cafe&bar oldspring♪

内なる声に耳を澄ませ、勇気を持って行動せよ。

全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

長い散歩

秋晴れの一日。


朝からな〜んもしないで過ごす。窓からほのかに薫るキンモクセイの匂いとか、淹れたてのコーヒーとか、バラエティー番組とか。


昨日しゃべりすぎたから、今日はとにかくぼーっと過ごす。


午後、冒険家の植村直己の記事が載っている雑誌を読む。日本を徒歩で縦断している写真が載っていて、無性に体を動かしたくなる。


パソコンでニコニコ動画を見ながら腿をストレッチして(←わりと器用w)今日はじめて外に出る。昼間、あんなにいい天気だったというのに。


イヤホンで音楽をかけて軽めにジョグ。頭がザラついている分、いつもより長い距離を走る。7キロくらい走って小学校の校庭に入る。蛇口まで歩きながら、無為に過ごした一日の自己嫌悪と闘う。


割り切れない思いとか、辛すぎるラーメンとか、不完全燃焼したままの怒りとか、口の中のネバネバとか、雪かきみたいな仕事のこととか、友達に相談された悩みとか、バンテージのほつれとか、黙っていることと言ったほうがいいことの境界線とか・・・。



蛇口を捻って水を含む。口をすすぎ、うがいをする。

ガラガラガラガラガラガラ・・・( ゚д゚)、ペッ

ガラガラガラガラガラガラ・・・( ゚д゚)、ペッ

ガラガラガラ・・・ガラ




見上げた夜空には、秋の星座が煌めいていた。





ホント、きれい。




時々、夜空を飛行機が音もなく飛んでゆく。赤いランプがトンボみたい。



I−Podでブライアン・イーノをかけてキウイ棚のベンチに座り、しばし星空に見とれる。星ってば、実は、昼間は明るいから見えないだけでずっとそこにあり、夜になったから見えているだけなんだよねぇ。


そんな、小学生でも知っているようなことを思う。


見えていない部分は、存在しないないわけじゃないと思う。


目に見えないもののほうが大・・・星の王子さまかコレは。


ぼんやりしていると、汗で体が冷えてくる。ゆっくりと家路に着く。


芝生を焼いた煙の匂いを嗅ぎながら歩く。星空はずっと追いかけてくる。


ひんやりした空気の中でキンモクセイのにおいが強く薫ってくると、またぞろわけもなく悲しくなっちゃうのは、秋という季節のせいなのかしらん。


帰り道、ずーっと星空を眺めてみる。ずーっと、ずーっと、ずーーーっと。


深呼吸をして、「大丈夫」と言ってみる。一体何が大丈夫なのか、僕自身よくわかってないのだけれど。



あーあ。


やっぱり頭おかしいなぁと、僕は思う。
例えば。


今よりも若いころは、「成功した瞬間」とか「達成した瞬間」がうれしかった。テストが終わった、志望校に合格した、バイト代が出た、ライブで踊った、憧れの服を買った、仕事で成功した、誰かに感謝された・・・。とりわけ女の子に告白してOKされた日にゃ、昇竜拳でもできそうな感じだった。


もちろん齢を重ねたって何かをやり遂げたらうれしいことに変わりはないのだけれど、ここのところどうも違うような気がする。


歳取ったんだな、きっと笑


+ + +


例えば。


ちょっと前の読売新聞に、大きい写真付きで9年連続200本安打の大リーグ新記録を達成したイチロー選手の記事が載っていた。


彼がもし、単に「9年連続年間200本安打」という新記録達成に「向けて」野球をしていたら、今とは違った結果になったかもしれない。


ん、わかりにくい?


