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鎌倉より心を込めて

数学的思考?の必要性

 損傷の分析と治療法の構築は「論理的」であるべきで、それは「数学的思考?」の結果と言っても良いかもしれない。
 正しく分析できない者に「論理的解釈」はできないし、「論理的解釈」ができなければ治療法の構築もできない。
 四肢外傷治療には、この「数学的思考能力」と、、、それに加えて「情緒的能力」が必要であるが、、、「論理的思考能力」がなければ全ては始まらない。
 そして、この能力は「書き言葉(文章)」によって高められる。
 「幾度」ものやり取りに耐えられる「文章」を作成することができること、それが「すぐれた整形外科医になる資格である」と、私は「ある医師」に教わったが、今になって、その正しさを再認識している。
 しかし残念なことに、「幾度もの議論」に耐えられる文章を書くことのできる医師は多くはない。
 
 
 

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 「普通」の人間の時間や能力、気力には限りがあります。
 その限りある「普通」の人間が何かをやり遂げようとした場合に必要なことは何だと思いますか?
 私にとってのそれは、目的と関係の薄い事柄をできるだけ捨て去ることなのです。
 おそらくはそれにより、社会的な軋轢が生まれるかもしれません。しかし、何かを成し遂げるためには、「社会的義務」を放棄することもあり得ると考えています。
 これは、「普通」の人間が何かを成し遂げるためのやむをえない方法ですが、残念ながら悲惨な末路が待っているかもしれません。

 


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JSETSの憂鬱

 第4回JSETS(シンポジウム)が無事終了しました。JSETS(セミナー)が計5回開催されていますから、これで9回目ということになります。
 それにしても、初期の頃の症例提示や討論とは隔世の感があります。日本における、というかJSETS参加者における治療レベルの向上は目覚ましいの一言です。
 問題は、参加していない人、そして私の書籍(重度四肢外傷の標準治療)を読んでいない人です。
 多くの患者が非JSETSメンバー? の病院に運ばれ、残念な経過をたどっています。しかし、彼らの行為をやり玉にあげることはできません。気づいて欲しいと願うばかりです。
 今後、全国各地でJSETS Basicと称する教育活動を行っていきたいと思いますが、どんなに開催しても、参加してくれなければどうにもなりません。
 これが、JSETSの憂鬱です。

 

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彼らは長い間そこで生きている
そこでの「決まりごと」は形骸化し、なぜそうなったかの理由もわからない
途中からやってきた人間には「違和感」が満載で、真っ当な変更を求めたくなる
しかし、彼らは、それを考える前に「やらない理由を無意識に探している」
「生存」への危機感は薄れ、ただただ飯を喰らい、糞を垂れる日々に没する
「同じ効果なら変えるが良い」
そんな団体でなければ、生存することは能わない



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Fix and Flapへの王道

Fix and Flap」をする人、しようとする人は王道を行ってほしいと思います。
いや、王道を行かなければいけません。
「やってみよう」くらいの心持ちでは、絶対に成就することはありません。
相手は生身の人間です。
 
意を決した医師は、
「切断指再接合術」をこれでもかと行い、必ず成功させること、
指尖部損傷をはじめとして手の外傷を熱心に扱い、
そして皮弁術なるもの、atraumatic surgeryなるものを手中に収めること
重度四肢外傷治療の哲学を体に染み込ませること
もちろん、AO fracture methodsが体現されていること
 
必ず王道を行かなければなりません
王道を行かない医師(術者)は、いかなる手段を用いても矯正されなければなりません。

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 624日、元市立宇和島病院整形外科の藤井裕子先生のご招待にあずかり 愛媛骨折治療会に参加させていただきました。
 症例検討会では熱心な討論が行われていましたが、もう少し討論時間が長いと、核心に迫ることができるのが少しだけ残念でした。今後は「5分プレゼン、10分討論にしよう」と夜の懇親会でも話題になっていましたが、賛成です。
 そうすると、最近おとなしくしている?と嘯いていた「白形先生」の発言も十分に聞くことができ、参加者に益するところ大ですね。(白先生、老けるにはまだ早いですぜ)
 特別講演では小生の本のダイジェスト版と称して「重症四肢外傷のJapan strategy」を話させていただきました。講演に先立ち、藤井先生から「(小生の本は)普通のテキストではなく、著者の思いが込められている」と身に余るお言葉をいただき、感激いたしました。また幾人かの先生には本をご購入いただき、ちゃっかりサインもさせていただきました。
 さて、夜の懇親会では「愛媛の骨折治療体制や教育」についてお話をお聞きかせいただきました。他の地域と同様に、整形外科外傷の手術はなかなか入れてもらえないのですね。先生たちが「必要も無いのに頭を下げる姿」を想像すると、胸が締め付けられる思いがしました。
 さて、愛媛には巨人「白形先生」や、女傑?「藤井先生」など、AOFacultyがおられますが、まだAO philosophyは広くは浸透していないようです。今後幾度となくAO methodsに則った勉強会の開催が必要で、Depuy Synthes Trauma Seminarの全国展開がやはり望まれていると、思いを強くして鎌倉へ帰ってきました。
 
