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好きなものを頼んでいいよ、という陽一の言葉に甘えてハヤシソースのかかったオムライスに小さなグラタンと
サラダがついたランチセットを頼んだ。
それでも十分な量だったが、「ここはスープが絶品だから」という陽一のすすめで前菜にスープまで頼んで
しまい、美咲は少々後悔していた。
あまり食べてしまうと、この後の業務に差し支える。
「陽一さんは食べないんですか」
「あ、そうだね。いつもは結構食べるんだけどね。なんでかな、今日は食欲がなくて」
「じゃあ、半分ずつにしませんか」
「半分?」
「はい。良かったら完食しちゃうの、手伝ってください。実は全部食べれるかあんまり自信なくて」
「そうか。そうだね」
「自分で頼んどいてなんですけど」
「いや、女の子ってそういうの好きだよね。いろんな種類のものを少しずつみたいな」
「そうですね。ケーキバイキングとかのケーキも小さかったりすると嬉しいですもん」
「へえ、美咲ちゃんってケーキバイキングとか行くの?細いからそういうのあんまり好きじゃないのかと思ってた」
「大好きですよ。でも、ケーキとか食べた日は夜ご飯抜いたりするんです。太るから」
「美咲ちゃんは太ってないね。いろいろ気をつけてるんだね」
目を細めてやわらかく微笑む男が、疲れきった表情で喫煙する姿から一転してとても若く見えた。
「陽一さんっておいくつなんですか?中年としか教えてもらってないからお会いした時、思ってたよりお若くて
びっくりしました。もっとこう、おじさんを想像してたから」
「いや、もう40手前だよ。美咲ちゃんからみれば十分おじさんだよ」
ははっと男が笑うとまた目尻に皺が浮かんだ。
馴染みやすくてとても温かい印象を与えるその皺を美咲はまたじっと見つめた。
「美咲ちゃんはなんでこんなおじさんと会ってくれる気になったの?」
別に理由はない。
ただそういう行為で金銭が得ることができるなら、特別受け付けられないような人物を除いては、大抵の男には
会ってきた。
しかし美咲は正直にそうは答えたくなかった。
「いい人だなと思ったんです」
「いい人?」
「はい」
「そっか」
男はそれ以上は聞こうとせず、再びタバコの箱を取り出そうと胸ポケットに手をかける。
しかしそれを遮るようなタイミングで店長の手がテーブルの上に伸びてきた。
「こちらキノコのスープです。ごゆっくりどうぞ」
男は先ほどと同じように目を細めて美咲を見つめる。
「どうぞ召し上がれ」
向かい側の男の手の中にはタバコの箱はない。
「陽一さんもスープ食べますか」
「僕はキノコのスープってあんまり好きじゃないんだ。気にしないで、どうぞ召し上がれ」
「はい、いただきます」
気を使ってくれたのか、タバコの煙はもう流れてこなかった。
しかし、喫煙を中止してしまった男はついすることがなくなってしまったのか、美咲をじっと見つめている。
少し気まずくはあったが、緊張しながらもスプーンを手にとった。
とろんとした液体を銀色の金属ですくい上げると、ころんとした鶏肉が姿を見せた。
それを口に含みゆっくり咀嚼するとじゅわりと鶏肉に溶け込んでいたスープが鶏肉の風味と共に口に広がる。
「美味しい」
「うん。ここのスープは本当に美味しいんだ」
男はクセなのか、嬉しそうに目を細めた。
その仕草にふと甘みを帯びた感情が湧き出したのを美咲は感じてしまった。
後に運ばれてきたランチセットの料理もどれもとても美味しいものだった。
そして誰かと分け合って食べる時間が美咲にはとても新鮮であった。
二人が店を出た時にはすでに午後5時を回っていた。
だいぶ話し込んでしまった、と美咲は思う。
いつもなら行為を済ませて約束の金額を受け取り帰る時刻だった。
なのに陽一はまだホテルに行きたいという気配さえ見せない。
いつもと違う展開に美咲は戸惑いを感じ始めていた。
「あの、これからどうしますか」
「うーん、特に決めてないんだよなあ。美咲ちゃんは?どこか行きたいとこある?」
「えっと、いえ、私も特には」
「そうだよな。こんなおじさんとどっかいっても楽しくないかな」
美咲はその言葉を聞いて焦ってしまっていた。
「いえ!そんなことないです。楽しいです」
「はは、ありがとう。じゃあとりあえず僕の行きたいとこでもいいかな」
美咲はこくんと頷いて男の腕に手をかけた。
そのままゆっくりと歩き出した二人はまるで、年の離れた兄妹のように自然に寄り添っていた。
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冬の音
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どこからかひらりと落ちてきた枯葉が薄茶色のブーツの先にかさかさと乾いた音を立ててぶつかった。
駅のホームのベンチに腰掛けてゆっくりと息を吐く。
白く染まった空気がふんわりと空に溶けていく。
風も吹かないひんやりとした白っぽい空の下で私は昨夜の温かな出来事を思い出していた。
「美咲ちゃんって寒がりなの」
陽一と名乗ったその男は目の横に複数の皺を寄せて笑った。
「なんでですか」
「いや、少し震えてるみたいだから。どこか暖かいとこに入ろうか」
緊張していた。
こんなやわらかい雰囲気の男は初めてだ。
いつもいやらしい目でじっと頭からつま先まで見つめられ品定めをされることに慣れていたから
こうして優しく扱われると無性にくすぐったく感じてしまう。
「えっと、陽一さんはいつもこんな風にいろんな女性と会ってるんですか」
「いつもなんてそんな。正直ね、女性に手を握ってもらうなんて妻を失ってからもう何年ぶりか」
気のせいか、男の手も少しばかり震えているような気がした。
暖かいところと言うからホテルだろうと腹をくくっていたが、男が美咲の手を引いて入った先は喫茶店だった。
全体的に深い緑色で施された店内はぼんやりと薄暗いライトが5つあるテーブルの上に一つずつ浮かんで
いた。
長方形の木目のテーブルの脇には深い緑色をした革張りのソファがあり、向かい側の席はソファと同じ色の
肘掛け椅子が二つ並んでいた。
何も言わずにさっさと先にソファに腰をかけた男に続き、美咲は向かい側の椅子にぎこちなく座った。
同時に店長がお水とメニューをそっとテーブルに置いた。
細長いグラスはきらきら光るガラス底の装飾がとても綺麗だった。
「いつものコーヒーをお持ちいたしますね」
店長は低くやわらかい声で男にそう告げると静かに店の奥に消えていった。
「ここ、よく来てるんですか」
「そうだね。落ち着くからね」
男はぼそりと呟くようにそう答えると、骨の角張った手をポケットに差し込み青いラインの入ったタバコの箱を
取り出した。
「吸ってもいいかな。コーヒーの匂いがするとつい、我慢できなくなるんだ」
男は困ったように微笑んだ。
美咲は男の目尻にできる皺をじっとみていた。
美咲の返事が返ってくるのを待つ様子もなくタバコにライターを当てるとカチカチと二回ほど音がして
ぼわりとタバコの先に赤色が灯る。
少し眉間を寄せながら男がほぅっと白く濁った煙を吐くとタバコの独特の匂いが立ちこめる。
男が3度目の煙を吐き出した頃、店長がコーヒーを片手に戻ってきた。
テーブルに置かれたコーヒーはふわふわと漂う煙に巻き込まれてぼんやりと霞んでいた。
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