森に親しむ談話室

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連載5:「森づくり」で大切なこと

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今回は、「森づくりで大切なこと」連載7回目です。例によって固い内容になったかもしれませんが、大切なことです。
初回からの連載は、左の書庫の 連載5:「森づくりで大切なこと」でみられます。

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「森づくりで大切なこと(7)〜日本の森林美(その4)」
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写真は、今から88年前の1911年(大正7年)に出版された、「森林美学」(新島善直・村山醸造)の表紙です。こんな美しい教科書を使っていた大正時代の北大林学科の学生は幸せだと思います。

さて、のちの北海道林業試験場長であり、東北帝大と北海道帝国大学初代の林学教授でもあった新島善直は1905年に、ドイツに留学しています。

その年、ドイツ山林大会において、H・ザリッシュが提唱する「森林美学」が賛否の議論を経てドイツ林学において、人工林造成の範疇の中に取り入れられることが決定されています。

ザリッシュが、人工林造成に適用した「森林美学」に対して、新島とその学生である村山が著した、多くの写真を交えた700ページ近いこの「森林美学」では、ザリッシュの影響を受けながらも、「天然林の美」を論じ、「風景の構成要素としての森林美」を重要視し、さらに、「日本の森林美を素材」として論じているところに特徴があります。

今回の連載で、日本における森林美について、(その1)で「京都北山杉」、(その2)で「天然の木曽ヒノキに啓発された千葉県山武林業」、(その3)で「山形県の風景としての金山杉」、そして今回の(その4)で東北や北海道の「天然林の美」についてとりあげました。

「日本における森林美」は、京都北山杉のような人工林の極致から北海道の天然林まで、包括的な多様性に特徴があるのではないかと考えられます。

日本人の森林に対する美意識は、「盆地のような身近な空間」では自然の中から見出した人工美を追求し、「乾燥地した平地」においては二段林施業という合自然的技術を工夫し、「気候の厳しい北方の地」においては天然の美を尊重するという、自然の恵みを活かし寄り添う志向を実現してきたといえると考えられます。

これは、森林施業技術の上からも、極めて合理的であり、「森林美」の観点が「森づくり」を成功させる一つの鍵となっていることの証左といえます。

ドイツ林学における「森林美」を越えるものが「日本の森林美」には伏在している可能性もあると考えます。
(つづく)

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写真は、数年前、山形県金山町を訪れた際、地元岸家の若き当主である岸三郎兵衛氏に、同氏が主宰される(財)カムロファーム倶楽部に案内していただいたときの写真です。

岸氏は、広大な金山町の森林面積の約1割を占める森林所有者であり、高蓄積林分をはじめ金山林業地の核としての森林を代々受けついでこられました。

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「森づくり」で大切なこと(6) 〜 「日本の森林美(その3)」
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連載6回目です。(初回からは、左の書庫の「連載5」をご覧ください)

普遍的な「日本の森林美」を考えるとき、思い浮かぶのは、金山の森林であり、街の景観・風景・風土です。

このことは、イザベラ・バードの「日本奥地紀行」に記されていることをご存知の方も多いと思います。
明治初期、世界を旅したイギリスの女性探検家の公平な目をとおして見た、日本の風景の評価はとても印象深く感じられます。

以下、「東洋文庫」の高梨健吉氏の訳からの引用です
・・・・・・・・
今朝新庄を出てから、険しい尾根を越えて、非常に美しい風変わりな盆地に入った。ピラミッド形の丘陵が半円を描いており、その山頂まで、ピラミッド形の杉の林で覆われ、北方へ向かう通行をすべて阻止しているように見えるので、ますます奇異の感を与えた。その麓に金山の町がある。ロマンチックな雰囲気の場所である。私は、正午にはもう着いたのであるが、一日か二日ここに滞在しようと思う。
・・・・・・・・

記述は以上だけなのですが、374頁の「日本奥地紀行」で、日本の風景・風土を好ましく表現している場所は極めて限られており、強く印象に残る一節です。

金山林業は、現在もわが国の代表的な林業地のひとつですが、森林を基調とした風土が育まれているところであることを、今から130年前に、イザベラ・バードは直感的に表現したのだと思います。

金山町は、「森づくり」と「心にふれる風景や風土の美しさ」には普遍的な共通項があることを感じさせる町です。
(つづく)

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写真は、今から40年ほど前の千葉県山武林業地の写真です。
(「サンブスギ大径材」、「九十九里漁業の舟材」、「マツ・スギ2段林」)

連載5回目です。「森林美」が「森づくり」で特に重視すべき視点であることを、日本の事例について取り上げます。

19世紀の末頃、「森林美学」を提唱したドイツ人、H・ザリッシュは、森林の経済的な価値と合自然的な合理性を満たす森林は「美しい森づくり」により達成されるとし、美と技術の結合論を唱えました。

ちょうど、同じ時期、日本の千葉県山武郡において同様の考え方を実践した林業家が現れています。
アララギ派創世記の歌人であり、私設の埴谷農林学校を地元に設立した、蕨真一郎です。

