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「彼氏、できたよ」
ふわふわした髪が頬にかかって詩織さんは少しだけ瞬きをした。
可愛い人。
綺麗な人。
やわらかそうで、温かい人。
きっと触れたら雪みたいに溶けてしまうんじゃないだろうか。
いつもそう思ってみていた。
彼女は返事を待っているのかまっすぐにこちらを見つめている。
「へえ」
やっと口を開くことができた。
「よかったですね」
嬉しそうに再び笑顔を向けてきた詩織さんも閉じていた口を開く。
「うん、祥くんのおかげかな」
「は?」
「だって応援してくれてたでしょう」
「俺が?」
「うん。いつもね、幸せになってくださいって言ってくれてたでしょう」
ああ、あれはそういう意味で言ったんじゃない。
この人はとにかく幸せにならなきゃいけない人だ、と
いつも笑っていてほしい、と
そう思ったからだ。
「誰が彼氏つくって幸せになれって言ったんですか?」
「え、そういう意味じゃなかったの?」
「違いますよ。それに」
「それに?」
俺がいるじゃないですか、と言いかけてやめた。
自分はまだ詩織さんにとっては子供だということくらい分かってる。
だけど
だけど俺だってちゃんとした男じゃないか。
「なんで」
「ど、うしたの、祥くん?」
震えが止まらない。
今、自分が何をしようとしているのか分からない。
ただ意識は別のところにあって自分の体が勝手に動いていることだけ分かる。
いや、違う。
今感情が暴走を始めようとしてるんだ。
そう気づいたときには遅かった。
いくら中学生といえども体格はもう大人並みの自分の力は
詩織さんを簡単に押し倒してしまう。
「や、やめて。祥くん、ちょっと、ねえ?」
上にかぶさったまま唇を強引に押し付ける。
さっきまで見ているだけだった桃色が触れた瞬間にぐにゃりと冷たい感触が伝わってくる。
友達から聞いたいやらしい知識を頭中でぐるぐるとかき回しながら
無我夢中で唇に吸い付いた。
駄目だ。
傷つけちゃ駄目だ。
理性が一瞬戻ってきてはまた遠のく。
これ以上は、
そう思ったときふと彼女から体が離れた。
「まって、祥くん」
詩織さんの手が必死に俺を押しのけてから、彼女の目元が潤んでいるのが分かって
さらに追いかける気も失せてしまった。
「あのね?祥くん、こういうことはちゃんと好きな子と、ね?」
まだ息を荒くしたまま諭すようにいう詩織さんに苛立った。
「ちがう。詩織さんは何も分かってねーよ。俺がどれだけ」
俺がどれだけ
優しい詩織さんをどれだけ
どれだけ想ってるか。
そばにいたいと、どれだけ願っているか。
「な、んで俺じゃあねえんだよっ!」
「祥くん!」
奥の部屋を飛び出して店のドアを勢いよく閉めた。
俺じゃあ駄目なんだって
そんなことなんとなく
分かってたよ。
分かってた。
知ってたよ。
繰り返し繰り返し想っても考えても
結局は同じ結論にたどり着いて
それでも詩織さんの影に写る男に負けたくなかった。
逃げたって駄目だ。
でも今は戻れない。
傷つけて、しまった。
ぶつけて、しまった。
もう、戻れない。
一番救ってくれた人。
すごく大切だった場所。
だけど逃げてしまう。
詩織さんからじゃない。
醜くて弱い自分から。
俺はその日から店には一切近寄らなくなった。
皆様、ここまでLove Storyを読んでいただき、本当にありがとうございます。
Love StoryはGateau chocolatに続きます。
読んでいただけますように、そして皆様の中にあたたかくほっこりと残りますように。
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Love Story
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今夜も結局店に来てしまった。
男に捨てられ今も泥酔してしまっているであろうあの女と
顔を合わせたくなかった。
ドアを開けるとすぐに詩織さんが駆け寄ってきた。
「祥くん、来てくれたの。今日は今野さんもいなくて
忙しくなりそうだから店に出てもらえたら嬉しいな」
今野さんとはおそらく新しく入ったバイトの人だろう。
