Episode:3 誰かの時間は自分の居場所

ただいま おかえり ありがとう。 1度きりの日々に感謝。

営業時代

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苦しかった、熱かった。そして宝の山に埋もれていた新卒時代。
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 このエリアの家を紹介する際に、決して
ウソや誇大広告をしたつもりは無いし、
事実だけを伝えたつもりだが、この「事実」と
いうのがなかなか厄介なもので。。


 事実は事実。しかし事実を受けた概念は、
人それぞれで捉え方、考え方が違う。
 だから同じ事象なのにそれを複数人が捉えると、
「事実と違う」という不思議な現象が度々起こる。


 それこそが意思疎通のすれ違い。
先にも書いた「常識は非常識」のハナシにも
通じるところはあるが、厳密には全く違う。
この話はまた後日にでも。。





 押上に家を買ってくれたお客さんの
言っている事は、すべてこの概念から
出でた事実なのだ。

 
 便利になるのも事実だし、街が活気づくのも事実。
電波の影響不安は事実だし、治安に対する不安も事実。


 要は、何を以って家を購入するか、どうして
一生をかけて買ってまで、そこに住みたいのか、
その考え方に尽きる。
 100点満点が付けられる家なんて、
どこにも無いのだから。


 ただ私がそんなお客様――とりわけ
ネガティブな意見を持つお客様に対して
いつも伝えている事は、
「その場所で、その家を、その金額で購入いただいて
心底良かったと思っている。」ということだ。
もちろん伝え方はお客さんそれぞれに考えているが。


 決して数字勘定の汚い話ではなく、
その場所に住んでもらえてよかった。
 いい場所だと思ったから、紹介した。
金額やうわっぺらのセールスではなく、もっと
感情面でお勧めできて、購入してもらえた。

 その場所は間違いなくいい場所なんです。
その思いは今も少しも変わっていない。


 押上で一戸建てをたくさん売った事。
いくらお客さんが今、ネガティブな意見を
持っていようとも、必ず「ここでよかった」と
思ってもらえる日が来る。
 私はそう信じて疑わない。

 


 最後に相場の話をしてみると、押上エリアの
土地資産性は確実に上がっている。
 4、5年前までは土地建物込みで3000万円台が
当たり前だったこのエリアも、今では諸費用を
入れれば総額5000万円を超えるだろう。
 差額の2000万円があれば、ベンツはおろか、
フェラーリが買えてしまう。
 数年でここまで変わるのかと、目が覚める思いだ。


 まぁ、土地値が高い=万人に住みやすいと
いうものでもないのだが、地区開発に伴う
街としての資産性は、確実に上昇している。
 

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 私がこだわり売っていたのは、
「東京スカイツリー」の建設で今をときめく
押上エリアの新築一戸建て。


 ここ押上近辺をはじめとした、いわゆる
「城東エリア」は、都内にしては
「家を買いやすい」エリアとして、当時は
ある意味注目を集めていた。
 反面どうしても「下町」と言う響きに
抵抗を持つ、それが拭えないでこのエリアを
避ける方がたくさんいるのも事実だった。


 TVやメディアでは下町というと情緒溢れる
粋な街並み等、ポジティブな面でしか紹介
されないが、実際はそれだけでなく――
それ以上に、避けられる理由が存在している。


 築何十年等、街を形成する建物が古かったり、
一昔前の町工場の発展と同時に土壌汚染が
確認されたり等、問題はいろいろだ。
 もちろん、100%の安全なんかは日本に
いる以上、どこにも無いのだが。


 批判があると困ってしまうので断言しておくが、
少なくとも私は今も昔もこのエリアが大好きだし、
2回ほど本気でこのエリアで家を買おうと
思っていたくらいだ。
 仕事をしていた当時はもちろん、押上に住んでいた。




