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内なる声に耳を澄ませ、勇気を持って行動せよ。

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泥団子

クライアント先の画廊の店員さんの日常がおもしろい。
 
 
 
7歳の娘と砂場遊びした。最初は見てるだけだったが、手を真っ黒にして泥団子を作る娘を見たら、「無性に作りたくなってきたんです」。
 
粘土質の土も混ぜて入念に丸め、まんまる、つるつるに。落ち葉に乗せて砂場の縁へ飾り、満足満足。
 
帰ろうとしたところ、一部始終を見ていた知らない女の子がたたたたたっ!っと駆け寄ってきて、「ぽーぃっ!!」。
 
その時の気持ちを、彼女はこう綴っていた。
 
 
* * *
 
 
一瞬の出来事で、すごくショックでした。
 
だけど、なんだか懐かしい気持ちになり、少し笑ってしまいました。子どもの頃ってこんなんだったかも、って。
 
「すごいのできた!」と喜んだ気持ちが次の瞬間には、ためらいもなく折られる。でも、悲しい気持ちも一瞬。すぐに「もういいや!」ってなっちゃう。
 
大人になると、一つの行動に遠慮や配慮や勘繰りやいろんな思いがくっつくけれど、こどもの行動はシンプルで裏がない。
 
何かが欲しくて作ったのでもなければ、憎たらしくて壊したのでもない。
 
すべてが刹那的だからこそ、たくさんの悲しい・美しい・楽しい・悔しい、そういうキラキラとした瞬間をキャッチできるのかな。
 
 
 
・・・だって。

奇跡

 
・映画『奇跡』の試写会の最後に、
 是枝監督が客席に向って、
 こんなふうに問いかけました。
 「みなさんにとって、奇跡ってなんですか?」
 そのこと、ぼくも、宿題にしていたんです。
 
 奇跡って、人間の力や自然界の法則を超えたできごと。
 そういうことかなぁと思うのですが、
 「人間の予想を超えたこと」くらいに考えても、
 通じるような気がします。
 「ふつうに考えたら、
  絶対に無理だと思えるようなことが、
  できてしまったら?」
 こういうことを願うのは、困難を前にした人たちです。
 つまりそれは、「ふつうに考えたら無理」なことに、
 望みを託さざるを得ないような場にいるということです。
 どうだろう、実現の可能性が1%くらいのことが、
 ほんとに実現したら、それは「奇跡」と呼ばれそうです。
 
 だけど、それをやろうとしている本人たちは、
 99:1というような、絶対に不利な賭けに見えても、
 勝つつもりでやってるんです。
 予想としては、予測としては「奇跡」は起らない。
 でも、その予測が当たったとして、
 なにがうれしいんでしょうか。
 そういうことも思うんですよ。
 ひいきの野球チームのことを
 「今年は最下位だな」と予想して、
 半年後にその予想がズバリ当たったとしたらうれしいか?
 「さすがだよ、おれの予想は」って得意になりますか。
 そういうもんじゃないと思うんですよね。
 
 「こうなるだろう」と予想をすることは、みんな、
 これまでにもさんざんやってきた。
 だけど、いまは、「こうなりたい」であるとか
 「こうしたい」を軸にして、
 確率の低い側に怖れずに賭けていく、
 そういう時期なんだと思うのです。
 その実現が、「奇跡」と、呼ばれるのかもしれません。
 
今日も「ほぼ日」に来てくれて、ありがとうございます。
なにをやりたいのか、どうしたいのか‥‥まず、それだ。
ある日の 「ほぼ日」ダーリンコラムより
 
大好きな海が見えてきました(´∀`)
 
 
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花もきれいです。
 
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さてさて、朝8時から昼までサーフィンしました。
 
TRKMポイントは風もなく、面ツル。
 
日曜で人は多かったけど、波はみんなでシェアして乗らなきゃね。
 
上手い人のライディングを心の中で「イェ〜イ!すげー(゚∀゚)!」と思って眺めていると、楽しい時間がもっと楽しくなりますね。
 
僕もボトムターンからトリミング。しかも2歩だけクロスステップできました!
 
