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こんにちは。
今の私の趣味は陶芸です。
陶芸に興味を持ったのは
畑の土が粘土質で
この土を使って日頃使う食器にならないかなぁ
と思ったのが最初でした。
しかし、一般の土は千度という高温では溶けてしまうようです。
ここで第1の目標は見事に崩れ去った訳ですが
新しい目標が生まれました。
それは
作るという行為はもともと好きでしたが
子供のころからのトラウマなのか
他人の評価が気になって作れない自分がいました。
小学生の頃からとにかく芸術というものが苦手で
粘土遊びでも自分が何を作っているのかわからなくなるほどでした。
決められた物を作る図工は好きでしたが
美術や音楽、書道といった類は大嫌いでした。
そこで
決めた物を作る
という粘土細工に
釉薬かけの芸術性を持った陶芸が
今の自分を変えるちょっとしたきっかけになるかなぁ
と思ったわけです。
例えばこのお皿はお皿の処女作ですが 私のお気に入りです。
残念なのは、葉っぱのレイアウトは先生がしてくれました。
やっぱりセンスあるなぁとつくづく思います。
私はリーフ柄が好きなので
これもお気に入りです。 おかげで芸術というものに少しずつ興味が持てるようになってきたような気がします。
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自分史
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一晩中玄関の扉が開いていた。
最後に寝たのは私… |
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こんにちは。
はまだ施術院ブログへ ようこそ。
沢山あるブログの中から
ご覧いただきありがとうございます。
私がカイロプラクティックという存在を知ったのは
平成13年のこと。
多くの方はご自身の腰痛などでカイロプラクティックを知るケースが多いようですが、
私は妻の片頭痛です。
付き添って行った時にそこの先生(最初の師匠)に勧められました。
所属した団体は「日本カイロプラクティック連合会(全健会)」という1週間でカイロプラクティックがマスターできるというものでした。
今から考えると検査を全く教えなかったので、カイロプラクティックではないですよね。
当時私は師匠の整体技法がいいと思って努めていました。
初めは皆さんに喜んでもらっていました。
自分にとって天職と思っていました。
紹介も沢山してもらいました。
面白いものでだんだんとレベルが上がっていきました。
施術結果が出なくなったのです。
それと同時に自分が何をクライアント様に施しているのかがわからなくなりました。
本当に今のままでいいのか。
骨を矯正したはずなのに再来院の時も同じ変位があるのはなぜか
答えを求めるため、1度師匠のもとを離れることにしました。
日本カイロプラクティックアカデミー(NCA)の故角野D,C,との出会いです。
NCAではカイロプラクティックに留まらずいろんなことを学びました。
なぜ矯正した骨がもどるのか
何が必要で何が不必要なのか
カイロプラクティックとは何なのか
など今まで誰も教えてくれなかったことを学びました。
とくに今では当たり前のように言われていますが、
「心と身体の関係」については度肝を抜かれた
そんな感じでした。
私の卒業1年を残し先生が他界されたときはショックでした。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
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私は勉強が嫌いでした。
いつも勉強から逃げていました。
そんな私に母親は
「戯れに 母を背負いてそのあまり軽きに 泣きて三歩歩まず」
石川啄木の短歌ですが
親が年老いたら
負って病院まで連れていくんやで。
と言われたものです。
マインドコントロールですね(笑)
あとは
「トラは死して皮を残し 人は死して名を残す」
「実るほど頭が下がる稲穂かな」
「いつまでも あると思うな 親と金」
いやというほど聞かされていましたから
これらは50歳を過ぎても
記憶に残っています。
本を読むのが苦手で
国語はいつも悪かったですが
不思議とこういう句とかは得意でしたね。
先日歩いていてふと
「戯れに 母を背負いてそのあまり軽きに 泣きて三歩歩まず」
の句を思い出しました。
活字にしたのは今回が初めてです。
ネットで記憶に間違いがないか調べて
ついでに啄木がどんな気持ちでこの句を詠んだか見てみました。
自分の両親も80歳前後となり
自分の存在や親への感謝があふれ出てきました。
こんな機会でもないとなかなかそういう方向に
フォーカスできないので
してみたいと思います。
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私たちの時代にもいじめは存在していました。
聞くと父親の時代(昭和10年代)にも存在していたようです。
今思い返すと3年生の時が一番エスカレートしていたように思います。
救いといえば止めてくれる女子の存在があったことです。
ホームルームに時間に取り上げ、何度も話し合ったことです。
時には立たされたこともありました。
4年生に入り、クラブ活動など忙しくなり、
いじめも少しずつなくなっていきました。
では、なぜいじめたのか。
個人によって異なるでしょうから
あくまでも私の意見を述べます。
私の場合、どこまですれば
怒られるのか
笑ってもらえるのか
のボーダーラインを探していたように思います。
もうひとつあげれば
無能な人間が自分の存在価値を感じるために
あえて自分より存在価値の低い人間を作っていたのかもしれません。
ですから、クラブ活動を楽しむことにより
その様な行為を無駄と感じられたのかもしれません。
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