愛の兜を眺めると、竹松がやって来て愛の兜の話をした。
勝吉は竹松を見ると「ワシが憎くないのか?ワシが来たせいで御主は直江家が
継げぬのだぞ」と話したが、竹松は一言「良いのです」と返事した。


米沢では雨が振り堰が壊れると、兼続は昔米沢は伊達様が支配していた土地なので
度々あったはず、ここは政宗にどう対処したのか兼続と勝吉は聞きに言った。
仙台城に到着すると、政宗は家康が息子に将軍職を譲った話しをし
上杉はどうするかのぅ・・・と言ったが、兼続は「今は我が領内のことで手一杯だ」
と話した。政宗は「上杉は天下を狙わないとは何ともつまらん」と返した。

兼続が帰ると愛姫は政宗にいかがなさいます?と聞くと、政宗は天下を取るより
面白き物あるかと思うか?と言った。
愛姫は上杉が何をなさることを、ご覧になったら良いと話した。


その年になると米沢では病が流行り出した。直江家では娘のお梅が病で14歳で
亡くなってしまった。お松の病で勝吉の前で倒れた。
兼続が様子を見に帰って来ると、お松は「どうか勝吉を夫婦となれど幸せでした」
と兼続に話した。兼続は「病などに負けてはならぬ!必ず良くなる」
と泣きながら言った。しかしお松はそこで息絶えたのであった。

お松が亡くなると勝吉は兼続に「お松亡き、私は直江家にもはや無用な者。
直江家を何とぞ竹松に」と自分は徳川家に戻り上杉家を取り次ぐので
竹松を直江家に譲りたいと話した。兼続は勝吉にこれをと
お松が病の中、勝吉のために縫った着物を差し出した。

勝吉は泣きながら着物を受け取り、兼続と一緒に米沢の高湯で密かに火縄銃を
製造していた工場を見せてあげた。勝吉はこんなのを私に見せて
上杉家に謀反の疑い有りと言ってしまえばどうなりましょう?と言うと
兼続は「それを見越しそなたを連れてきた。そなたが我が身内であるからじゃ」
と話し、徳川に付くか否か、天下は誰者でも無い、ここで生きる民の暮らし
そのために国の力を蓄えてきたと言い、亡き娘の夫としてこれからもここにおれ
と勝吉に語った。

伊達政宗が赤崩山に政宗が待つという知らせを聞くと、兼続は赤崩山へ登った。
2人米沢の城下町を山から眺めると、政宗は「寺や屋敷の配置、田畑を見て
ワシの古里をこうも変えおって、気に入らん。だが悪くは無い。
小さいながらもこの町は一つの天下を成し遂げとる。」と兼続に語った。

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