 
昨年からすっころんでばっかりだったけど、ようやくサーファーらしくなってきましたよ。フフフ。
 
 
 
 
 
海から上がって、以前傷ついてしまったサーフボードのリペアをお願いしにショップに行くと・・・。
 
 
 
レジェンドASANO「イリくん、ちょっと時間あるなら寄っていきなよ」
 
ショップの中だと思っていると・・・。
 
 
 
 
 
 
ん?
 
 
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んん?
 
 
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おお!
 
そこはショップのお隣さんの家でした。
 
東京から田舎に越してきて、別荘を自分で建てて、ギャラリーにしてしまったおっちゃんとおばちゃんの
試食会におよばれしましたー!
 
 
 
ギャラリーと併設して来月レストランもやるらしく、近所の人を招いて恒例の試食会なのだそうです。
 
 
 
ちなみにおっちゃんは元寿司職人で、陶芸や園芸、建築などなんでもできます。
 
 
緑色のコーヒーカップ、すてきですねー。
 
 
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今回のメニューはおっちゃん自作のピザ窯で焼いたシーフードピザ。
 
( ゚∀゚)o彡°ピーザ! ピーザ! ピーザ!
 
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しかも、向こうに見えるビールは地ビールです(驚!) なんでもつくれるんだな・・・。
 
 
 
 
 
海風に吹かれながらのんびり海を眺めていると、本当に気持ちいいです。
 
ここのところ仕事も忙しく色々余裕がなかったけど、久々に心をカラッポにしてのんびりできました。
 
 
 
 
 
自家製イカのワタと、鉾田のメロン(←これだけ買ってきた)。
 
 
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ワタはお酒(焼酎とか)がほしくなります。
 
その他、自家製の水ようかんやスコーンなど、手作りのものばかり出てきました。
 
 
 
来月、オープニングパーチーをするみたいで、そのときは近所のおっちゃんおばちゃん、大勢のサーファー、いろんな人を招き、湘南から誰か呼んでライブもやるみたいです。
 
 
おっちゃん「来月の最後の試食会は海鮮丼だかんなー! 絶対来いよー」
 
 
うんうん、行きます。ぜったいいく!
 
 
その日仕事あるんだけど、ソッコー終わらせて海鮮丼食べに行って。
 
 
そのあと、夕方から海入ろうと思います。
 
 
夕陽がきれいだといいなー。
 
 
やっぱ外に出て自然の中で過ごすのは気持ちいい。
 
とても癒やされます。
 
田舎に住んでてよかったです。

おおはた雄一のライブ

先週の土曜日、待ちに待ったおおはた雄一さんのライブに行ってきました。
 
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始まるまで付近をうろうろ。店の中に入るとコーヒーのいい香りがします。「あれ、イリくんじゃん!おひさー」と店の方も昨年の11月のライブ以来なのに顔を覚えてくださっていて、うれしかったです。
 
 
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壁に掲げてあるサイケデリック?な色彩の絵に目がいきますね。
 
 
「おかっぱちゃん旅に出る」の絵本作家ブージルさんの作品です。オモテで売られていた缶バッチとポストカードを衝動買いしました。
 
 
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かわいいねぇ。
 
 
 
 
さてさて、ライブのほうはさらさらと降る雨みたいに、しっとりとしたものでした。
 
 
地元の農家が作った無農薬のイチゴをそのまま使った特製の「イチゴサイダー」片手に、トラベリンマン、Dove、サカナ、いつもの珈琲など初期の曲を中心に唄ってくれました。
 
新しいアルバムからも、時がたてば、かすかな光、細野晴臣のカヴァーでハリケーンドロシーなんかもやってくれました。
 
 
MCでは自らを癒やし系ではなく「冷やし系」というおおはたさん。
 
とかく大げさなものが苦手だからか、おおはたさんの飾り気のない「地味な歌(本人談)」は、本当に気持ちが落ち着く。
 
 
 
 
ライブのあとにはスコアブック(楽譜)にサインを貰いました。
 
 
やったー!!
 
