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家庭の食卓や学校の給食・学食、レストランのメニューやコンビニのお弁当、会社の社員食堂など、私達日本人は様々な場所で形で、毎日の食生活を営んでいる。サラリーマンや児童・生徒など多くの人々は、朝晩を家庭で、昼食を職場や学校でとるのが標準的とされ、時に外食や出前の注文で済ませることもある。寮生活を送る私も、朝晩は寮食が用意されるのでそれを頂き、昼食は登校時や外出先ではその近辺で、寮内にいる時はスーパーやコンビニ、外食チェーン店などを利用するのが基本だ。一人暮らしの学生にとり大きな悩みの種となる食材調達・調理の作業が、寮食によって省かれているのは非常に有り難い限りである。 健常な生活を送っていれば、基本的に食事は1日3回頂くものだが、それは生物としての人間のエネルギー摂取の役割を果たすのみならず、多様な社会的側面を含んだ習慣的機能をも果たしている。家庭では勿論のこと、職場や学校など集団で過ごす場所では、共同で同一の食事を頂くという行為が、共同体意識の構築に大きな役割を担っている。食事中の会話に花が咲いて人間関係を進展させることもあるし、特に職場では食事の接待がある種の儀礼として、ごく日常的に行われている。学校では特に幼稚園(保育園)から中学校までは、基本的にグループ単位で給食を頂くし、高校以上になると親しい友人や部活の仲間、或いはカップルなどと、昼食を摂ることが一般的になる。何れもその母集団への帰属意識を再確認させられる行動と言えるだろう。 また宗教的な面でも、食事の意義は極めて大きい。中でもイスラム教では断食が厳格な戒律として存在しており、豚肉摂取の厳禁はよく知られたところであるが、ヒジュラ暦の9月「ラマダン」には、日中の飲食全般が一切禁じられることで有名である。「神の与えた試練に耐える」意味合いもあるらしい。またユダヤ教でも「カシュルート」と呼ばれる適正食品規定があり、その中でタブーとされているものには、草食動物全般・ラクダ・ウサギ・豚・エビ・タコ・イカ・貝などがある。肉食に関しては、仏教やヒンドゥー教などで主に禁じられており、キリスト教でもイエスの受難日である金曜日は、肉食を避け魚を食する習慣が残っているという。食品に対する忌避意識は国や地方の文化、宗教思想的背景によって、多様な変化がある。同じ東アジアに属する中国や韓国では今なお、犬や猫を食べる習慣が珍しくないが、現代の日本人には受け入れ難いものであることなどだ。全世界共通で言えることは、高等動物になるほど禁忌が強い傾向があることと、飲血や人肉摂取(カニバリズム)に対する強い嫌悪感があることだろう。 現代の日本において人々の食生活は概ね安定しており、食糧難や餓死者の報告は全くの皆無に等しい。戦後復興期の食生活の欧米化によって、日本人の体格は格段に大型化してきた。お金があれば大体の料理を食することが出来る上に、外食・中食産業の活性化によって調理の手間が大幅に省略され、手軽に美味しい料理を頂くことが出来るようになった。食事の面に関しては、大変恵まれた環境下に置かれているのである。しかしその一方で「食」に関する課題が、近年諸方面から指摘されつつあることも忘れてはならない。政治面・国際面で言えば、食料自給率の低下問題や「地産地消」問題、更には先に取り上げた信条的意味で、肉食や捕鯨の批判問題などが主に挙げられる。健康面では高脂肪・高タンパクな欧米食の影響も関わる生活習慣病、昨今話題となったメタボリックシンドロームとの関連が問題化している。これらの問題に対しても、自論を述べたい意向はあるが、個人的危惧を抱くのは教育に関わる面、即ち「食育」である。 子どもたちの中には、朝食抜きの食生活を送る子や、塾通いや家庭事情から毎回1人で食事を摂る(個食)子、お菓子やデザートを基本食とする子が最近増加しており、心身の健全な発育を阻害しかねない「食」環境におかれている。