 その場所に家を買ってくれた当時の
お客さんとは、今も電話でお話したりする。


 しかしその胸中は複雑なもので、。。
結論から言うと、反応が極端なのだ。



 「これから便利になる地域を、あの時紹介
してくれてありがとう。」


 「タワーに隣接してショッピングセンターが
できるらしい。ますます生活しやすくなりそう。」


 「場所としても下町と近代化で、すごく魅力的。」


 というポジティブな意見に対しては、
大変嬉しく思うし、この家を買ってもらえて
良かったなぁと心底思う。




 しかしそうでもない意見も、度々いただく。


 「まさかここまでタワーが大きなものだとは
知らなかった。毎日のようにすごい圧迫感だし、
何より日当たりが悪くなった。」


 「ただでさえ治安に不安はあったけど、
繁華街みたいになってますます危うくなる
のではないか。」


 「世界一とは聞こえはいいが、電波が
集まるのも世界一、ということか?
健康面の影響とかすごく不安。」


 「この家を売りに出すとしたら、今なら
いくら位の値がつくだろうか?」

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 東京スカイツリー。
墨田区押上(オシアゲ)という、あまり
聞き慣れない地域に突如として建設されて
いる、完成したら世界一の電波塔。
 浅草から川を渡って歩いて15分くらいで、
隅田川花火大会の会場近くだと言った方が、
ピンとくる方は多いかもしれない。


 現在建設中だが高さは300mを
超えたという事で、東京タワーを追い越すのも
そう遠くはないだろう。
 完成したら武蔵野にちなんで
634mになるようだ。


 実はこのエリア、私は裏路地1本、
強気で言えばすべての道路幅、細かい
マンホールの位置まで、すべて暗記している。
 なぜなら、私は新築一戸建てを売って
生活していた時、まさにこのエリアの
開発担当だったのだ。


 新築戸建の個人月間販売棟数7棟。。
4日に1件家を売ったこの記録は、もう
追い抜かれただろうか??

 
 営業マンとして休む事無く、グループの
売り上げ記録を作る事ができたのも、
この「東京スカイツリー」のおかげだった。



 

 当時の押上は本当に何も無い下町。
都心でお客さんの気持ちがわからず、家が
あまりに売れず、仕事ができなかった私。


 「新規エリア開拓」という名目のもと、
名誉とともにある意味飛ばされた場所。
 寂れた場末という言葉がまさにしっくりくる
このエリアで、スカイツリー建設が
まだ夢物語だった時代。


 当時はだだっ広すぎる自転車置き場だった
現在の建設地。しかし頻繁に行われている
何かの調査。
 ここは絶対何か起こると直感で信じて、
顧客対応の傍ら、押上に隣接、業平橋にある
東武ビルに度々通っていた。
 すべては「あの空き地」情報収集のためだった。
ちょうど5年くらい前の話だ。



 確かに当時から新タワー建設の話は
そっち業界では話題にあがっていたのだ。
 ただしあくまで噂レベルの情報。候補地として
いくつか場所が上がっていたくらいだった。
 具体的な話はまだまだ先だろう、というのが
印象だった。
 

 しかし日ごとに調査が派手になっていく
現場の様子と、東武ビルの方との会話を整合
する事で、ここが建設地だろうと、
ほぼ確信していた。


 建設が確定すれば、下町と言われてる
このエリアの地価はおそらく跳ね上がるだろう。
 準工業一辺倒の用途地域も、見直されるに違いない。


 当時の地価としては同じ都内にして、
坪単価は都心の半額か、それ以下の地域。
しかしこの相場は3、4年後にはひっくり返る。
そう確信できてから、仕事にいっそう力が入った。
 できない仕事が少し変わってきた瞬間だった。

 先述した壁も、音楽を通してなんとか
越えることができた訳だが。。


 音楽と言えばまた思い出す。
営業時代、入社2日目に、当時の厳しい
上司から真っ先に、
「クルマにCDかMDプレイヤーは付いているか?」
と聞かれた。


 私が会社から与えられたクルマには
最新型のステーションワゴンだったにもかかわらず、
カセットプレイヤーしかついていなかった。


 それを知った上司はすぐに私のクルマを運転して
オートバックスへ直行、自腹でCDプレイヤーを
付けてくれた。


 余談だが、新車を与えられたにもかかわらず、
ナビ等の最新機器が付いていなかった。
 後から聞いた話だが、「新入りがナビを頼って地図、
エリアを覚えなくなるので敢えて外していた。」
との事だった。
 おかげで入社してから半年は、毎日のように地図と
にらめっこだった。