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ギターの練習も、楽しくなりそうです。
 
 
 
ところで、会場には仕事で知り合ったライブイベントの主催者(自分とほぼ同年代)も来ていました。
 
夏にはわが町で恒例の野外ライブフェスが行われます。
 
昨今の巨大化したフェスとは違い、あの手この手のイベントはないけど、涼しい森の中で心地よい音楽だけでのんびりしてくれ的な手作り感のあふれる小さなフェス。
 
彼らは資金繰りの難しい中、「去年以上にいいものやりますよ、ぜったい来てくださいね!」とおっしゃってました。すごい!
 
 
小さな街を盛り上げる世代は、着々と移り変わっているのを感じます。
 
 
「がんばってるなー」と遠巻きに見たり、「オレもまげで(負けて)いらんねーべ!」と息巻いたりしていたのは今や昔。自分も含め、これからいろんなものを吸収する世代に向けて何かできることはないかと、日々考えています。

ばーちゃん

おばあちゃんが亡くなりました。
 
 
 
危篤の知らせから死ぬまで、本当に急だった。
 
病院に駆けつけると、ICUでばあちゃんは荒く、苦しい呼吸をしていた。右目が麻痺しているので、横向きになった目からは悲しくもないのに涙があふれ、鼻梁にたまっていた。
 
小さな町工場を経営する親父と母親は慌てふためいたが、自治会や組合の皆さんのご協力もあって、なんとか無事お葬式を済ませられた。
 
 
* * *
 
昔、ここのブログでも書いたことがあるけど、
 
おばあちゃんは、3年前の夏におじいちゃんのお見舞いに行こうとして車にはねられた。そのとき乗っていた自慢の電動式自転車は、僕が大学生のときバイト代を貯めて買ったものでした。
 
「良い孫」でしょうか。
 
いいえ、そうでもなかったです。バイト代を貯めて自転車を買ったのだって、そこに何がしか若造の優越感や底の浅い自意識があったことは明白です。
 
それに、ばーちゃんの「どうだ、ばーちゃんすげーべ!」みたいな自己顕示欲の強い性格が、どうしても好きになれなかったし。
 
でも、ど田舎でバスも来ないようなウチの集落にあって、車が乗れないばーちゃんには唯一の交通手段だったと思います。本人も赤い自転車を気に入ってたし。
 
 
+ + +
 
 
葬式の準備で地区の住民を接待するのだけど、サンダルを履いて母屋と家を往復していると、我が家のちっぽけな池に(魚はいません)、ピンク色の花が咲いていました。睡蓮(すいれん)でした。
 
 
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あ〜、きれいだなァ、と思い、急いで仕事用のカメラを引っ張り出して撮っていると、母親に呼ばれました。「お客さん用の座布団持ってきてー!」
 
 
* * *
 
 
夜、線香がとぎれないように寝ずの番・・・のはずですが、普段12時前にふとんに入るので、いとこに任せて先に休みました。雨の音と強風が、ひどかった。
 
 
 
お葬式の朝は、土砂降りでした。
 
 
家を出るとき、「ああ、ばーちゃんは次に家に帰るときは骨になってんだっぺがなー」と思いました。
葬儀はいたって普通でした。家族の誰も変に悲しがらないし、思い出してグズグズしないし。何よりも忙しかった。
 
でもそれは、死者に対して何も考えていないというわけではありません。かといって、これまで毎日のように容態を心配してきたかというと、そうでもありません。
 
やっぱり自分は、自分の生活が第一であって、家族といえども、その人の生(せい)はその人ものであると思います。病気で頭もイカれてただろうけど、それを若い自分が代わりにあれこれするのは、なんか違うと思ってた。
 
ごく普通に接してきたつもりです。それは父も母も兄も弟も、ほとんど差異はないと思います。
 
 
 
 
 
火葬場に行く前、最後のお別れがありました。皆、手に白い菊や鮮やかな花弁を持っています。
 
親戚のばあちゃんがオウオウ泣きながら花を手向けるとき、連れの人が「ばーちゃん、そっち足だよっ、足!こっちがアタマだっぺ!」ってナイスな突っ込みで、一同大爆笑。
 
笑いをこらえて肩を震わせている弟は、近所のおばちゃん方から「あっちゃん(弟のこと)は、あんなに肩震わせて泣いで。かわいそーに」とか言ってた。
 
 
 