こうした事態を受けて政府は、平成17(2005)年6月に食育基本法を制定し、食に対する心構え、栄養学や伝統的な食文化についての総合的な教育として「食育」を定め、知識教育・道徳教育・体育教育の“教育3本柱”の基礎になるものとして位置づけ、教育現場や家庭での推進を図ろうとしている。子どもの情緒や心理の安定を妨げる環境は、彼らの心身の成長に極めて重大な影響を及ぼす。食と教育は現場において不可分な関係にあることは事実であり、食事を通して社会のマナーを学ぶと共に、食品食材を通して生産者や流通関連業者、調理者に対する、更には万物を育む大自然の大いなる力への感謝の思いを見出すことが出来ると思う。 暖衣飽食の日本では、一食一品のメニューの存在がごく当り前のことに思えてしまうが、その食事は多くの人々の努力と生産、天地の恵みの末に成り立っているものである。動物の肉や魚であれば、生命の尊い犠牲があって私達に与えられるものである。日本ではその感謝の思いと、生物的価値を超えた神聖な儀式に対する礼儀を以て「いただきます」「ごちそうさまでした」と合掌する。それが自然な感情で出来る美しい心は素晴らしいもので、金銭の支払いへの対価だとか、一部の宗教の擁護といった反発が起こるのは寂しい気持ちにさせられる。人間にとっての食事とは、単に生物の生命活動を維持するための行動のみならず、複合的な社会的・心理的機能を含有した総合行事であるのである。 Crion
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教育実習に行って一番驚いたのは給食でした。今って「残さず食べなさい」って教育はほとんどしてないんですよー。私が小学校の時とか、かなり厳しく言われてたんですけど…^^;全部食べ終わるまで…って拘束するのはどうかと思いますけど、何も言わないってのも…子どもにとって「食」って重要なことではなくって、残して当然というか、食べきれないんじゃなくって、嫌いだからとかの理由で食べないようにしてるんですよね。当たり前のように各クラスで残飯が溢れていて、それに対して先生があまり咎めないのには驚きました…(*゚.゚)
2006/10/19(木) 午前 0:49
>みっちさん:コメントありがとうございます。お返事が遅れ失礼致しました。学校の実態も相当悪くなっているようですね。一食の膳が届くまでに数多くの人々の労力と動植物の犠牲がある事実を、もっと家庭や教育現場できちんと指導していく必要があると思います。マナーもなく好き勝手な食事をするのは、他の動物達と何ら変わることの無い行動だと思います。教育が多方面での総合的な人格形成の装置だと、改めて認識させられます。またお越し下さい。
2006/10/28(土) 午後 7:16
耳の痛いお話ですね〜。私、即席が多いし、昔から朝食もあまりとらないし・・・・。だから情緒不安定なのかな。少し反省。でも好き嫌いはないです。人の残したのを片付ける位ですから。専門家の方々も、最近よく「食育」についておっしゃっている様ですし、矢張り普段の生活の色々な面に、少なからず影響して来るものなのでしょうね。日本も、恵まれているがために、反って食事の不規則な人が多いのは、ちょっと皮肉なことですね。紅葉をばらまくアニメ、可愛いですね。今月はジャズ喫茶風ですかな。
2006/11/2(木) 午前 6:27 [ - ]
>六朝の風さん:コメントありがとうございます。食生活は健全な精神育成の第一歩ですからね。インスタント系の食事は栄養分の偏りを生じやすいですし、添加物の影響が大です。食品の高タンパク・高脂肪がメタボリック症候群の一因になりますし、加齢に従って若い頃の食事の影響が出て来るそうです。物資ばかりの恩恵というのも、考えさせられるものだと思います。常にその意味を自覚して生活したいですよね。今月のアバターはジャズ喫茶…ではないんですが、まぁ似たようなものとお思い下さい(笑)またお越し下さい。
2006/11/3(金) 午前 6:54