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やはり、これで最後か

 アーサー・ヘイリーに「ストロング・メデイスン」という製薬会社が舞台の小説があります。大学の教養部時代に読んだのでほとんど覚えていませんが、気になって記憶に残っている場面があります。
 この本のテーマは「医療の倫理と利潤の追求や個人の欲望との葛藤」なのですが、そのことではありません。私が気になっていた場面は、主人公が「会社や業界で上り詰めるには、上の人に引き上げてもらうしかない」と考え行動している件(くだり)です。
 それは「敷かれたレールに乗る」ことだと言い換えても良いかもしれません。目的を遂げるにはあらかじめ敷かれたレールに乗るのが一番効率が良いのはその通りであり、実際日本で活躍しているほとんどの医師はこのレールに乗っています。
 すでに確立されている分野であれば、もちろんレールに乗らない限りは上には行けないでしょう。
 しかし、「外傷整形外科の分野」は混沌としていたのです(いるのです)。
 私は、たまたま、この領域に迷い込んだのですが、レールがないからこその黎明期に、生きている興奮を感じたのは事実です。
 私は思い通りにならない体制に背を向けて、自分の境遇に合致したもの(これもまた別の意味で体制なのですが)を利用して目的を遂げようと考えました。
 私は今まで、様々なところで色々な人に対して「今の病院をやめて人を雇用できる別の施設を作ったら!?」とアジってきましたが、それも10年が過ぎ、もうそれは無理なのだと諦めています。
 できることならば、自分が「札幌」「鎌倉」、そしてもう一施設と思うのですが、、、それもおそらくは実現化しないでしょう。
 最後は、「鎌倉」を昇華させて終わりにするしかないのです。

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SOTC Elbow

 2017年6月10日、いつものJ&J(西神田)のレクチャールームにて、「SOTC Elbow」を開催しました。この会は私が鎌倉に来てから始めたのですが、もう10数回になるでしょうか? いろいろな形式でやってきましたが、紆余曲折して今は、「テーマ」に沿った症例を有志の先生に提示していただき、特別講演の先生を中心に議論するという形に落ち着きました。1回1回が最初で最後であるとの思いを込め、会にナンバーづけはせずに、「SOTC Elbow」や「SOTC foot」などのサブタイトルをつけた名称にしました。
 今回の「SOTC Elbow」は「complex elbow injury」がテーマであり、当代一の識者である今谷潤也先生を中心に、じっくりと勉強させていただきました。掘り下げれば掘り下げるほど深みのある領域で、参加した先生方はとても有意義な時間を過ごしたことでしょう。
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 さて、次回は10月7日、盟友の正田悦郎先生をお呼びして「SOTC Hip:大腿骨近位部骨折の今」を開催したいと思います。この分野はすでにたくさんのセミナーがあり、あえて開催するに足る差別化を行わなくてはなんりません。そこで、「東戸塚の山口正哉先生」にコーデイネイトをお願いし、独自の切り口を持った会にする予定です。お楽しみに!

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 63日、岐阜での「運動器外傷治療懇話会」に参加させていただきました。この会は岐阜大学整形外科学講座が主体となって開催しているものであり、関連病院からの演題発表と討論が活発でした。みなさん熱心であり、私自身大変勉強になりました。
 こういった大学医局が主体となってやると参加者が多く、日本では「善い」のかもしれないとも思いました。
 今でも、全国各地の大きな病院に「外傷整形外科」ができることが必要だと考えています。そして、それらが中心となり「研究会」を主催するのが、診療レベル向上と次世代育成に最も効果的だとも思っています。
 しかし、日本の多くの地域で、それが無理なのであれば、大学医局が先導する「次善のあり方」もありうると考えています。
 とにかく何もないのが、最もいけないのです。

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 外傷学会2日目にパネルデイスカッション「本邦における外傷センターの整備」があった。
 このパネルの演者は全員「救急医」か「外科医」であり、討論主題は多発外傷・体幹外傷であった。それは勿論構わないことだ。救命外傷治療は「外傷センター」の最大の使命なのだから。
 しかし、「機能予後」に何の配慮もしていないことは残念であった。
 せめて「今回のテーマは、避けられた外傷死亡の軽減を目的としたものであり機能ではない」と宣言して欲しかった。
 その宣言がなかったことは残念なことだったが、それどころか逆に「外傷センターの機能は外傷死亡と後遺障害の両方の軽減である」と述べていた演者が複数(いや半分くらい)いながら、機能に何ら言及していなかったことは残念を通り越していた。
 昨年のシンポジウムのまとめ報告をどう認識しているのだろうか?
 このような「外傷センター」に重度四肢外傷を治療させては絶対にならない。

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