山武地域では、サンブスギという林業的に優れた形質(通直・完満・艶・枝が細い・樹冠が小さい・早生)をもつスギの品種を活用した、背戸山とよばれる屋敷林(防風・防寒)と農用林(燃料・肥料・道具)の発展形態としての備蓄的林業(大径材生産)が成立していましたが、その姿は、雑然とし、放置された山もあり、「美」とはほど遠いものでした。

蕨は、木曽の森林で「良樹が共存し、所を得た樹木が自然のままに育っている美」に感動し、「経済者の個々と森林の趣とが自然一致の念慮を得た」(蕨真一郎「民間造林乃中より」)ときに確保できるとしました。

林業経営上価値ある森林を目標とし、そのための合自然的な技術の適用を考えましたが、これが山武林業における「マツとスギの二段林施業」と呼ばれる方法でした。

乾燥に強く成長が早く需要が多いマツのもとで、スギを育てるという手法は、経営的にも技術的にも合理性があり、広く北総台地に林業が広まっていきました。

この手法により、住居の裏山である背戸山林業から、台地の周縁や台地斜面にスギの美林を仕立てることが可能になりました。

「美しい森林」をつくるために、経済と自然とが一致する木の育て方をしなければならないする考えは、大正時代の木材需要の増大を背景とした活発な造林活動と符合し、北総台地へ広まりました。
そして、「山武林業」は、「サンブスギ」「大径材生産」「平地林業」「二段林施業」というキーワードで全国に知られるようになりました。

その後、「サンブスギ」という品種への偏重が、今日の非赤枯性溝腐病の異常な蔓延を招来したという、大きな問題がありますが、山武林業における森林美への想いは、いまなお山武の旧家に受け継がれています。
(続く)

※参考文献:「森に親しむ講座」資料、「山と木と日本人」筒井迪夫著(1982 朝日選書)、蕨真一郎「民間造林乃中より」、千葉県森林研究センター資料ほか

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「森づくり」で大切なこと
連載4回目です。「森林美」が「森づくり」で特に重視すべき視点であることを、日本の事例について取り上げます。

写真は、京都北山の北山杉です。

磨き丸太として、自然のスギの中から究極の「美」を見つけ出し、「美」を引き出すため、600年以上にわたって追求し続けた結果の「芸術作品」といえると思います。

「日本の森林美」の一つの形です。

以下は、川端康成の『古都』から、北山杉についての記述を抜粋したものです。
当「森に親しむ研究所」が今から12年前に、東京で発表した資料の一部です。

川端康成が「日本の森林美」を表現するとこうなるのかもしれません。
「古都」は、山口百恵が主演で、映画化もされました。

〜〜〜 川端康成『古都』より 〜〜〜

 「・・・桜はもうあかんけど、北山杉が見たいわ。高尾から近おすやろ。北山杉のまっすぐに、きれいに立ってるのをながめると、うちは心が、すうっとする。杉まで行っとくれやすか。もみじより、北山杉が見とうなったわ。」

 千重子は・・・高雄まで来れば、一人でも、北山杉の村まで行く。今は市に合併されて、北区中川北山町だが、百二、三十戸だから、村という方が、ふさわしいようだ。
 清滝川の岸に、急な山が迫って来る。やがて美しい杉林がながめられる。じつに真直ぐにそろって立った杉で、人の心こめた手入れが、一目でわかる。銘木の北山丸太は、この村でしか出来ない。

 千重子は、いくどかこの村に来て、男たちが杉丸太の皮の荒むきをしたあとで、さらに女たちが、ていねいに小むきするところや、菩提の滝の砂を、水または湯でやわらげて、丸太をみがくところも見ているので、娘たちの顔も、おぼろげに知っているように思っている。それらの加工の仕事は、道ばたや戸外で行われるからである。

 千重子は立ちどまるほどに、歩みをゆるめて、杉山を見あげたり、家々に立てならべた杉丸太を、ながめたりした。

 白杉の丸太は、太さもほぼそろい、みがかれていて美しい。
「工芸品みたいやろ。」と、千重子は言った。「数寄屋普請にも使わはるらしい。東京や九州まで出てゆくのやて・・・。」

 丸太は軒端近くに、きちんと一列に、立てならべてある。二階にも、立てならべてある。一つの家では、二階の丸太の列の前に、肌着などの干してあるのを、真砂子はものめずらしく見て、  「おうちのかた、丸太の行列の中に、住んでいやすのやな。」

 千重子はまた杉山に目をやって、「もう、枝打ちもはじまってんどっしゃろな。」
 「枝打ちって、なにえ。」
 「ええ杉にするために、いらん枝をなたで払い落とさはんの。梯子を使わはることもあるらしいけど、お猿みたいに、杉の木末から木末へ飛び移って・・・。」
 「朝のぼったら、おひる御飯まで、下へおりて来ん人もいやはるて・・・。」

真砂子も杉山を見あげた。真直ぐに立ちそろった幹が、いかにもきれいである。木末に残した葉むらも、細工もののようである。

 山はそう高くも、深くもない。山のいただきにも、ととのって立ちならぶ、杉の幹の一本一本が、見上げられるほどである。数寄屋普請に使われる杉だから、その林相も数寄屋風なながめと言えるだろうか。