イチロー選手の目標は「200本打つぜベイベー!」ではなく、「ヒットを打ち続けること」が目標だったんじゃないかってこと。


新聞を読むと、彼はあくまで200本を毎日汗を流してきたことの「結果」としてとらえており、200本に至るまでの過程が「ワクワクした」というようなことを言っていたから。


人がワクワクするときには、ほとんど理由がない。だからイチロー選手は当然、ヒットを打ち続けることを時に楽しみ、時に苦しんでやっていると思う。



+ + +



してみると、能力や経験の差こそあれ、そういう意味で僕らも何がしかの可能性を秘めたイチロ〜〜〜・スぅ〜ズぅ〜キぃ〜(大リーグのアナウンサー風に発音希望)なんだろうなぁ(飛躍しすぎ!?)。


だって、誰もが何がしかの希望を持っているから、毎日泣いたり笑ったり悩んだりしてとりあえず生きているわけでしょ?


その夢や目標や思いや想いが、庶民的だろうと、世俗的だろうと、ショボかろうと、個人的だろうと、自己満足だろうと、卑下することはない。




断じて、断じて。




自分だけの幸せや楽しみなんだから、誰ともバッティングしない。人と比べてうらやんだり妬んだりする必要がないから、安心して楽しめる。



そう。



夢への道のりは、いつだって苦しくて楽しい。




だから、オレもオマエもイチロー・スズキ。


キミもアナタも、イチロー・スズキ。


あの子もこの子も、イチローズズキ。


みんながみんな、イチロー・スズキ。




かっとばせー、俺♪

アルデンテ過ぎる

ウチの弟は、休日には必ずどこかに出かけている。行き先を聞くといつも「そこらへん」という。本当に本屋やネットカフェや漫画喫茶など、「そこらへん」を毎週末ブラブラしているらしい。


その弟が夜遅くに帰ってきた。夕飯に手をつけていないので「なんか食べてきたの?」と訊くと、友達の家でスパゲティーをご馳走になったらしい。


そのスパゲティーは非常に硬く、弟はコンタクトレンズをはずしながら「アルデンテすぎるだろーって思っちゃったー^^」とのこと。



む。



正確に言うと、「アルデンテ」とは理想の茹で上がり状態を指すので、たぶん「硬すぎたよー」と言いたかったであろう弟の「アルデンテ過ぎる」という日本語は、適当ではない。


でも、もちろんそんなことは言わなかった。だって楽しそうに話してんだもん。


+ + +


「他人の間違いを敢えて訂正しない」とか「問題の本質を追求しすぎない」とか「ホドホドに考える」とか「見逃す」って、大事なことなんだなぁとこの歳になって思う。


会議などで議論が白熱しているのは結構なことだけれど、あまり問題がややこしくなってくると「そんなのどうでもいいじゃん。もう腹減ったからメシ食おうぜ〜」って思えてくる。


いや、話し合いは大事だと思うけど、ウチの弟(ミスターのんびり)や母親(ミセス適当)を見ていると、どうもそんな気がしてくるんだわ。


「なんで?」っていわれるとよくわかんないんだけど。ウチの家族の会話はほんと〜うに適当で、各々が夕飯時に今日の出来事やその日適当に見聞きしたことを思うままにしゃべっているからかな。


それにイチイチ反応してたら、体持たないしw


例えば、議論や話し合いでは、知識やボキャブラリーや、相手を説得する話し方や論点や論破なども大事なんだけど、「適度な引き際」を見つけることも大事なのかもなぁって思う。




ちなみにウチの弟が食べた「アルデンテ過ぎる」スパゲティーは、昔なつかしのナポリタンだったそうです。お腹すいてきた・・・。

駆け込み訴え

お願いがございます、お願いがございます

こんな頼み事をするのは初めて・・・、いや、2回目だったかな

まぁどっちでもええわ

あ!

