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内なる声に耳を澄ませ、勇気を持って行動せよ。

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慌しい日々がひと段落した(ような気がする)。



今月はじめから仕事に忙殺され、土日がない(笑)。来年の春先の記事のために今から予定を組んでいたりする日々。当然、ボクシングジムに行く気力もなく、走るのも億劫になっている。





9月の始めごろ、おじいさんが死んだ。





といっても施設に入っているウチのじいさんではなく、6月にトップ記事で取材したおじいさん。会社に電話があった翌日に喪服に身を包み、通夜に駆けつけると、おじいさんは遺影の中で穏やかに笑っていた。


その笑顔にはなぜか見覚えがあった。一度も会ったことのない娘さんにおじいさんが掲載された新聞を手渡す。娘さんはおうおうと泣き崩れた。遺影の写真は、僕が撮ったものだった。


生きていると、時々いろんなことに出くわす。


+ + +


先週の木曜日、駅前の洋菓子屋のパティシエさんを取材した。


店主はまるで朝の連続テレビ小説「つばさ」の甘玉堂のタケちゃんぽい。ふっくらしていて、おだやかで。取材中母親のおばあちゃんが横で口を挟むと、とたんに小さくなっちゃったりして、かわいい。


そのタケちゃんが7年かけて作ったモンブランの話を聞く。業者とのやり取りや生クリームの流通ルート確保のために奔走したこと、材料の栗農家との交渉、食べ物を作っている職人の自負。


既製品の素材はおろか、添加物を一切使わないこだわりは、亡き父の影響という。「お客様にハンパなものを出すな」。その教え通りに息子は働き、毎日毎日一つ360円のモンブランを作り続けている。


「話を聞くだけではわからんでしょう」と、ショーケースの中から一つ出してくれた。口に入れると、甘さ控えめのカスタードクリームからは、バニラの香りがふわっと広がる。


「昔ね、バニラビーンズ入れたら『ゴミ入ってるよ』とか言われてねぇ」とタケちゃん。


「ふふふ。おたくのケーキにはコショウ入ってるのねという人もいたわネ^^」とおばあちゃん。


快晴の日曜日、再びケーキ屋さんを訪れる。仕事で行ったときと変わらない笑顔で迎えてくれる家族を見て、なんだかうれしくなってくる。


ケーキを箱に入れてリボンを結んでくれたのは、「つばさ」の多部ちゃんみたいな意志の強い目をしたタケちゃんの娘さん。


そのつばさちゃんがケーキの箱を何の変哲もない白いビニール袋に入れようとしたとき、おばあちゃんがその手をそっと抑える。


いっぱいの笑顔と共に僕に手渡された袋には、きれいな花柄がプリントされていた。


+ + +


毎日、一回きりで会う人や顔見知りや、愛しい人や苦手な人や、好意を持ったり持たれたりする人の喜びや笑顔や、悩みや、悲しみ、愛おしさ、うれしさ、孤独、寂寥が降ってくる。


そういうことが自分のことだけで精いっぱいな僕に、最近やたらに集まってくる。


僕にはどうすることもできないのだけれど。


でも、死んだおじいさんが誰のためでもなく地域の歴史を調べたり、タケちゃんがこだわりのモンブランを黙って作り続けるみたいに、役に立たなくても黙って受け止めて何もしない人がいて、なにかのバランスが取れているのかもしれないなぁ。


だからってどうということもないのだけれど。
幸いこのブログを始めて以来、何も書きたくない気分のときは結構あったけど、書くネタに困ったことはない。


日々、驚天動地の出来事もないしロマンチックな逢瀬もない。呼吸も忘れるほど嫌な事も毎日は起きないし、それ以上に頭の中でティンパニーが鳴り響くような出来事もそうそうない。僕は極めて平凡に毎日を過ごしている。


