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今日は日曜日、これからおそらく4月まで切れ目なく続く、忙しい日々に備え、ユックリ過ごしています。
当ブログの書庫に、新たに「千葉県山武林業」をつくりました。
「山武林業再々考」を連載すると宣言して、ずいぶん日にちがたちました。
今日は、連載の2回目です。例によって、固くて長い話題で恐縮です。
再び、「森林美学」と蕨真(本名:蕨真一郎)についてご紹介します。
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蕨真
1876(明治9)〜1922(大正11)
歌人・山林家
文人としての審美的な観点から木曽の美林に感動し、故郷の北総の地にも美しい山をつくることに情熱を傾けた。
森林美は「経済者の心と森林の趣きとが自然一致の念慮を得た」(民間造林乃中より:蕨真一郎著 大正9年刊)ときに確保できるとした。
「美」と「技術」の結合論は、同じ頃、ドイツにおいて荒廃していた森林の復旧のため「森林美学」を創設したハインリッヒ・ザリッシュの、”技術的に合理的な林業の中に「森林美」がある”との主張に通じていることは、特筆に値するとされている。
蕨真は、マツとスギの「二段林、複層林施業」と呼ばれる技術を山武に定着させたが、その後、この技術は北総地域一帯に広まり、大正時代の千葉県において著しく造林が進み、スギの品種名サンブスギとともに、千葉県山武林業の名は全国に広まった。
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先日の掲載のブログで、2月19日の林野庁プレスリリース「美しい森林づくり推進運動」に関連して、「日本の森林美」の概念の幅広さについてふれましたが、このことは、当ブログ、昨年3月15日に「森づくりで大切なこと」(7)に掲載しています。
やや難解な文章で恐縮ですが、当時のドイツと日本の北海道での森林美学についての、当森に親しむ研究所のコメントをまとめています。
以下、再掲です。
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「森づくりで大切なこと(7)〜日本の森林美(その4)」
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写真は、今から88年前の1911年(大正7年)に出版された、「森林美学」(新島善直・村山醸造)の表紙です。こんな美しい教科書を使っていた大正時代の北大林学科の学生は幸せだと思います。
さて、のちに北海道林業試験場長であり、東北帝大と北海道帝国大学初代の林学教授でもあった新島善直は1905年に、ドイツに留学しています。
その年、ドイツ山林大会において、H・ザリッシュが提唱する「森林美学」が賛否の議論を経てドイツ林学において、人工林造成の範疇の中に取り入れられることが決定されています。
ザリッシュが、人工林造成に適用した「森林美学」に対して、新島善直とその学生である村山醸造が著した、多くの写真を交えた700ページに及ぶこの豪華本「森林美学」では、ザリッシュの影響を受けながらも、「天然林の美」を論じ、「風景の構成要素としての森林美」を重要視し、さらに、「日本の森林美を素材」として論じているところに特徴があります。
今回の連載で、日本における森林美について、(その1)で「京都北山杉」、(その2)で「天然の木曽ヒノキに啓発された千葉県山武林業」、(その3)で「山形県の風景としての金山杉」、そして今回の(その4)で東北や北海道の「天然林の美」についてとりあげました。
「日本における森林美」は、京都北山杉のような人工林の極致から北海道の天然林まで、包括的な多様性に特徴があるのではないかと考えられます。
日本人の森林に対する美意識は、「肥沃でなだらかな斜面など身近な空間」おいて想いを込めて植栽し丹精込めた森林に人工美を追求し、「乾燥地した平地」においては二段林施業という合自然的技術を工夫し、「気候の厳しい北方の地」においては天然の美を尊重するという、自然の恵みを活かし寄り添う志向を実現してきたといえると考えられます。
これは、森林施業技術の上からも、極めて合理的であり、「森林美」の観点が「森づくり」を成功させる一つの鍵となっていることの証左といえます。
ドイツ林学における「森林美」を越えるものが「日本の森林美」には伏在している可能性もあると考えます。
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