コクリと頷いたまま顔の傷を隠すために下を向いていた。
彼女はそのことが気になったようだ。
「祥くん、どうしたの」
まさか母親と掴み合いをしたなんて言えるわけない。
「祥くん」
「なんでもないです」
「ねぇ」
「るっさいなぁ!なんでもないって言ってるだろっ」
ハッとして彼女を見ると今にも泣きそうな顔が目の前にあった。
「や、すみません。俺、」
「いいの、いいの。気にしないで」
ふいと向けられた小さな背を見つめて溜め息をつく。
最近自分の意志がうまく伝えられないことに苛立ってしまうことが
多くなったような気がする。
赤ん坊であればそういうことは泣いて伝えようとするのだろうが
人間は成長とともに言葉というものを覚え、言葉で意志の疎通をはかるということを
理解し始める。
それに対して、周囲の人間は初めこそは気を使い
こちらの意中を探ろうと泣き声に耳を傾けるが、
言葉を発するようになると、言葉でしかこちらの意志を理解しないようになる。
「言葉でいわなきゃ分からないでしょう」
なんどそう諭されてきただろうか。
未だに言葉で感情を説明するのは苦手だ。
だからつい、きつい言い方になってしまう。
相手に伝えたい気持ちは胸中にジリジリと残るばかりだ。
「祥くん」
店の片付けを終えてから奥の部屋に呼ばれた。
黙って部屋に入ると白い手に消毒液が握られていた。
「これ、使って」
沁みるかもしれないけど。
小さく呟いた彼女は俯いたままだった。
「男の子はよく怪我をするものなんでしょう?
だからいつでも持ってたら便利だと思う」
ありがとうございます、と頭を下げてそれを受け取ると
ようやくこちらを向いた詩織さんはいつもより一層やわらかな笑みを浮かべていた。
「なんか詩織さん、最近いいことでもあったんですか」
なんでこんなことを訊いてしまったのか
後悔したってもう遅い。
「うん。あった」
彼女の頬が紅潮しているのを見つめる。
嫌な予感。
その日は夜だというのにひどく蒸し暑くて店内はまだ換気しておらず
タバコの煙が淡い匂いを残し漂っていた。
少しだけ間が空いて桃色の唇が開く。
「彼氏、できたよ」
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家に帰るといやに静まり返っていた。
夕日が紅くて部屋中が血に染まっているようだった。
「祥平、帰ってきたの」
掠れたこえが響く。
「お前っ」
俺はそいつを睨んでから叫ぶ。
「酒ばっか飲んでんじゃねぇよ!」
手元の酒瓶を引っ手繰って床に叩きつけた。
「なんてことすんのよ!」
「うるせぇっ!」
掴みかかると向こうも負けじと殴りかかってきた。
酔っているために手加減なしだ。
こちらも力を少しでも抜くと痛い目に合う。
「あんたなんかに私の気持ちが分かってたまるかってんのよ!」
「あぁ、分かりたくもねぇよ」
「義務教育のガキのくせに何ができるってのよ!」
「男に捨てられるだけのてめぇよりマシなんだよっ」
「母親にそんな言い方するな!」
顔を合わすといつもこうだ。
喧嘩ばかりでまともな家族らしいことは一度もしたことがない。
「あんたなんか産むんじゃなかった」
そう言わさしてしまうことに胸が痛まないわけじゃない。
だけどこの人は酒とか男とかそういうものに頼らないと生きていけない人間で
そういう中途半端な弱さが俺はいつも癪に障る。
だから優しく接してやろうとか、そういうことを思うこともしたくない。
「母さん、今日死んでやるからね!」
「あぁ死ねよ。そうすればお前は満足なんだろう」
涙で崩れた濃い化粧の女はそのまま部屋を飛び出していった。
俺はリビングの明かりを点けて窓を開けた。
アルコールの臭いが立ち込めていて
何度か吐きそうになりながら部屋を片付けた。
夕日の色は淡くなる一方で暗闇がその後ろから迫っていた。
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義之と美月が楽しそうに話しながら歩いている後ろを |
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「・・・だ。皆、各自でその演習は終わらせておくように。以上」 |