すみません、言葉を慎みます

神様、お願いがございます



疑り深いこの僕に、信じる心をお与えください

あの人を信じる強さと、強い愛をください

毎分100回の不安に苛まれる僕を救ってください

いや、あの人を先に・・・いや、まず僕が救われないとあの人を救えないから・・・ええと

あれ? どっちが先だったかわかんなくなっちゃった



神様、この通りです

僕は本当に頭が悪いです

難しいことが、ほんとうに、よく分からない

気付けばわれ先にと自分のことばかり考えている、卑しい動物です



ただ、自分が幸せに向かって一歩ずつ歩くことが

あの人の幸いにもなるかのしれないなぁとも思うのです

それでも僕は弱いですから、ええ、そこは否定しません

僕は本当に弱いですから、こうやって神頼みをした次第です



信じてください

この気持ちはほんとうです



証拠がございます

僕の卑しく煙草の脂で汚れちまった胸の奥から

あふれ出す想いを解放すると

なんにも悲しいことなんかないのに

涙が出てきます



だからこの気持ちに、虚飾はない!

誰が何と言おうと、いくら自分自身が疑おうと、ほんとうなんだ!

・・・すみません、ついつい取り乱してしまいました。

ほんとうでございます、神様

だって、今まですべてを疑り深く見てきた目から

涙がどんどん、あふれてくるんだもん

今までできるだけ誰にも頼らんとなんでも一人でやってきた傲慢な心に

一輪の花が、咲くんだもん

頼んでもないのに、涙が出るんだもん

リクツじゃなくて、涙が出るんだもん

あの人の笑顔が見たくて、ポロポロ涙が出るんだもん



神様

こんなしょうもない僕に

変えられない事実を受け入れる海のような心と

変わることを恐れない山のような勇気と

悲しみに打ちひしがれたあの人を包み込む、

太陽みたいな穏やかな心をください


そして

あの人をお救いください

コロッケ、ごめん

お昼に起きた。久々に遅くまで寝てしまった。


食事を取ろうと階段を下りると、お昼に仕事から帰ってきた親がお昼ご飯を食べようとしていた。献立はごはんと漬物と、コロッケ。


コロッケにはすでにソースがかかっていて、まさに今から食べられようとしていた。寝ぼけ眼でそれをチラッと見て、僕はチキンラーメンの袋を取り出し、お湯を注ぐ。


ごはんはあるので、ラーメンをおかずに食べるつもりだった。


すると、親父が「このコロッケ、食べろナ〜」と言う。たぶん僕がコロッケ好きだから遠慮したのだろう。「いや、いいよ」と僕も遠慮する。こちらは休日、父はこれから午後も仕事があるのだ。


すると親父は「おれはな、昔から目玉焼きがすきだったんだ」と、意味不明なことを言う。


そうして父のコロッケは、なし崩し的に僕の目に置かれ、僕は充分ソースが染み込んだコロッケに「ごめん」と思いながら箸をつけるのである。



+ + +



僕が10代のころ、父は「THE」という定冠詞をつけたいほど暴力的な存在だった。周囲の意見は黙殺、機嫌が悪いとけっこう当たられたと思う。


大学でいったん家を出て、また親と暮らすようになって6年くらい経つが、その間に父のことで理解できたこともあったし、未だによく分からないところもある。


ただ、前述したような「照れ隠し」は、理解できるとかできないとかの問題ではなく、背中がかゆくなるほど身に覚えがある。


僕自身、人との距離感がうまくつかめなくて、過剰にやさしくしすぎてなめられたり、軽く見られたり、だからストレスを感じたり、軽く見られないように理論武装したり、体を鍛えたりしたこともあった。


父にはたぶん、日々の子育てと仕事でそんなヒマはなかったろうから、歳を取ってからの「自己変革」にとても苦労したと思う。



+ + +



昼時のテレビでは、「1990年比で温暖化25%減を目標」というニュースが流れている。厳然たる父性を醸し出していた時代の父と、下手な照れ隠しでコロッケを僕に譲った父が交錯する。


結局父は、シーチキンにマヨネーズをかけたものとインスタントの味噌汁で昼を済ませた。そして、なんにも言わずに、午後の仕事に出て行った。


僕はまた、コロッケに向かって「ごめん」と言った。

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事