 ただ、清滝川の両側の山は急で、狭く谷に落ちている。雨の量が多くて、日のさすことの少ないのが、杉丸太の銘木が育つ、一つの原因ともいう。風も自然にふせげているのだろう。強い風にあたると、新しい年輪のなかのやわらかみから、杉がまがったり、ゆがんだりするらしい。

 村の家々は、山のすそ、川の岸に、まあ一列にならんでいるだけのようだ。
 丸太をみがいている家があった。水にひたした丸太をあげて、菩提の砂で、女たちがていねいにみがいている。樺色の粘土のように見える砂で、菩提の滝の下から取ってくるのだそうである。

  ・・・女たちはじっさい、せっせと手を動かしていた。五、六寸の丸太だから、柱などに使うのだろうか。
 みがきあげたのを、水洗いして乾かす。そして、紙を巻いたり、あるいはわらでつつんで、出荷するのだという。

 清滝川の石原まで、杉の植わっているところもあった。
 「きれいな杉木立が好きで、たまに来ますのやけど、杉山のなかにはいったんは、はじめてやわ。」と、千重子はあたりをながめた。ほとんどおなじ太さの杉の群れが、真直ぐに立って、二人を囲んでいる。

 「人間のつくった杉どすもの。」と、苗子は言った。
 「これで、四十年ぐらいどっしゃろ。もう、切られて、柱かなんかにされてしまうのどす。そのままにしといたら、千年も、太って、のびるのやおへんやろか。・・・まあ、切花をつくっているようなもんどっしゃろ・・・。」
  
 じつに真直ぐな幹の木末に、少し円く残した杉葉を、千恵子は、「冬の花」と思ふと、ほんとうに冬の花である。
 
 たいていの家は、軒端と二階とに、皮をむき、洗いみがきあげた、杉丸太を、いちれつにならべて、ほしている。その白い丸太を、きちょうめんに、根もとをととのえて、ならべ立てている。
 それだけでも、美しい。どのような壁よりも、美しいかもしれない。

(続く)

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先週の金曜日、千葉県森林研究センターで行われた「里山公開講座」と「試験研究成果発表会」に参加しました。
写真は、久しぶりに訪れた森林研究センター内の森林の様子です。

数年前まで、林業試験場という名称であったのですが、全国の公共研究機関で「林業」の名称が消えて、「森林」という名称に変わりました。大学も同じです。

かつて、今より多数の研究者を擁し、予算も多かった林業試験場時代の同じ森林は、放置されヤブ状態の場所が多かったのですが、今は、写真のように、すっきりと手入れされた里山の様相を呈しています。

人の目線の見通しが良くなるように、また、広葉樹と針葉樹が混ざり合った森のイメージ、樹林の向こう側に沼沢地の景色が見られる、風通しのよい森づくりなど、十分とはいえないまでも、研究の一環として意図的に里山としての森林整備が始められていました。(写真)

「森づくり」で大切なこと、連載3回目です。
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「森づくり」で大切なこと(3)・・・「森林美」の話
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18世紀のドイツは、牧場・農地の開発で森林と国土の荒廃が最も進み、これを復旧することが緊急の課題でした。
「自然は常に正しい。もし誤るとすれば、それは人間が間違えたからである。」というゲーテの思想に感化されたハインリッヒ・コッタは、「森林ロマン主義」と呼ばれる当時を代表する林学者でした。
そして、「森づくりは半ば科学、半ば芸術である」との森林観を繰り返し唱え、自然の摂理と調和した森林の管理・経営論を具体化しました。

コッタのいう「芸術」とは、「自然の摂理に即したとき美が生まれる」ということでした。

コッタの考えを展開させ、「森林美」の概念を森づくりの基礎として、「森林美学」の学問領域を創設したのは、ハインリッヒ・ザリッシュでした。「技術合理の森林は最高に美しい」、「美しい森林はもっとも利用価値の高い森林」としました。
ここでの、「技術合理」とは自然との調和を前提としており、また、「利用価値」とは環境の保全も含む様々な森林の役割のことです。

ザリッシュは、森林経営から都市近郊の美しい森林まで対象とし、経済的利益と美の調和を主張しました。
ヨーロッパの公園的な森林の美しい風景は、150年前からの、このような「森林美学」の思想の裏づけがあったことによるのだと思います。

そして、「森林美」は、日本のおいても、既に13世紀に始まっている京都嵐山の風致林施業の例があるように日本における美意識と一体の、多くの普遍性をもつものとしても検証できると考えられます。
引き続き、「日本における森林美」について話題としていきます。(続く)


※ 今回掲載の内容は、筒井迪夫東京大学名誉教授の研究業績をもとにしてます。

※ 「林業」から「森林」への系譜については、左上の書庫:連載2「近代日本林政の系譜」(11回連載のその10)にくわしくわかりやすく連載したつもりです。終わりに近づくにつれて力が入ってしまい、専門家向けの文章になってしまったところがありますが、折に触れて、再度分かりやすく話題にしたいと思います。

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