ちっぽけな町に住む少年たちの心の成長をたった2日間の「非日常」で描いてみせた一本の映画は、なんでもない日常を書き続ける動機なのかもしれない。


* * *


1959年、晩夏のオレゴン州キャッスルロック。


映画『スタンドバイミー』の主人公ゴーディーは不良なんだけど文学少年。うだつのあがらない毎日から英雄になろうとクラスメートと死体探しの旅に出る。


コヨーテの鳴く漆黒の森でラジオを聴きながら食後の一服をふかす4人。落ちこぼれの少年3人にせがまれて話すパイ食い競争の語は最高にクールだ。


テディー「・・・それで、デブのホーガンはその後どうなった?」


ゴーディー「どうしたって・・・。町へ帰ってバーガーでも食ったさ」


バーン「なんだ、つまんねぇの」


テディー「こういうのはどうだ!?ホーガンは軍隊に入る。ノルマンディー上陸作戦でドイツ軍を・・・」


ゴーディー「勝手にしろ」


話はそこで終わりなのだ。「その後のこと」なんて誰もわかりゃしない。そんなのガキが考えりゃいいことさ。


ゴーディーの物語はウケるが、冷え切った七面鳥のような顔をした両親にはウケない。唯一「面白い」と言ってくれた兄も、もうこの世にはいない。


だから彼は将来作家としてやっていきたいという自分自身を肯定できない。苦しい胸の裡を親友のクリスにだけは打ち明ける。


クリス「君は文章を書く才能がある。作家になれ」


ゴーディー「書けないよ。僕には書けっこない。父さんは僕が嫌いなんだ!!」。


取り乱すゴーディーをやさしく抱きしめてクリスが言う。


「オマエの父ちゃんはオマエのことをなんもわかっちゃいない。お前ならきっといい作家になれるよ」


そして、こう言った。




「書くことに困ったら、僕らのことを書けばいい」と。




+ + +



幸い僕は、今までほとんど書くのに困ったことはない。


でも、ここで日々の出来事を切り売りしていくことに、少しだけ飽いていたような気もする。どうせ自己満足な文章の練習だ。



でも、一体僕は誰に向けて書いていたのか。誰のために書いてきたのか。



趣味? 好き? 嫌い? 自己啓発? ボランティア?  自己PR? 出会い?



 
まさか。




人助け? 助け合い? ご報告? 自己満足? 目立ちたがり?




違う、違う。




「たかがブログでそこまで難しく考えるな」って?


ほっとけ(笑)。



* * *



たぶん。

たぶん、一人でブランコに乗ったり、おねしょしたネコがサバのカンヅメを探すの絵本の挿絵を飽きずに読んだこと。


夕暮れの空き地で膝小僧を抱えて泣いていたあの娘の前を黙って通り過ぎちゃったこと。


みんなに仲間外れにされていじめられていた子を救えずに、徒党を組んで指差したこと。


遥か頭上を飛んでいった野球のボールを草むらで見つけて、自分に重ねたりしたこと。


心にも体にも取り返しのつかない大きなケガをして、すべてが信じられなくなった青い春のヤクザな出来事。


こんな自分でも誰かに必要とされることを知り、生きる意味を見いだした愛の季節。


湿気たビスケットみたいな日々の中「いつかこれも懐かしく思い出す日が来るさ」と自らを励まして歩いた寒くて堅い石畳。



そう。



そんなつぎはぎだらけの連続性が失われてしまわないように、今と昔の自分を折にふれて縫い合わせているのかもしれない(家庭科は『2』だったけど)。


知らん顔して通り過ぎてきた季節に置き去りにされた僕の影たちが、ややもすると快楽の温泉に浸って忘れてしまいそうな僕に、こう言っている。「僕らのことを忘れないで」と。




そして、




「書くのに困ったら、僕らのことを書けばいい」って。





ここ1ヶ月ほど、少なくない方にご心配をおかけしました。すみません!
メッセージもらったりして、とってもうれしかったです。
ありがとうございます。

時に深く傷つくけど、人は他人を通してしか本当の自分を知ることができません。
だから、これからもちょっとずつ書いていこうと思います。

「打倒!! こ○ちゃんの簡単レシピ」でがんばるぞー!(笑)。
2009年初秋 秋生まれだからトンボ大好き。    イリイリ

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