Episode:3 誰かの時間は自分の居場所

ただいま おかえり ありがとう。 1度きりの日々に感謝。

日記

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お金の価値

 

 ― 一部引用 ―
 
 
 
 お金の価値は交換したい個人の
「 欲望 」次第で、いくらでも変動する。
 
 

 あるものに対してどんな事をしてでも
ほしいと思えば、金の単位的な価値は低くなり、
逆にたい
して欲しくないなら、その価値は高くなる。
 
 
 
 いわゆる高いとか安いとかは、
世の中にはびこる適正価格を意識したもので。。。
それはあくまでこのくらいの値段で
交換したいという、欲望の平均的な数値にすぎない。
 
 
 
 
 なるほどね。
だからタダで手に入るものがあれば、
いくら払っても買えないものもあるわけだ。
 
 
 
 
 
 
 
Country roads, take me home
To the place I belon
West Virginia, mountain momma
Take me home, country roads
 
 

 先の研修で気づいた事。
自分が今まで考えてきた事の数々。
 

 自分のものさしだけで考えてきた、
「 誰かを大切にする 」
「 人に思いやりを持つ 」という行為は、
いったいなんだったのだろう、と思う。
 
 
 
 
 いよいよ「 ヒト 」について、ちゃんと
考えよう、考えてみようと思い――多少は
誰かのことを大切にできるようになったかと
思っていたが、それすら霞んでしまうほど、
自分の醜さ、格好悪さを、研修を通して痛感した。
 
 
 それが無意識――いつもの自分の姿だったので、
余計に始末が悪い。
 
 
 私の傍観意識、誰か任せの自分、発言の
数々こそが誰か様から傍観されていたかと思うと、
恥ずかしさを通りこして痛みすら覚える。
 
 
 本人自体そこに悪意はなく、自分の意思を
主張している程度にしか考えていなかった。
しかしそれこそが自分の本質。
 相手を否定して傷つけ踏み越えたその先の
景色は。。一体何になるのだろうか。
 
 
 今だからこそ考えられるのは、それが
相手の意見なのだからそれでいいではないか、
目の前にいて、自分とは異なるお相手の
貴重な意見なのだから、それこそ大切に
すべきではないか、と思う。
 
「 誰かを大切にする=自分を思うこと 」
 
 
 
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
 
 
 
 初日に衝撃を覚えた「 価値観・人生観 」。
何を以って価値観と自分は捉え、その差異を
比較しようと思うのだろうか。
 

 「 価値観が違うから 」そんな事は、
当たり前だと思っていたのに。
体験を通して、自分の醜さを客観視できた。
 

 無意識のうちに、公私共に相手を
利用しようと考え続けていたこと。
 自分のかけている部分の埋め合わせとして、
公私共に誰かのことを考えていたこと。
歪みきったWin=Win。
 

 お膳が立てられ過ぎた取り繕い、
その間で交わされるやりとりは一見みずみずしくも、
ひどくにおう。鼻につく。

 
 それでは命を預け合うバディなど
できようはずもない。それ以上に、バディの
意味さえ正確に掴んでいなかったと思う。
 

 ただ思うのは、この現実――誰かのことを
「 道具 」として捉えていた私の現実を、
今、そのとき認識できてよかったと思う。
 
 
 
 
 このままでは、始めたそばから
失敗することは明確だ。なぜなら、本当に
一緒に仕事をしよう、がんばるパートナーの
事すらツールとしてしか見ることが
できないのだから。
 
 

 だから、変えていく。
 自分を、変えよう。
 
 
 
 その答えを探すため、私は決断した。
それがEpisode:3。
 一度きりの物語は、新世界へ。
新しい生活、新しい人生の1ページが、
ここから始まった。
 

イメージ 1
 

アジトから家へ。

 
 
 
イメージ 1
 
 
 都内某所。私が身を潜めていたアジトは、
その性質を維持しつつも、これからは『 家 』として
機能するようになる。
 
 そのために、大幅な模様替え。
極めて生活感の薄いアジト然とした場所に、
少しだけ温かさがじんわり。

運命を動かす日

 


 未来は、決めたその時から、変えられる。



 選択をしたその日から、行動は始まった。
選択するというのは選べる幸せがある一方、
その代償もまた、計り知れない。


 でも決断に必要だったのは
勇気ではなく、覚悟だった。


 それでも人は、自分の選択を信じたくて――
何を選んだとしても、結果の良し悪しは
誰にもわからないし、それ自体大きな意味は
ないのかもしれない。


 今の私は気づいている。大切なことは
何を選ぶのか、ではなく、選んだあと
どう生きるか、だという事を。
 

 だから私は、2度とないこの人生を、
求め続けようと決めたのだ。




私は信じている。
私たちの選択が間違っていないことを。


間違っていたとしても、より良い方向へ
変える選択ができるという現実を。



私たちは、確信的挑戦者である事を。
 
 
 

達成能力の低下

 
 
 
 
 今の私は決してそれがすべてではないと
思っているし、ゆらぎの中、曖昧の中にこそ、
本当に求めている満足のような――
何かがある事は、先の研修から見出す事ができた。
 
 
 しかしより質の高いゆらぎ、尊敬すべき
曖昧を実現させるには、目標を掲げ、納期を守って
達成し続けるというプロセスが必要不可欠だ。
 
 何でもいいからやりきった経験が無ければ、
表現は悪いが質の低いゆらぎの中で――自分が一体
その生を以って何を為してきたのか、
自明できないままにその目を閉じるのだろう。
そんなのは、いやだ!
 
 
 
 
 
 研修を終えて現場――実生活に戻ってきた。
心身ともに思わぬブレイクスルー、思わぬ壁の出現を
日々体験している。
 ただ、その中で確定的に思うのは、今の私は確実に
目標達成能力が低下している、ということだ。
 
 

最近、本を読んでいないからだろうか。
誰かから追い詰められていないからだろうか。
自分の本当の弱さを、知ったからだろうか。
自分の迷いが、そうさせるのだろうか。
 
 
 
 それとも。。。私には掲げた目標を達成する
性質が、そもそも未だ身についていないからだろうか。
 知れば知るほど、自分に対する疑心暗鬼。
それは目標に対する気持ちと、その思考を著しく曇らせる。
 
 
 
 

 さて、新しい課題に気づいたところで、
これからの自分、どうしよう?
 

 前々から聞いていたが、大人になってから
自分含め、習慣を変えていくという事は、確かに
えらい騒ぎになる。
 しかし行動さえしていれば何かしら発見し、身につく。
それは経験からよく知っている事だ。
 

 こうして思うまま散文的に書いているうちに気づくのだが、
おそらく“何かしら”ではダメなのだろう。
もっと具体的に、肯定的に、明確に求めていかないと。
 

 そう考えていくと、失敗すら、行動していなければ
起きる事のない財産なのだと、改めて考えるし、確信する。

 

 今は、できることからやっていこう。
 

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