花を手向け、ばーちゃんの顔を左手で触りました。 とても冷たかった。 そして、いまにも庭仕事をしながら「ゆうちゃんよ、きょうはどごにいぎなさるね?」と声を掛けてきそうな感じでした。
 
「ゆうちゃん、ばーちゃん今日はいーっぱいオーキング(註:ウオーキングのこと)してきたど!」
 
「おはようさん。ゆうちゃん、今日は波乗りいぐんだっぺ?気をつけていぎなされ」
 
 
多少ナイーブですが。
 
 
そんな声が聴こえてきそうで、「わっ!」と涙がこぼれた。僕は、左手でまたばーちゃんの頬をさすり、「ばーちゃん、まだ会うべな。まだ会うべぇな」と心の中で言った。
 
 
 
 
火葬している間、親族は忌中払いでお客さんのおもてなし。・・・しているつもりが久々に会った嫂のお父さんとお母さんと話しながら飲んでいたら、楽しい気分になっていました。
 
子どもは白黒はっきりしたものを好むから、さっきまで涙を流したと思ってた大人がころっと宴席ではっちゃけるのが、よくわからないだろうな、あるいは怒るんだろなー、などと思いながら、飲んで食べて、ほろよい気分でした。
 
 
お骨を拾って、帰途に着く。
 
 
 
バスの中では、こんなことを考えていました。
 
 
忙しかったり怒ったり、号泣したり、シムケンのコントみたいなことが実際起こって身内でゲラゲラ笑ったり。一般に葬式ってのは悲しいものだけれど、生活の縮図みたいだなーと思ったり。
 
家族ってのはつくづく不思議だなぁ、と思いました。
 
 
 
 
 
夜、ふとんにもぐると、雨は窓ガラスを叩いて、強風が地震で崩れた屋根瓦を地面に落とす。
 
 
 
 
 
そんな中でも考えているのは、明日の仕事、面倒だなぁ。休みたいなぁ。ここ数日大変だったんだぜー、とかそんなこと。まったく不謹慎。
 
 
そして今日は今日で、何食わぬ顔してネクタイ締めて、何事もなかったように原稿を書いたり、嫌なヤツに会ったり、葬儀で取材すっぽかした相手から電話かかってきたり。
 
 
非日常は終わり、また、フツーの毎日がやってきたんです。
 
 
+ + +
 
 
昼は、まったく食欲がないのでマクドナルドでセットを買って車の中で食べる。楽しくも、わびしくもない、いつもの食事。
 
 
・・・と、隣に停まっていたバンの後部座席を何気なくのぞく。そこには昨日ばーちゃんの葬儀を執り行った斎場の名前が入った立て看板があった。
 
 
涙や、宴会や、崩れたのど仏や、頭蓋骨を思い出した。そういや、昨日仏様になったんだなァ、と思う。午後から晴れの予報どおり、雲間からは青空がのぞく。
 
 
そうして、立て看板の「故○○様ご葬儀の日取り」のところに目を移すと。
 
 
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そこにあったのは、ばーちゃんの名前でした。
 
 
 
 
 
僕は笑ってしまった。
 
ばーちゃんの戒名は「○○院××青空大姉」。
 
できすぎだとは思うけど、事実だからなぁ。びっくりしました。
 
 
 
 
四十九日が終わるまでは、魂はこちらの世界にいるというけど、やっぱりいるんだなぁこれが。さっそく帰宅してから話す。
 
「ばーちゃんが、まだそごらにいんだっぺ」「葬式で笑ったもんだがら、怒ってんのがもしんねーべ」
 
そんなことを喋りしながら、家族で食事をする。
 
 
 
 
 
 
 
 
なんだか眠れなくて、こんなに長いこと書いてしまった。
 
 
 
 
 
 
 
 
家族が一人亡くなったけれど、ウチには昨年秋に生まれた兄の娘がいる。
 
 
あどけないその笑顔と、純粋な黒い瞳は、我が家の未来だ。
 
 
今度ウチに来たら、ばーちゃんの分もかわいがってやろうと思う。
 
 
おしまい。

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