 
 「これで案内アポ取れば音楽いつでも聴けるだろ?」
息抜きのつもりなのか??最初は意味不明だったが、
家が売れるようになるにしたがって、
その意味がわかるようになった。



 要は緊張状態のとき音楽に励まされ、
鼓舞されるのだ。
 お客様ご案内の前は、いつもすごく緊張していた。
それは人前で話したり、お客様を乗せて運転するから
という表面的なものではなかった。



 入社当初は「1人で戻ったら、お客様を会社に
連れて行けなかったら殴られる。。」と、
ネガティブな心配、緊張ばかりだった。

 
 しかしそこそこ数字も立つようになってからは、
とりわけチームの数字がかかったご案内や、
お客様が家族総出で来てくれた案内、つまりは
売上げ数字直結の物件案内の前は、緊張のあまり
しょっちゅう吐いていた。



 食事なんてとても喉を通らなかった。
だから、入社してからは超不摂生も働いて、
やせる一方だった。
 1番やせた時期で入社前と比べると、
−15Kgだった。今、当時の写真を見ると、
けっこう驚く。

 

 プレッシャーに負けそうな自分。
そんなときに応援してくれるのが、自分の
好きな音楽だった。
 上司がカセットプレイヤーで満足しなかった理由には、
「好きな音楽を好きな時に聞けない、つまり
早送り/巻き戻しをしている間に、自分がプレッシャーに
押し潰される。」
というところからだった。
 それ位、ギリギリの限界状態が仕事に求められた。
全ては結果を間違い無く出すため。
 自分の夢、自分の意思、自分の存在、
全てが結果だったから。


 
 テンション維持に関しては、当時と
やっている事は変わらない。
 頻度は劇的に少なくなったとはいえ、
極限に緊張したり、嫌な事があった時には音楽を聴く。
 今はアジトに設置したサラウンドシステムで、
迷惑がかからない程度に、好きな音量でひたすら聴く。
 で、大丈夫な自分を取り戻す。


 今でも成績で表彰された際に
上司からいただいた「俺の好きな音楽詰めたから、
聞いてみ?」と渡されたCDは宝物だ。
 ジャンルはポップスからソウル、演歌まですごい幅
だったが。。  


 環境が変わった今も、音楽に救われている自分がいた。

 休日も無かった。
「売れるようになってたくさん稼ぎたいんだろ!?」
「できない奴は量をやるしかないんだよ!!」



 頭からお茶をかけられて罵倒されながらも、
返す言葉が無かった。その通りだと思った。
 毎日、毎時間同じことを言われ続けたが、
確かにその通りだと思い、量をやるしかないと
自分にも聞かせつつ、上司の言うとおりに動いていた。



 定休日は週1で決まっていたが、まともに
休んだ事は無かった。休日の朝寝ていると、
大体8時半には上司から電話がかかってくる。
「えいきち今日お客の案内取れたー?」



 たとえ休日に休めなくても、1時間余分に
眠れたからいいかな。。なんて考えながら、
当たり前に会社に向かっていた。



 社会に出て初めて朝から晩までまともに
休めたのは、入社してから8ヵ月後の正月だった。




 最初の家を売ったのは、同期の中で最後だった。
私が7月31日に1件目を売ったとき、同期で
「できる子」は、6件売っていた。
 

 契約が終わったのは夜の10時を回っていた。
上司は契約のあと、私を焼肉の叙々苑に連れて
いってくれた。 これがウワサの叙々苑かぁ。。


 初めて売れた感動、上を見上げる
悔しさ、嬉しいやら悔しかったやらで、
今思い出しても涙が出る。



 「えいきちも来年あたりには売れるようになると
思うから、来年は毎週叙々苑に来ような。」
 上司のこの言葉は、今でもはっきり覚えている。
 


 そんな私が翌年の6月、全てのライバルを追い越して
ダントツの売上げ社内1位、国内○位になる日が来る。
 辞める前に上司の期待を裏切る事無く、
約束が守れて良かったな、と思う。

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